『人にはどれだけの物が必要か―ミニマム生活のすすめ』 文庫解説 by 浜 矩子

2014年4月10日 印刷向け表示
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人にはどれだけの物が必要か: ミニマム生活のすすめ (新潮文庫)

作者:鈴木 孝夫
出版社:新潮社
発売日:2014-03-28
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実はひねくれ大先生へのオマージュ

映画になるな。本書を読み終えて、ただちにそう思った。

オープニング・シーン。人品卑しからぬオジサマが、道を行く。正体不明だ。時折り、かがむ。その動作が何回か繰り返される。何をやっているのか。手元にぐっとカメラが迫る。お、なんと。空き缶を拾っている。釘を拾っている。紙切れを束ね集めている。

次第にフェードアウト。そして、森林が、山脈が、大地が、里山が画面一杯に広がる。それらはやがて地球のイメージに集約されて行く。

こんな感じで始まった映画は、中盤で手に汗握るサスペンス物になる。その時点では、当然ながら、正体不明の紳士は正体不明ではなくなっている。「地球を救う」すなわち「地救」を唱える彼は、グローバル資本と、その手先たる政治家どもに命を狙われる。だが、無数のグローバル市民サポーターたちの一致団結が、彼を地球破壊主義者たちの毒牙から守り抜く。

イメージはどんどん広がる。いますぐにでも、シナリオが書けてしまいそうである。「解説」などという実におこがましい位置づけのこの文章よりも、グローバル・ヒーロー顛末記の台本の方が、すぐに書けそうな気がする。

……とここまで書いたところで、少々不安になる。本書の著者である鈴木先生は、人並みのことはやらない、興味ない、拒否するとおっしゃっている。つきなみな娯楽や趣味・特技の類は軽蔑されている。すると、映画もダメか? 最もつきなみな娯楽に類するかもしれない。

慌てて、該当箇所を振り返る。鈴木先生がやらないこと、やりたくないことを列記されているくだりだ。「マージャン、トランプ、パチンコ、……碁も将棋も……ゴルフや野球を始めとするスポーツ……バー……赤提灯や縄暖簾……カラオケ……温泉旅行団体旅行……ダンスもディスコも……競輪、競馬、宝くじ……博覧会、お祭り、イベント……」。

この「しないこと」リストの中に、映画はない! 大丈夫かもしれない。そこはかと無き期待を胸に秘めつつ、先に進もう。

世の中には、自分が書いたような気がする本というのがある。自分の発言のように思える。そんなコメントに出会うことがある。その時の思いは熱い。同志に巡り合えた。この感慨が勇気を与えてくれる。本書の著者のような大先生に対して、この筆者が以上のようなことを考えたり、言ったりすることは、あまりにも僭越だ。だが、これは否定できない思いだから、致し方ない。

「ヒト・モノ・カネ」。この3点セット的な言い方が、やたらと出て来る世の中になっている。鈴木先生は、この表現がお嫌いだろうと推察する。そもそも、なんで、カタカナで書くの? そうも、思われるかもしれない。確かに変だ。だが、順序は正しい。ヒトが一番先に来て、ヒトがつくる対象物であるモノがその次に来る。そして、ヒトによるモノづくりをサポートするカネがしんがりを務める。この認識を表現した3点仕立て用語。そのように考えれば、「ヒト・モノ・カネ」にも、それなりの救いが感じられる。

いみじくも、本書のタイトルが「人にはどれだけの物が必要か」である。ヒトとモノの関係について、これだけ、しっかりした順位・配列を表現した言い方はないだろう。この問いかけに対する答えは、本来、明確であるはずだ。議論の余地がないはずである。人にどれだけの物が必要なのかは、人が決める。それが当然だ。

だが、現実はどうか。いまや、人は物の必要性に関する決定権を完全に失っている。それが今日的現実ではないのか。物から決定権を人の手に奪い返す。これぞ、今はまだ出来ていない「地救」映画のテーマだ。そして、そのジェントルマン・ヒーローの使命である。

このジェントルマン・ヒーローの凄いところは、何といっても、その先見の明だ。どう読んでも、今の世の中のことを書いているとしか思えない。昨日、脱稿した著作か。そう思える本書の当初の発行年が、実は1994年だ。ちょうど20年前のことである。あの時、鈴木先生の荒れ野で叫ぶ声が、今日に向かって警鐘を鳴らしていた。だが、往々にして、荒れ野で叫ぶ声は、手遅れになるまで、人々の耳に届かない。

成長、成長、また成長。成長しないものは経済活動にあらず。成長を説かない者は論者にあらず。成長を追求しない者は政治家となるべからず。成長を目指さない経営は経営にあらず。そんな風潮が世の中を覆う。成長しないことは、死に至る病だ。この誤解は、一体いつ、どのようにして生まれたのだろう。

