『人生の塩――豊かに味わい深く生きるために』by 出口 治明

出口 治明2014年01月17日 印刷向け表示
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人生の塩――豊かに味わい深く生きるために
作者:フランソワーズ・エリチエ
出版社:明石書店
発売日:2013-11-25
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人であれ本であれ町であれ、人生の出会いのほとんどは、実は偶然からスタートする。著者の名前を目にした時、シチリアのエリチェの街並みが思わず瞼に浮かんできたので、懐かしくて本書を紐解くことになった。驚いたことには、エリチェの町と同じように、小ぶりだが、とても温かみがあり、深い余韻が残る美しくて素晴らし本だった。

著者は、フランスの著名な人類学者で、あのレヴィ=ストロースの後継者であるらしい。ある日、著者が尊敬するワーカホリックの臨床医から、「『盗み取った』スコットランドでの一週間のバカンス」という言葉で始まる一通の絵葉書が届く。「私たちが彼から彼の人生を盗み取っている」と感じた著者は、返事を書き始める。「あなたは毎日、人生に豊かな味わいを与えてくれる『人生の塩』をないがしろにして生きておられる。(中略)私は、まずは『人生の塩』の重要なポイントになりそうなものをいくつか書き出してみたが、すぐにこのゲームに夢中になり、そのうち私自身の『人生の塩』であるもの、そうなったもの、そうあり続けるであろうものについて真剣に私自身に問いかけることになったのである。」こうして、「長い独り言のつぶやきのような」本書が生まれることになった。

本書のどこに魅かれたのか。まず、映画である。著者の人生の塩には、実にたくさんの映画やスターが登場する。ジャン・ギャバンやロバート・デ・ニーロからブラッド・ピットまで、あるいはクラーク・ゲーブルからロバート・レッドフォードまで、彼女の好みが全く分からなくなるほどだ。僕も映画が大好きだが、同じ様に手当たり次第に好きになるので、とても共感する。そう、人生の塩なのだから、一定の嗜好がある方がむしろおかしいのだ。次に、塩の在り方が、結構似ていて、とても面白く読めた。「新聞に書いた文章やインタビュー記事に人目を引くための小見出しが付けられているのにいらだつ」「女を馬鹿にする人をその馬鹿にした言い方でたしなめる」あるいは「高飛車な人や知ったかぶりの御仁のいいなりにならない」「ある種の本(たとえばホロコーストが存在しなかったと主張する歴史否認主義や排外主義の本)を自宅に置くことは断固拒否する」。

僕は、常日頃から、人生の楽しみは喜怒哀楽の総量だと考えている。マイナスがプラスで癒されるのではなく、絶対値の大きさが、その人の人生を豊かにするのだ。大きい値を持つ喜怒哀楽は、仕事や恋愛に係るものが恐らく多いだろう。しかし、著者はこの2つを注意深く取り除く。そして、「些細な何でもないもの」をあえて表面に押し出すのだ。「取り替えたばかりのシーツで寝る」「飛行機で離陸する、また着陸する」「きのこを見つける」「通りがかりの家の表のぶどう棚からぶどうをもぎとってそのまま口に入れる」「両手を頭の後ろにもっていき両足を低いテーブルにのせる」。このような些細な感覚的喜びこそが「人間の条件」の重要な基盤であり、私たち一人ひとりのアイデンティティをつくり上げるのだ。喜怒哀楽の総量の中には、おそらくこうした些細なできごとがびっしりと詰まっているに違いない。

著者は、「『私』とは誰なのか」と問いかける。「もし仮に好奇心や共感や欲望、苦しみや喜びを感じとる力がまったく欠けていたとしたら、一方で考え、話し、行動するこの『私』はいったい何者であろうか」と。本書のさりげない一言が、忘れていた生きる楽しみを読者に再発見させてくれるに違いない。いつも手元に置いて、たまたま開いた1ページを読み、巻末の「私の人生の塩」のページに、一言書き加えるだけでも、人生が相当豊かになるのではないか。
 

出口 治明

ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら

*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。

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