【連載】『男のパスタ道』第4回間違いだらけの「ゆで汁と塩」の常識

土屋 敦 2014年8月26日 印刷向け表示
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アルンデンテとコシを科学的に考察した、第2回第3回はちょっと難しかったかもしれない。そこで今回は、ちょっとした息抜きの意味も兼ねて、パスタのゆで方をめぐる言説の真相、意外な事実などを、どんどん紹介していきたい。

塩とコシ

まずはこんな説から。

「塩を入れると沸点が上がって高温でゆでることができるので、パスタにコシが出る」

よく聞く話だが、実際に計算して検証してみよう。まず水1リットルに塩10グラムを入れた場合、沸点はどれぐらい上昇するのか。水のモル沸点上昇は約0.52K・kg/mol。簡単に言うと、1リットルの水に1モルの物質が溶解していれば、沸点は0.52度上がるということだ。塩化ナトリウム1モルの質量は58.4グラムだから、ゆで汁に投入する10グラムは10÷58.4=約0.17モルに相当する。ただし、塩は水の中でナトリウムイオンと塩化イオンに分離するので、モル数で考えると2倍になる。つまり、塩10グラムを入れるというのは、0.17×2=0.34モルの物質が水に溶融することを意味する。なので、沸点は0.34×0.52=約0.18度上昇すると計算できる。

同様に、計算上、塩6グラムなら約0.1度、塩25グラムなら約0.45度、塩30グラムなら約0.53度、沸点が上がる。塩を30グラムも入れたとしても、沸点は1度以下の上昇だ。ただし、このわずかな温度上昇が、パスタのコシに影響を及ぼさないとは言い切れない。

そこで、アレニウスの式というものを持ちだしてみる。これは、ある温度における化学反応の速度を予測する式で、工業製品の耐久テストなどに目安として使われるものだ。ややこしいのちょっと端折るが、「活性化エネルギー」(化学反応がおこるためにその物質に与える必要がある最低限のエネルギー)を50kJ/molとした場合、1リットルの水に塩を25グラム入れたとき、つまり沸点が0.45度上がったとき、アレニウスの式を用いると、化学反応の速度は1.02倍になる。

ちなみに、沸点が10度上昇し、110度のときの化学反応の速度は、100度のときの1.52倍。10度違えば、化学反応が1.5倍も違う。この場合、110度でゆでたときの1分は、100度でゆでたときの約1分30秒に相当する。つまり100度だと9分でゆであがるパスタは、約6分でゆであがる。10度の沸点上昇は、パスタに大きな影響をもたらすものと思われる。

しかし、1リットルの水に塩を25グラム入れ、沸点が100.45度でゆでたときの1分は、100度でゆでたときの約1分1秒にしか相当しないのだ。つまり、9分ゆでても、差は9秒程度。これでは、ゆであがったパスタをザルに上げたり、トングでつかんで容器に移したりする際に生じる誤差とさして変わらない。

つまり、ゆで汁に塩を入れて少し沸点を上げたとしても、化学反応にはほとんど影響がないということだ。たしかに塩を入れれば沸点は上がる。しかし、0.5度ぐらい沸点が上がったからといって、パスタには影響を与えない。これが結論だ。つまり「沸点を上げるのが目的で塩を入れる」のは俗説である。

塩と沸点

「ゆで汁を入れる際に、水に塩を入れてから火にかけると沸騰するのに時間がかかるから、塩は水が沸騰してから入れろ」

これは、複数のイタリア料理のシェフから言われたことで、一部のパスタレシピ本にも記述されている。おそらく「塩を入れると沸点が上昇するから、沸騰するのに時間がかかる」という理屈なのだと思う。

パスタをゆでる1~2パーセント程度の食塩水で考えたいのだが、そのデータが見つからなかったので、ここでは海水(3.9パーセントの塩水)と真水を比較してみる。真水1グラムを1度上昇させるのに必要な熱量は1カロリーだが、これが海水だと0.94カロリー程度ですむ。塩水のほうが少ないエネルギーで温度上昇するのである。つまり塩水のほうが真水よりあたたまりやすいのだ。

海水の沸点はたしかに高く、100.7度。20度の海水を沸騰させるためには、100.7-20=80.7度、上昇させないといけない。海水1グラムを1度上げるのに0.94カロリー使うなら、沸騰させるのに0.94×80.7=75.857カロリーが必要になる。

一方、真水の沸点は100度と海水より低いのだが、1度上げるのに1カロリー必要だから、20度の真水1グラムを沸騰させるには1×80=80カロリーが必要になる。つまり、真水を沸騰させるほうが、大きな熱量が必要なのだ。同じ火加減で熱を加えた場合、当然ながら海水のほうが早く沸騰することになる。

