『暴力の人類史』 人類史上もっとも平和な時代

村上 浩2015年02月12日 印刷向け表示
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暴力の人類史 上
作者:スティーブン・ピンカー
出版社:青土社
発売日:2015-01-28
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暴力の人類史 下
作者:スティーブン・ピンカー
出版社:青土社
発売日:2015-01-28
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 テロ、紛争、無差別殺人。世界は悲劇的なニュースで溢れている。人類は自らの手でその未来を閉ざしてしまうのではないか、と不安になる。ところが、著者スティーブン・ピンカーは大胆にもこう主張する。

長い歳月のあいだに人間の暴力は減少し、今日、私たちは人類が地上に出現して以来、最も平和な時代に暮らしているかもしれない

にわかに信じがたいこの説を検証し、読者に確信させるためにピンカーは、人類の暴力の歴史を大量の統計データとともに振り返る。本書が上下で1,300ページ超という並外れたボリュームで膨大な文献を引用しているのは、並外れた説の主張にはそれに見合った証拠を提出する必要があるからだ。しかし、ピンカーが「統計のない物語が盲目であるとするならば、物語のない統計は空疎である」と語るように、本書はデータばかりが延々と続く退屈なものではない。持続的な暴力減少を示す圧倒的な事実の積み重ねとそのメカニズムに対する深い考察は、世界が野蛮化しているという肌感覚が誤りであることを思い知り、人類の未来に明るい光を感じさせてくれる。

時計の針を巻き戻し、過去の人類がどれほど野蛮だったかを垣間見よう。例えば、中世ヨーロッパ。そこでの拷問は大衆娯楽であり、死刑囚が車裂き等の刑で悲鳴をあげる姿に善良な市民が拍手喝采していた。これだけでも十分に異様だが、当時最も人気のスポーツは両手を縛られた選手が猫を頭突きでどれだけ早く殺せるかを競うものだったというのだから想像するだけでも気分が悪くなる。これは中世ヨーロッパが特別だったということではなく、世界の各地で、あらゆる時代で起こった暴力の一例に過ぎないのだということが、本書でこれでもかと紹介される人類の野蛮の歴史が教えてくれる。

中世まで戻らなくとも、21世紀が暴力を抑えこむことに成功していると実感するような、過去の野蛮を示す事例は山ほどある。ほんの60年前、米国大統領ハリー・トルーマンは、歌手の卵だった娘のデビュー公演を批評家にこきおろされた。そして、怒りにかられたトルーマンはこの批評家に「ぶん殴ってやる」という主旨の手紙を送りつけたのだ。現代では権力の頂点にあるものが暴力行為をほのめかすことさえ考えられないが、当時このようなトルーマンの姿は騎士道精神の現れとして尊敬されていた。暴力はその数や強度が減少しているだけではなく、暴力に対する考え方も大きく変化している。なぜ、どのようにして、こんな変化が起ったのか。人間は暴力性にまみれた悪魔なのか、それとも真に暴力を克服できる天使なのか。

これらの問に答えるために、著者は先ず暴力性の後退を6つの大きなトレンドに分類して考察する。その6つとは、狩猟採集から統治機構を持つ農耕社会への移行に伴う「平和化のプロセス」、中世後半からみられた中央集権的統治と商業基盤の確立による「文明化のプロセス」、ヨーロッパ啓蒙主義によって奴隷制や拷問・迷信などを克服した「人道主義革命」、第二次第戦後に超大国・先進国同士が戦争しなくなった「長い平和」、冷戦終結後に紛争・内戦・独裁政権による弾圧が低下した「新しい平和」、そして1948年世界人権宣言以降に少数民族や女性に対する暴力が嫌悪されるようになった「権利革命」である。あらゆる角度から、暴力減少の経緯が確かめられ、その変化をもたらした外的要因が分析されていく。

そして、ここからが進化心理学者たるピンカーの本領発揮。人類の心に潜むどのような悪魔が凄惨な暴力をもたらしてきたのか、どのような天使が暴力を抑えこんできたのかを、脳科学や心理学的システムの枠組みで読み解いていく。暴力は自尊心の不足ではなく過剰によってこそもたらされること、共感の輪を広げるよりも個々人の権利の尊重が暴力抑制に効果を発揮することなど、巷にあふれる通説とは異なる主張も多い。また彼は「世界には道徳があふれすぎている」と言い、「人間の道徳感覚は、どんな残虐行為にも、その行為を犯す人の頭のなかに言い訳をもたらせる」と警告している。道徳教育の強化を始める前に、ピンカーの言葉に耳を傾ける必要があるかもしれない。名誉のために人を殺すことも殺されることも珍しいことではないのだ。

暴力を見る目を大きく変えたのは、17世紀の科学革命から18世紀末の啓蒙主義にいたる「人道主義革命」である。それまでの戦争はカエサルのように勇ましく「来た、見た、勝った」と喝采するものだったが、その後は「こちらは何もしなかったら向こうが攻撃してきたので応戦した」と言い訳を要するものへと変化していく。20世紀は“戦争の世紀”、“ジェノサイドの世紀”と形容されることも多い。確かに20世紀に起った戦争・ジェノサイドは悲劇に違いないが、戦争やジェノサイドは19世紀以前においても頻発していた。つまり、20世紀は戦争やジェノサイドが疑う余地のない悪であると広く認められた初めての世紀なのである。

