ペペロンチーノを科学する世紀の奇書『男のパスタ道』は「いきの構造」にならぶ(かもしれない)名著である

仲野 徹2014年06月14日 印刷向け表示
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男のパスタ道 (日経プレミアシリーズ)
作者:土屋 敦
出版社:日本経済新聞出版社
発売日:2014-06-10
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料理研究家・土屋敦が編み出すレシピは、どれもとてもシンプルで美味しい。だから、ひょっとしたら横着な男なのではないかと思っていた。実物を見ても、なんとなくそういう印象がしないでもない。しかし現実は真逆、オタク的執着心の権化だ。

そうでなければ、豚の角煮のレシピだけを27も集めた本『なんたって豚の角煮』など出版するはずがない。世界中のどこに、豚の角煮でそんなにたくさんのレシピを必要とする人間がいるのというのだ。

というのが常識的な判断だろう。しかし、世の中は広い。アマゾンをチェックすると、四つもレビューが載っていて、いずれも五つ星。わけわからん。が、ふと、土屋敦は四人家族であることを思い出してしまったりした。

こんどはペペロンチーノで本を一冊である。さすがに、ペペロンチーノのレシピを27も紹介する、という愚を犯してはいない。美味しいペペロンチーノを作りたいという一心で、すぐれて科学的な実験を繰り返すという探究心あふれた本だ。正直に言おう、文系の土屋がここまでがんばったことに素直に感動した。

七章立て240ページからなる本であるが、その三分の二は、パスタのゆで方に費やされている。そこだけでなんと8万字。その解析はきわめてサイエンティフィックだ。いきなりパスタにとりかかったりはしない。第一章では、パスタの原材料であるデュラム・セモリナからデンプンとタンパク質を抽出し、それぞれの性質を調べていく。パスタ本と思って読み出すと、ここでイヤになるかもしれない。しかし、スポーツでも研究でも、こういった基礎的なトレーニングが大事なのである。

デンプンの主成分であるアミロペクチンが乾燥パスタの糊化(水をすってふくらむ現象)にうんぬんかんぬん。タンパク質の主成分の一つであるグルテニンの構造が歯ごたえにどうたらこうたら。このあたりをぼんやりとでも理解しておかないと、第二章以降に繰り広げられる、パスタのゆで方をめぐる実験成果の解釈がおもしろくない。

第二章では、塩をどれくらいいれるかを見極めていく。いろいろな塩分濃度で実験を繰り返し、最適な量を決定する。それだけにとどまらない。従来はパスタをゆでるときに塩をいれるのは沸点をあげるためだと考えられていた。しかし、土屋は、第一章での実験結果もふまえて、そうではないと断言する。常識の打破、科学の醍醐味はここにある。

そして、どんなパスタがいいか、どれくらいの水を使えばいいか、どのようなゆで方をすればいいか、などと考察がすすめられていく。ここでも土屋は重要な発見をする。食べやすいパスタの長さは17センチであると。しかし、売られているほとんどのパスタは25センチだ。どうせえっちゅうねん!

しかし、ひょっとして、この本が爆発的に売れて、日本人のパスタリテラシーが書き換えられたりしたら、どこぞのメーカーが『食べやすさ最高!土屋敦が絶賛する世界初の17センチパスタ』とかが売り出される日がくるかもしれない。こないと思うけど。

この本の真骨頂は、ゆで方が一段落ついた第五章『オリーブオイルは使うな』にある。科学的研究には、水平に展開するような研究と、垂直に突破するような研究がある。もちろん前者よりも後者の方が高い評価を得る。

第四章までのパスタのゆで方は、重要な内容を含んでいるとはいうものの、塩の量をどうするか、ゆでる温度をどうするか、パスタの長さをどうするか、など、量的な最適化にすぎない。しかし、第五章は違う。オリーブオイルではなく、ある油を使うとペペロンチーノの味にすばらしい変化がおきるというのだ。

これは、ペペロンチーノ界(そんなもんあるんか…)に驚天動地の騒動をひきおこすかもしれない大発見だ。おそらく、これを知った世界中のペペロンチーノ者たちは、密かにレシピを変えるに違いない。なんの油か?それは本を読んでもらいたい。

大発見であるにもかかわらず、奥ゆかしい土屋は自慢したりしない。しかし、巻末に紹介する四つのレシピどれにも、その油がとりいれられていることから、自信の程がうかがえる。その是非は後世の判断にゆだねたい、ということなのだろう。

私にはわかる。このひらめきは、科学の女神が、ゆで方を最適化するというばかばかしいほど地道な研究に汗を流して励む土屋を見て、不憫に思い、かわいそうにと微笑んだからこそもたらされたものであるということが。

その四つのレシピ。まずは、『勝負ペペロン』。誰と何をどう勝負したいのかしらんが、最強のレシピがそう名付けられている。そこには、長年にわたる研究の成果が詰め込まれているだけあって、じゃまくさすぎる。さすがの土屋もその程度の判断力はあるようで、ちょっと手を抜いた『休日ペペロン』、さらにお手軽な『時短ペペロン』、そして少し風味のちがう『生パスタ風ペペロン』の四つが紹介されている。

驚くべきは、これだけの実験をこなしたにも関わらず、レシピをたった四つにまとめ上げていることだ。土屋敦、豚の角煮で27ものレシピを書いたのに比べると、すばらしく大人になっている。この成長を心から賞したい。

おそらく、書店では、料理本か趣味本の棚に置かれることになるだろう。しかし、ここに書いたように、もっとふさわしいのは科学書の棚だ。が、世の中には、京都にある恵文社のように、「えっ、この本の隣にこの本とくるかぁ」系書店というのがある。もし私がそのような書店の店長なら、九鬼周造いきの構造』の隣においてみたい。

この本を読み進みながら、その名著を思い出していた。いきの構造を読んだ時、なんでこの人は『いき』というものを、ここまで執着心をもって微に入り細を穿ち考察するのだろう、という印象を強く持った。叱られるのを承知でいうと、哲学的考察というものをパロディー化しているのではないかとすら思ったほどである。

その姿勢、土屋のペペロンチーノに対する姿勢と重なるではないか。もちろん、いきとパスタ、哲学的考察と実験的考察、誰もが認める哲学者と自称「書斎派パスタ求道者」という大きな違いはある。しかし、両者には絶対矛盾的な同一感がある。土屋は、この本の大成功により、すくなくともペペロン界においては、九鬼周造と並び称されるようになるはずだ。 

なんたって豚の角煮 (だいわ文庫)
作者:土屋 敦
出版社:大和書房
発売日:2007-11-09
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 たくさんの角煮レシピを知ってても意味ないけど、コラムはむっちゃおもろいです。
 

「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)
作者:九鬼 周造
出版社:岩波書店
発売日:1979-09-17
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 現代語訳版とか、注釈版とかもでてますが、それほど難しい本ではありません。

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