アルツハイマー先制治療――あなたならどうする。

2013年7月26日 印刷向け表示
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The New Yorker [US] June 24 2013 (単号)

作者:
出版社:Conde Nast Publications
発売日:2013-06-28
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『ニューヨーカー』誌で、メディカル&生物学分野のスタッフライターを務めている、ハーバード大学医学部教授のジェローム・グループマンが、アルツハイマー治療の最前線について読みごたえのあるレポートを書いていましたので、ざっくりかいつまんでご紹介いたします。

アルツハイマー病をめぐる状況を考える上で押さえておくべきは、今後、アルツハイマーの人たちのケアが、大きな社会問題としてのしかかってくるということです。

現在、全世界で、85歳以上の人口のうち、3分の1はアルツハイマーを発症しているとみられるそうです。アメリカだけに限定すれば、現時点では500万人、2050年までには倍増して、1000万人以上がアルツハイマーを発症するとのこと。(ざっくり調べたところ、日本も、人口比では同程度ということになりそうです) 

2050年の時点で、アメリカ全体のアルツハイマー患者のケアにかかる金額は、年間1兆ドルに達すると予想されています。これは100兆円相当なわけですが、2012年の日本の国家予算(一般会計)が90兆円ですから、ちょっと青ざめるような金額ですね。これを、どういう社会体制で支えていくのか……

アメリカで最近行われた調査によると、アルツハイマー患者を一人ケアするための年間費用は、45,000から56,000ドル(およそ500万円ぐらいの感じ)ですが、ざっと調べたところ、これもまた日本でも、桁違いというほどには違わないようです。

要するに、アルツハイマーに関しては、どんどん増える患者数、どんどんふくらむ医療費という、経済的に「待ったなし」らしいのです。もう、四の五の言っていられる場合ではない、とにかく、手遅れになる前にやれることをやらなければ! という切羽詰まった気分が、関係者のあいだに漂っているようです。

しかし、もしも患者を減らすことができれば、医療費は確実に減るでしょう。

では、アルツハイマー研究の現場はどんな様子かというと、過去30年にわたって研究が続けられてきたものの、患者を減らすという観点から、これといった進展はなかったようです。現状、アルツハイマーの治療薬としては、ドネペジルやメマンチンという薬が処方されていますが、これらはすでにダメージを受けたニューロンの働きを補う(神経伝達物質の働きを調節するなどして)ものであって、効果は短期的なものに限られ、病気の進行を遅らせることはできないという性質のものらしいです。 

しかし、いよいよ今年から、アルツハイマーの進行を遅らせることができるかもしれない薬の臨床試験が、本格的に始まるとのこと。それはもちろん、たいへん結構なこととも言えるのですが、問題は、それらの薬がターゲットにしているのは、もっぱらβアミロイドと呼ばれるタンパク質だということです。

βアミロイドは、本当にアルツハイマーの原因なのでしょうか? そうだったらいいのですが、それがどうもはっきりしないらしいのです。

βアミロイドとアルツハイマーとの関係を示すデータは、たくさんあります。そもそも、アルツハイマーで亡くなった人の脳には、βアミロイドが大量に沈着している(アミロイド斑)ことはよく知られています。このアミロイド沈着のせいで、神経細胞が破壊されるのではないか、というのが一つの有力な説です。アルツハイマー研究の分野では、この説、つまりはβアミロイド犯人説を支持する多数派のことを、baptistと言うそうです。これはキリスト教の洗礼派とは関係なく、Beta Amyloid Proteinの頭文字をとって、BAP-tist。 (ちなみに、タウたんぱく質犯人説に立つ人たちを、tauistと言うそうです……) 

βアミロイド犯人説を支持する証拠の中でも、特に有力と見られるのが、南米コロンビアの血縁集団のケースです。4000人規模のその一族では、6人に1人がアルツハイマーを発症し、しかも40代ですでに発症するタイプなのだそうです。その村は、今このときも、重い負担に苦しんでいます。

βアミロイドは、40個のアミノ酸がつながったタンパク質で、胎児の脳にも見つかっており、脳の発達にひと役演じているらしいのですが、年をとるにつれて、アミノ酸が(40ではなく)42個つながった、ちょっとだけ長いβアミロイドが増えていきます。