成長神話の恐ろしさといかがわしさについて、鈴木先生はトルストイの寓話を援用して語られている。「人にはどれだけの土地が必要か」というお話だ。

主人公は、パホームという名のお百姓さんである。次から次へと、より広大な土地をゲットしようとするパホーム。その努力がいかに凄まじいものだったか。その努力の結末がいかに悲惨なものであったか。成長、成長、また成長を指向したことが、パホームをいかに凄惨にしておろかしい死においやったことか。本書の「まえがき」を読まれた読者は、既にそのことに背筋を大いに凍てつかせておいでのことだろう。

鈴木先生は、このお話を小学校3年生の時に読まれたという。この事実を読んだ時、前述とは別の意味で、筆者の背筋がゾクっとした。なぜなら、筆者は小学校2年生から3年生になりかけのころ、短編小説の名手、志賀直哉の「宿かりの死」という作品に出会った。

大きくなりたい。大きくなりたい。その願望と妄念に駆られて、宿かりはより大きな貝殻へと、宿替えを繰り返す。そして、彼は、ついにスーパー巨大宿かりと化す。もう、誰にも負けない。安心できる。そう思う。ところが、その瞬間、彼は今の自分の住処よりもっと大きな法螺貝に出会ってしまう。愕然とする彼。空しさで胸が一杯になる。ああ、もうダメだ。巨大化の追求には終わりがない。安心出来る日は来ない。絶望の内に、彼はお宿を捨てて裸一貫で砂地を這って行く。だが貝殻無しで、柔肌の宿かりが生きていけるわけはない。

かくして、成長願望病は、農夫パホームにとっても、巨大宿かりにとっても、等しく、死に至る病弊であった。

読書体験まで、このように非にして似たる共通項があるとは、いかなることか。そんな風に思ってゾクゾクしながら読み進むと、また、驚くべき共通項に出会った。鈴木先生は東京府立第四中学校の出身者だ。現都立戸山高校である。何と、筆者も戸山高校を卒業している。

さらにいえば、筆者の祖父が四中(「しちゅう」と読む。)卒なのである。むろん、鈴木先生の時代も我が祖父の時代も、四中に女子はいなかった。戸山高校時代となっても、筆者の在学中は、女子に対しては「いない振り。見ない振り。」をする先生方もいた。

鈴木先生もご指摘の通り、四中は全くのスパルタ学園で、筆者の時代の戸山高校にもその片鱗が残っていた。だが、同時に物事を斜に構えてみる知性は、大いに育んでくれる教師陣が勢ぞろいしていた。鈴木先生の時代もそうであったに違いない。これで、鈴木先生の大いなるひねくれ精神のルーツが解った。

思えば、今の時代ほど、反骨とひねくれを強く求めている時代はない。あまりにも多くの人々が、あまりにも多くの情報を共有している。この中で、独自性があり、しかもまっとうな判断力を維持していくためには、相当に筋金入りのひねくれ者である必要がある。ひねくれの歩く金字塔。それが鈴木孝夫という存在だ。それを確信させてくれる本書だ。

以上を踏まえた上で、これまた僭越であること甚だしいが、鈴木先生に筆者から2つのお願いかたがた注文がある。第一に、1つ考え直して頂きたいことがある。第二に、もう1冊、別の本をお書き頂きたい。

考え直して頂きたいことは、次の通りだ。本書の中で、鈴木先生はホモ・フィロソフィクスすなわち哲学する者が不在のまま、ホモ・エコノミクス(経済人間)とホモ・ファベル(技術人間)が幅をきかせることが問題だとされている。これは追求が甘いと思うのである。

そもそも、哲学すること無くして、経済活動を行えるはずがない。経済活動は人間の営みだ。経済活動を行う生き物は人間しかいない。人間による最も人間らしき営み。それが経済活動だ。その意味で、経済活動は人間の存在の証でもある。

人間の存在証明である経済活動が営まれる時、そこに哲学が無くしてどうするか。知的節度がなくてどうするか。人間らしき共感性がなくてどうするか。考えざる者、経済活動にいそしむなかれだ。

哲学無き者はホモ・エコノミクスでは有り得ない。そもそも、ホモでさえ有り得ないだろう。ホモ・フィロソフィクスが不在なところで、ホモ・エコノミクスが幅をきかせるはずがない。哲学不在で幅をきかせている活動を、そもそも経済活動と呼んではいけないと思うのである。ここを、もっと情け容赦無く糾弾して頂きたい。

第二点に進む。お書き頂きたい本である。題名がもう決まっている。「人にはどれだけのカネが必要か」である。「カネ」は「金」でもいい。ただ、「金」だと「キン」と混同されるかもしれない。やはり、「カネ」がいいのではないかと思う。今の時代、ヒト・モノ・カネの中で、一番出しゃばっているのが、カネだ。それこそ、一番、幅をきかせてはいけない存在が、一番、幅をきかせている。この不条理に対して、鈴木先生の至高の知性をもって切り込んで頂きたいのである。

スパルタ学園の後輩からのたってのお願いである。きっと、聞き入れて頂けるものと確信する。

(2014年2月、同志社大学大学院教授)
 

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