『寄生虫なき病』 - 黒の過剰か、白の不足か

内藤 順2014年03月21日 印刷向け表示
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寄生虫なき病
作者:モイセズ ベラスケス=マノフ
出版社:文藝春秋
発売日:2014-03-17
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花粉症、喘息、アレルギー、自己免疫疾患、現代に生きる我々を脅かす数々の病。これらを解決する鍵は寄生虫にあった!しかもその原因は、特定の寄生虫の「存在」が引き起こしているのではなく、「不在」によって引き起こされていたのだという。

表紙のアメリカ鉤虫のカバー写真に首根っこをつかまれ、膨大な資料に基づいた「寄生虫視点による世界史」の筆致に目を見開かされ、最後はアメリカ鉤虫を体内に取り込む著者自身の人体実験によって、ノックアウトされる。本書は、そんな濃厚で濃密なパッケージの一冊である。

「不在」の病、その存在への気付きは、著者がボリビアのアマゾン地域に住むチマネ族の元を訪れたことから始まる。今でも石器時代のようなライフスタイルを送るチマネ族の人々。彼らは様々な感染症に罹っている一方で、自己免疫疾患の有病率はニューヨークに比べて遥かに低かったのだ。

著者は、自身がアレルギー疾患と自己免疫疾患の両方を持つ人物。この経験から、「不潔な環境で生活している人たちの方が、アレルギー疾患や自己免疫疾患のリスクが低いのではないか」という仮説が立ったわけである。

かつて存在しなかった免疫系の脅威が続々と誕生してきた背景には、一体何があったのか?長い歴史を振り返ると、産業革命、そしてそれを解決するための衛生改革という明確なターニングポイントが見つかる。コレラ、マラリアといった伝染病の根絶と、まさにトレードオフをするよう関係で、自己免疫疾患が急増するようになったのだ。

この寄生虫と免疫系の長きに渡る戦いは、思い込みや勘違い、そして清潔さという幻想を追い求めた人類の歴史でもある。19世紀半ばのアメリカでは白い制服の清掃作業員2000人の軍団が、ニューヨーク市の美化に努め、伝染病対策に一役買った。だがその衛生改革は、古代ギリシャに起源を持つ「病気の原因はしょう気である」という考え方を拠り所としていたのだという。

その後主流となったアプローチは、「特定の微生物が特定の病気を引き起こす」いう微生物病原説である。この方法は、本質的に還元的なアプローチであり、科学者たちは常にある一つの生成物質を分離し、ある一つの結果を実験で再現し、その研究を元にワクチンや抗生物質を作ってきた。

たしかに、このように寄生虫・微生物と免疫系における関係を、矛と盾に見立てて追求する手法は、感染症撲滅に一定の成果を上げてきた。しかし現在、我々の身近なところで、その関係とは矛盾するような結果が散見されていることもまた事実なのである。

幼年期に保育所に通うことがアレルギー疾患の予防につながる「保育所効果」。 子ども時代に大勢の年上の子どもに囲まれて育った人ほど、青年期のアレルギー疾患のリスクが低いという「きょうだい効果」。 農家の子どもにはアレルギー児が少ないという「農場効果」。いずれも、「現代の生活は清潔すぎてかえって健康を損なっている」ことを裏付けるものばかりである。

さらなる研究から明らかになったのは、健康な動物の体内には、自己を攻撃する白血球が存在しするという重大な事実であった。そして、これらの要素を削除することによってではなく、働きを抑制する別の細胞が存在することによって体内の秩序は保たれていたのである。

つまり、免疫異常を引き起こすためには、人体に新しい物質が入ってくる必要などない。免疫系からある構成要素を取り除くだけで充分なのである。それが抑制細胞と呼ばれるものであり、外界で特定の寄生虫や微生物に接触したのちに初めて出現するのだという。我々の自己制御能力は環境の一部と言えるほど、外界からの刺激に依存していたのだ。

そして昨今、このような効果を人工的に再現しようとする試みも始まっている。中でもとりわけ興味深いのが、「糞便移植」というものである。この治療法は、「欠陥がある腸内細菌を、バランスの取れた腸内細菌と取り替える」ことを目論む。夫から便のサンプルを取り、それに少量の生理食塩水を混ぜたものを大腸内に導入し、感染症が完治した患者の事例が紹介されている。

ここで注目したいのは、グレーなものをどのように捉えるかという視点の違いが生み出す差異である。黒の過剰と見るのか、白の不足と見るのか。これは同じことを言い換えただけのように思われるかもしれない。だが、悪しきを取り除くか、何かを加えてバランスを取るかという「寛容さ」の違いは大きな差を生み出す。グレーなものをウチとソトのどちらに織り込むかということで、個人の輪郭の設定値が変わってくるし、引いては免疫系という役割の意味づけも異なってくる。

身体の境界線を捉え直し、体内の細菌なども内包する「超個体」という不可視な際を設定してみる。すると、免疫系には「外部器官としての微生物」とコミュニケーションを取るためのさまざまなセンサーがあり、免疫系の役割が感覚器官であると同時に認識装置であることも理解出来るのだ。補助線一本によって景色が変わるとは、まさにこのことだろう。

そして著者自身も、己の人体を賭けて検証に乗り出す。メキシコのティファナに向かい、「鉤虫アンダーグラウンド」の世界へと足を踏み入れていくのだ。アメリカ鉤虫に意図的に感染するための料金は1回2300ドル。1回分の寄生虫の数が20匹というから、幼虫の値段は一匹当たり115ドルという計算になる。はたしてこの結果は、どのようになったのか?

この他にも、アレルギー反応が何のためにあるのか。ピロリ菌はなんのために存在しているのかという点にも言及しているほか、自閉症と寄生虫の関係まで示唆されており、多岐にわたる観点から免疫系の全貌を明らかにしている。

本書は、ほぼ全ての小見出しにサプライズがあり、全ページが余すところなく面白い。生物学的な進化を多元的に眺めることで「不在」の輪郭を描き出し、恐ろしいまでの情報密度で様々な事実を畳み掛けてくる。アレルギーを持っている人には希望を、そしてそうでない人には驚きをもたらし、他人に話さずにはいられぬような興奮がある。

この一週間、僕の周囲にいる花粉症の方々は、食事中にもかかわらず、糞便移植の話などを散々聞かされ、さぞや迷惑だったことであろう。この病的な一面を、取り除く方向ではなく、バランスを取る方向へ向かってくれることを、切に願う次第である。

世にも奇妙な人体実験の歴史
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