タンパク質は、アミノ酸が一列に並んだひもというよりはむしろ、折り紙のように折りたたまれて、三次元的な立体構造を持ち、その立体構造によってタンパク質としての役割を果たしています。ところがアミノ酸の数がちょっと多かったりすると、ちょうど折り紙で鶴を折らなければならないときに、間違ってカエルを折ってしまったような具合になり、いろいろと不都合が生じます。 

折りたたみミスで生じる障害を、「フォールディング病(折りたたみ病)」といいます。コロンビアのケースは、特定の遺伝子変異のせいで(もともとは、18世紀にこの地に入植した一人のスペイン人が、その遺伝子の変異を持っていたらしいです)、アミノ酸が42個つながったβアミロイドを作りやすく、それゆえ、βアミロイドの折りたたみ間違いが多くなってしまうのです。 

つまりは、遺伝的変異→長めのβアミロイド→折りたたみ間違い→アルツハイマー発症、という理屈で、このコロンビアのケースは、βアミロイド犯人説を支持する証拠と考えられるわけです。 

さらにその説を裏付けるように、2012年にアイスランドで、ある非常に珍しい遺伝的変異を持つ家系が見つかりました。βアミロイドは、もっとずっと長いタンパク質をカットして作られるのですが、その家系では、コロンビアのケースとは逆に、ちょんちょんカットしてβアミロイドを切り出すメカニズムの働きが良く、アミノ酸が四十二個つながった、長めのβアミロイドが生じにくいらしいのです。そして、このアイスランドの家系の人たちは、90代になっても、認知能力がピンシャンしているというのです。

余談ですが、もしもアルツハイマーが、βアミロイドの折りたたみの失敗で起こっているなら、そして、もしもアルツハイマーを治療する方法がわかれば、他のフォールディング病を治療する手がかりもつかめるかもしれません。たとえば、パーキンソン病はαシヌクレインという、アミノ酸が145ほどつながったタンパク質のフォールディング病とみられてきますし、ハンティントン病は、ハンティンティンと言うタンパク質のフォールディング病ではないかと考えられています。 

話を元に戻して、βアミロイド犯人説をとるbaptistの研究者たちは、最近行われたある薬の臨床試験からも手ごたえを得ています。 

それはイーライリリー社が開発しているソラネズマブという薬で、2012年の秋に臨床試験の結果が発表され、「軽度の」アルツハイマーの人では、対照群と比べて、18カ月間で認知能力の低下を34%遅らせることができたといいます。しかし、中程度のアルツハイマーでは効果は見られませんでした--つまり、対処が早ければ、効果があることを示唆しています。

この発表を肯定的に見る人たちは、ともかくも認知能力の低下を抑制したのだから、βアミロイド犯人説を裏付ける結果だと考えています。一方、その見方に納得していない人たちもいます。たとえば、イーライリリ社は二つの臨床試験のデータを合わせて処理しているのですが、その統計処理に使われた方法は、実際よりも効果があったかのように見せるようなものである、と指摘する研究者もいます。 

結局のところ、βアミロイド犯人説を支持する証拠は、状況証拠でしかないわけです。そしてそのことは、baptistの人たちも認めざるを得ない事実なのだと思います。実際、ここでは紹介しませんが、βアミロイド犯人説を疑うべき証拠もいろいろとあるようなのです……。 

Baptistに属さないある研究者は、アルツハイマーの本当の原因は、フリーラジカルと呼ばれる分子で、それが神経細胞に炎症を起こさせ、細胞内部でエネルギーを生産しているミトコンドリアを壊し、結局、神経細胞も殺してしまうのではないか、という説を唱えています。

もしそうだとすると、βアミロイドが蓄積するのは、炎症に対する正常な反応かもしれません。だとすれば、βアミロイドをターゲットにする治療は、病気のせいで生じた傷を修復するようなものであって、病気そのものの治療にはならないということになります。 

