もの悲しい人間の虚飾『プライドの社会学』

2013年5月24日 印刷向け表示
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プライドの社会学: 自己をデザインする夢 (筑摩選書)

作者:奥井 智之
出版社:筑摩書房
発売日:2013-04-15
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プライドが邪魔をすることもあれば、プライドがなくて動き出せないこともある。

プライドが逆境を支えるときもあれば、人を狂わせることもある。

自分がつくったプライドの檻の中から、いつの間にか抜け出せなくなることもある。

それでも、人間はプライドを持たざるを得ない存在である。

それが本書の出発点である。

人間は理想の自分を思い描く。それと同時に、理想の自己で現実の自己のギャップに常に思い悩み、理想の自己を創造すると同時に、現実の自己を破壊することを求められている。この心的なメカニズムがプライドである。そして、多くの人が経験しているように、これが順調に機能することはめったにない。絶えず、その落差の大きさに思い悩む。

志賀直哉の代表作『暗夜行路』は、主人公の誇り高きプライドにもがき苦しむ物語である。容易に実現しえない目標をかかげ、あるべき姿を実現しようと邁進する。そこに見え隠れする自己の理想と現実との葛藤、そして幼いころに亡くなった母親を理想化し、それを付き合う女性に求め、結婚した相手を大いに理想化する。そして、その理想も破壊され、プライドは打ち砕かれる。ここで言えることは、プライドは自己の理想だけでなく、家族もその源泉になりうるのである。そして、それは強固なものではなく、不安定である。

子どもの悪口である「お前の母さんデベソ」は、儀礼的に挨拶程度に使われていることがわかってはいても、不愉快になる。そういった家族への悪口が感情の揺れだけで済まされなかったこともある。2006年のドイツ・ワールドカップ決勝、フランス代表のジダンがイタリア代表のDFに頭突きをし、退場になった場面は、ジダンの家族への侮辱(具体的には母親や姉妹を娼婦呼ばわりした)がその行動の原因であった。国民の期待を背負い、世界中が注目する緊迫した場面においても、家族のプライドが優先された。

家族以外に、プライドを感じるのは故郷・地域のコミュニティである。地元にいたときには見向きもしなかった些細な話題や人にも、敏感に反応するようになる。私もその一人である。地元出身の選手の活躍に一喜一憂し、スーパーで地元の食材を見えると優先的に購入する。

本書は「自己」からはじまり、「家族」「地域」「階級」「容姿」「学歴」「教養」「宗教」「職業」そして「国家」で終わる10の章に、それぞれ6つの小話で構成されている。

小話の題材は『暗夜行路』の他にも、『三四郎』『夜明け前』『車輪の下』など名作の登場人物の心境を探る。プライドの栄光と悲惨、自負とも高慢さとも捉えられる両義的な意味は秀逸な人間ドラマの題材となる。小説にとどまらず、黒澤明や森達也の映画を持ち出し、人間のプライドが見え隠れする場面を捉え、『日本書紀』や『旧約聖書』の中にも踏み込む。縦横無尽にプライドの世界を巡歴し、社会学的に浮き彫りにしていく。まとまりはまったくないように思えて、絶妙なつながりがあり、途切れなく最後まで気持ちよく読みすすめることができる。その文体の工夫には、著者の社会学を研究し、伝達する学者としての矜持と美学がある。

著者はコミュニティのないところにプライドはない、コミュニティこそがプライドの源泉であると仮説立てている。しかし、近代化以降、家族や地域というコミュニティの崩壊が至るところで問題視されている。家族は核家族化が問題視されていた時代からさらに進行し、現在は三世帯に一世帯は単独世帯となっている。地域は都市に人口が流出することで過疎が深刻化し、地域内のつながりが希薄になっている。それは、個人にプライドを提供していた源泉が枯渇することを意味し、私たちはプライドを持ち続けることが難しくなっている。

コミュニティが提供してくれていたアイデンティティやプライドがなくなると、私たちは絶えず自己を発見したり、創造したり、実現したり、表現したり、演出したり、提示したり、証明することで、自己をデザインしなければならなくなる。それは、もの悲しい人間の虚飾であるプライドに取り憑かれながら、生きなければならないということである。

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社会学

作者:奥井 智之
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