パスタのゆで汁の塩分濃度は海水より低いので、この差は縮まる。沸騰するまでの時間差はほとんどないと考えるのが妥当だ。最初から塩を入れても、沸騰してから塩を入れても、特に差はない。あえて言うなら、先に塩を入れたほうが沸騰はごくわずかながら早くなる。つまり、「塩は水が沸騰してから塩を入れろ」というのは誤りである。

岩塩か海塩か

「塩は岩塩を使え」

元日本塩工業会顧問の尾方昇氏のウェブサイト「塩の情報室」によれば、岩塩にはミネラル分は含まれておらず、食塩同様、塩化ナトリウムが99パーセント以上を占めるのだそうだ(ただし、あとからマグネシウムなどを添加することで98パーセント程度になった商品もある)。岩塩は自然のなかで長い時間かけて精製された、純度の高い塩化ナトリウムの結晶なのである。日本で入手しやすい岩塩の多くは「溶解法」で精製されたもので、岩塩を一度水に溶かして炊いたもので、その特徴はふつうの食塩と変わらない。したがって、溶解法の岩塩を使用する意味はないことになる。

一方、溶解法ではなく、鉱床から直接採掘した岩塩も存在する。しかしこちらにも不純物は含まれるものの、マグネシウムなどのミネラル分はほとんどない。採掘岩塩と精製岩塩の最大の違いは、採掘岩塩のほうが硬く溶けにくいことであるという。

そんなことはない、岩塩は甘味があっておいしい、という人もいるかもしれない。実際私も採掘岩塩の舐めたときには甘味を感じた。しかし、前出の尾方氏によれば、岩塩が溶けにくく、溶解速度が非常に遅いために、塩味を薄く感じるためだという。

実際には採掘岩塩を使ってパスタをゆで、二重盲検法で比較したが、違いはわからなかった。パスタをゆでる際の塩に岩塩を推奨するイタリア料理のシェフもいるが、意味はないようだ。

ヨーロッパで使用される塩は岩塩、それも溶解岩塩が主流だ。しかし水は硬水でマグネシウムやカルシウムが入っており、これらはパスタの食感によい影響を与える。一方日本は軟水の国で、水にマグネシウムなどはあまり含まれていない。しかし、にがり成分の入った海塩を使えば、やはりゆで汁にマグネシウムなどを添加できる。その意味で、日本では、ゆで汁にはにがり成分の入った海塩を使用するのがいいだろう。

塩の効果

「パスタに塩を入れないでゆでると浸透圧の関係でソースが水っぽくなる」

浸透圧、などと言われるともっともらしいが、浸透圧とは、溶媒(食塩水で言えば水が溶媒、塩は溶質と呼ぶ)だけを通す半透膜を挟んで濃度の異なる溶液がある場合、溶媒が濃度の濃い溶液のほうへ移動することだ。細胞膜は半透膜である。なので、野菜や肉には浸透圧の問題が出てくる。しかし、残念ながらパスタには半透膜は存在しない。つまり、浸透圧とパスタは無関係だ。

「塩水でゆでると塩析という現象でパスタのタンパク質が固まる」

ここでももっともらしい用語がでてきたが、これもよくわらない。塩析は液体に分散したコロイド粒子を、飽和食塩水など、高濃度の食塩水で沈殿させることだ。パスタにはそんなに濃い塩水を使用することもないし、コシやアルデンテとも関わりがないように思える。

ではなぜ塩析などというものが持ちだされるようになったのか。これについては悩みつつも私なりの結論も出してみた。少しややこしいが、興味のある方はこちら(https://note.mu/tsuchiya/n/n84cd1351cb8d)に書いたので読んでいただければ幸いだ。

パスタと冷水

「パスタを水で冷やしちゃだめ!」

私も若いころ、自分の親世代の人がパスタを冷水に取っているのを見てバカにしていた(お母さん、ごめんなさい)。しかし、実はイタリアでもつい最近までパスタを水で冷やしていたのだ。

パスタがお粥のようにくたくたにゆでられ、そのまま食べられていた時代は、もちろん水洗いはしなかった。『パスタの歴史』(原書房)によれば、最初に柔らかいパスタに意義を唱えられたのは17世紀初頭のこと。フィレンツェに住む音楽家で、素人の料理愛好家だったジョヴァンニ・デル・トゥルコが『エプラリオ』という料理書を現し、ゆであがったパスタが「締まって硬くなる」ように冷水に取ることを勧めたのだ。この方法は、近代の初期にはイタリアで普及していたと思われる、と『パスタの歴史』にはある。そして「当時のイタリア料理においては、パスタを水で冷やすことも珍しくなく、家庭にいたっては20世紀末になってもこの習慣は廃れていなかった」というのである。