もしかすると、人間だれしも、高齢になればβアミロイドが沈着するものなのかもしれません。実際、βアミロイドがかなり沈着している高齢者にも、認知能力には特に問題はない人もいるのです。そうだとすれば、アミロイド斑は単なる脳の老人斑のようなものであって、アルツハイマーとは直接因果関係がない可能性だってあるわけです。 

βアミロイドは真犯人ではないかもしれない、という可能性が残されていることを別にしても、βアミロイド犯人説には、もう一つ、治療を始めるべき時期がどんどん早いほうにシフトしているという問題があります。

アルツハイマーの場合、症状が現れてしまってから、病気の「進行を遅らせる」治療をするというのは、なかなかしんどいものがあります。治療をしても症状がよくなるわけではなく、ただ単に、「治療をしなかった場合よりも進行が遅くなっているハズ」と医師から説明されるだけなので、患者とその家族にとっては、効果を実感するのが難しいのです。したがって、できるだけ早く、症状が軽いうちに、治療を始める必要があります。

しかし、軽度の症状(短期記憶が怪しくなってきたとか、身の回りのことがうまくできないことがある)、といった程度の症状が現れたときにはすでに、それに関連するニューロンの、なんと半数ほどもがダメージを受けているらしいのです。そうだとすると、もはやその時点では遅い。何とかして「アルツハイマーになるかもしれない人」をピックアップして、「まだ健全なうちから」治療を始めないと意味がない…… 

でも、もしもβアミロイドが犯人じゃなかったら? 

まだ健全なうちから、炎症などの副作用もありうる薬を投与するのは、脳のバランスを崩し、むしろ取り返しのつかない変化を起こしてしまうのでは? と、臨床試験の拙速を懸念する研究者もいます。 

マジョリティであるbaptistたちは(その中心人物の一人である女性研究者は、おじいさんをアルツハイマーでなくしているそうです)、「早く! もっと早く! 治療を開始しなければ」と感じているのに対し、マイノリティーに属する研究者たちは、犯人を突き止めるのが先であり、そのためには、βアミロイド以外の要素が原因である可能性を追求することにも、もっと力を振り向けなければ、と感じているようです。

冒頭で述べたように、将来の経済的負担も重くのしかかっています。1億ドルかかる臨床試験を10回やったとしても、「たった」10億ドル。10億ドルの投資で、1兆ドルに膨らむとみられる医療費を大幅に削減できるのなら、やらない手はない! という判断もあって、莫大な資金がbaptist路線の臨床試験に投入されることになりました。が、果たしてそれが本当に、医療費の削減につながるか路線なのかどうかはわからない、というのが正直なところでしょう。

また、baptistがマジョリティになっている現在、アルツハイマー研究に独創的な視点を落ち込むような若手研究者が、ポストを得にくいという事態にもなっているようです。アルツハイマーの原因が未解明だというのに、ひとつの路線に絞りすぎるのは、やっぱりまずいのではないでしょうか。 

大手製薬会社に勤めるある研究者は、臨床試験について、わりと冷めた態度でこんなふうに語っていました。今から始まる試験で(特にコロンビアの人たちを被験者とするタイプのもので)、βアミロイドの沈着が阻止できるいうこと、それにもかかわらず、被験者はアルツハイマーを発症するということがわかれば、最低でも、βアミロイド犯人説は否定されるでしょう、と。

わたし自身は、まずは原因をきちんと突き止めて、それから治療方法の開発に取り組むほうが、結局は早道なのでは? と素朴に思ってしまうのですが、この考えは呑気すぎるのでしょうか?

みなさんなら、アルツハイマーの症状が出る前の予防薬、飲みます?

臨床試験、どんな結果が出てくるんでしょうね… 

医者は現場でどう考えるか

作者:ジェローム グループマン
出版社:石風社
発売日:2011-10
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ところで、その記事の筆者であるグループマンの著作には、邦訳されているものもあります。村上浩のレビューはこちら

決められない患者たち

作者:Jerome Groopman MD
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今年の春にも、一冊でています。内藤順のレビューはこちら

それから、医療やアルツハイマーとはまーーったく関係ありませんが、わたしのはじめての書き下ろし、発売になりました! 10年がかりの仕事、こうして本になっているのが、なんだか夢のようです……。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
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