魔女の殺害や囚人に対する拷問という残虐行為を「あって当然」から「ありえない」へと変化させたこの人道主義革命を駆動した要因の1つは、書籍。グーテンベルクによる活版印刷の発明を経て、17~18世紀に出版物は爆発的に増加し、それに伴い識字率も飛躍的に向上していく。やがて読書という行為は、宗教的な本を集団で繰り返し読むことから、世俗的なものから時事ニュースまで幅広いものを個人で読むことへと変化していった。

情報は唯一のコンテンツプロバイダーである教会から与えられるだけだった、それまでの小さな村という部族社会から、さまざまな人や場所、多様な文化やアイデアが次々に通り過ぎる走馬灯のような体験へ。こうした精神の拡大が、人びとの感情や信念に人道主義的要素を吹き込んだのだ。

本書では暴力に関する神話のベールが次々と剥がされる。パクス・アメリカーナやパクス・ブリタニカのような「専制的平和」を求める声も確かにある。しかし統計データに信を置けば、「米英のいずれかが世界に冠たる軍事大国だった時代のほうが、多くの大国のうちの一つでしかなかった時代と比べて、とくに平和だったわけではない」ことが分かる。他にも、1973年の妊娠中絶法が1990年代のアメリカの暴力犯罪低下をもたらした、という『ヤバい経済学』で広く知れ渡った説の欠点や多くの学者が認めたがらない「割れ窓理論」の真の効能を指摘するなど、世界を見る目のウロコがぼろぼろと落ちていく。

暴力が減少していく一方で、向上を続けてきたものがある。それは、人類の理性の力と抽象的推論能力だ(後者の継続的向上は「フリン効果」と呼ばれる)。2つの力の組み合わせによって、私たちは自己の経験に囚われることなく、広い視野を持ち、暴力回避という選択肢を選ぶことができるようになっているのだ。現代を生きる我々の思考はすでに、近代以前を生きていた人びとのそれとは異なっているという。ある心理学者がソ連の僻地に住む農民に行った質問とその回答をには、驚かざるをえない。

Q:魚とカラスに共通する点はなんですか。
A:魚か-魚は水中に住む。カラスは空を飛ぶ。もし魚が水の上にちょっと顔を出せば、カラスがそれをつつく。カラスは魚を食べられるが、魚はカラスを食べられない。

質問者が「動物」というヒントを出しても、回答者はその意図を理解できなかった。これでは他者の視点に立つことは難しいだろう。徹底して自身の経験にのみ基づくことが他者との摩擦を増大させ、その後の暴力の呼び水となることは想像に難くない。

ここで紹介したもの以外にも、暴力減少のメカニズムに対するゲーム理論を用いた考察など興味深い点をあげればきりがない。そして、この大著を通してピンカーが繰り返し強調しているのは、本書は予言の書でないということ。本書で示されたのはあくまで過去の事実とその因果関係への考察であり、これからも暴力が減少し続けていく確証などないのだ。それでも、歴史をつぶさに観察すれば、人類が今後より大きな暴力に見舞われる確率は小さくなっていると考えられる根拠は多く、人類はこれまでに暴力を制御することに成功した要因から学べるはずだ。より平和な未来をつくるためのヒントがこの本にはある。

文明と戦争 (上)
作者:アザー・ガット
出版社:中央公論新社
発売日:2012-08-09
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暴力の中でも特に戦争にフォーカスが当てられた一冊。こちらも先史時代にまで歴史をさかのぼり、文明と戦争の関係性を上下巻で徹底的に検証していく。戦争は人類に課せられた宿命なのか、我々は戦争を乗り越えることができるのか、人間の本性に対する深い考察も得られる。『暴力の人類史』でも参考文献としてあげられている。レビューはこちら

政治の起源 上 人類以前からフランス革命まで
作者:フランシス・フクヤマ
出版社:講談社
発売日:2013-11-06
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 「平和化のプロセス」において重要な役割を果たした中央集権国家がどのように誕生したかを知ることができる一冊。リヴァイアサンとして暴力を独占する国家の出現は、世界を圧倒的に平和なものとした。フクヤマは近代国家を形成する3つの要素、中央集権国家、法の支配、説明責任を持った統治機構、がどのように発生したかを考察していく。上巻のレビュー。下巻のレビュー。昨年発売されたばかりの最新作『Political Order and Political Decay』も早くも話題となっている。

女性のいない世界 性比不均衡がもたらす恐怖のシナリオ
作者:マーラ・ヴィステンドール
出版社:講談社
発売日:2012-06-22
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 若い男性の増加は暴力発生の確率を如実に増加させる。そして、世界は確実にそちらの方向に向かっている。なにしろ、存在するべきはずの女性が1億人以上も世界から姿を消しているのだ。何が女性のいない世界をもたらしたのか、女性のいない世界はどのように悲惨なのか。驚くべき実態を伝える衝撃のルポルタージュ。レビューはこちら

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ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
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出版社:中央公論新社
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