われわれパスタ好きは、薀蓄を語り、アルデンテにこだわり、ゆですぎたり、パスタを水で洗ったりする人を嘲笑したりしがちだ(それゆえ、ウザい! と敬遠されるのだ。まあ、それを言ったら『男のパスタ道』ほどウザい本はないわけだが…….)。しかし、パスタの長い歴史においては、アルデンテも、パスタを水でゆでなくなったのも、ほんのつい最近の出来事。歴史に敬意を表し、われわれはもっと謙虚にならねばなるまい。

では、なぜイタリアではパスタは冷水で洗わなくなったのか。あくまで想像だが、これはアルデンテの思想の広がりと両輪をなしているように思う。パスタを冷水で洗うことが前提なら、パスタをちょうどよい火加減までゆで、そのうえで冷水で加熱や糊化の進行を素早く止め、安定した状態にすることができる。しかし、もし冷水で冷やすことが難しい環境にあったら、早めに引き上げ、余熱でちょうどよいゆで加減まで持っていくことになるだろう。

ナポリっ子とパスタ(寓話)

以下は私が考えた寓話である。

18世紀のナポリ。スパゲッティ屋の屋台は、いつものように労働者たちでにぎわっていた。パスタがゆであがると、店主は手際よくトマトソースをからめ、削った硬質チーズをふりかけて、客に供す。混沌としたなか、客たちはパスタやソースの量が少ないと文句を言いつつ、手でパスタをわしづかみにして口に運ぶ。

路上の屋台では水は貴重だ。パスタを洗うために大量の水を使うなど、もったいなくてできない。そこで店主はパスタがゆですぎにならないよう、少し固い状態のまま、引き上げるようにした。余熱でパスタがちょうどよい柔らかさになる、という算段だ。

そして実際、あそこのパスタはちょうどいいゆで具合だ。伸びてないと評判に。しかし人気が出てくれると、せっかちな客たちは、余熱調理のために早めに引き上げた、まだ硬めのパスタへと我先に手を伸ばし、食べてしまう。

その硬めのパスタは、プツプツと歯切れがよく、その新しい食感は刺激的だ。そこで、さらに人気が出て、つねにゆでたてでアルデンテのパスタが供されるようになる。あわてた他の屋台も次々に真似しはじめ……。

さて、硬いパスタの刺激を一度知ってしまった人たちは、やわらかなパスタにもの足りなさを感じるようになった。ますます強い刺激を求め、屋台の出すアルデンテの食感はさらに強くなっていく。ナポリっ子たちは口々に言うようになった。

「歯ごたえのあるパスタは粋だねぇ。フニャフニャとやわらかいパスタなんざ野暮だよ」

妄想が暴走し、私の脳内でナポリ人のキャラクターが、落語に出てくる江戸っ子にすっかり替わってしまっているが、江戸っ子が、生物としては危険を感じるほど熱い風呂を好んだように、ナポリっ子は、やわらかいものを好む人間生来の志向に逆らって、「固有の文化」としてアルデンテを好むようになった。そして、その文化が、20世紀中盤から現在にかけて、徐々に世界中に広まっていっているというわけだ。

ともあれ、水で冷せない状況や、あるいはパスタの香りなどにこだわって水で冷したくないという信条などがあった場合、麺の弾力や硬さを担保するには、麺を早く引き上げるのが一番だ。それがアルデンテのゆで方を生み、その食感が受け入れられていったのではないのかと私は思っている。

さてさて、次回はついに最終回。いよいよペペロンチーノを作ります!

第5回につづく

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土屋敦(つちや・あつし) 料理研究家、ライター。1969年東京都生まれ。慶應大学経済学部卒業。出版社で週刊誌編集ののち寿退社。京都での主夫生活を経て中米各国に滞在、ホンジュラスで災害支援NGOを立ち上げる。その後佐渡島で半農生活を送りつつ、情報サイト・オールアバウトの「男の料理」ガイドを務め、雑誌等の書評執筆開始。現在は山梨の仕事場で畑仕事をしながら執筆活動を行う他、書評サイトHONZの編集長。自称「書斎派パスタ求道者」。著書に『なんたって、豚の角煮』(だいわ文庫)他。近著『男のパスタ道』(日経プレミアシリーズ)が革命的(あるいは偏執的)レシピ本として各メディアで評判に
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