2015年、最高の一冊を決める! さっそく意気込んでみたものの、なかなかの難題である。何をもって最高とするのか。今年最も注目を集めた一冊なのか? それとも最も売れた一冊なのか?
どちらでもないだろう。我々が本に求めているのは、マスメディア的なものではない。それなら、どのような本を求めてきたのか? 情報の送り手としての立場ではなく、今一度、読書人としての基本に立ち返ってみる。
多くの人に影響を与える本よりも、一人の人生に狂わせるほど大きな影響を与えられる本。
たとえば自由について論じられた本よりも、存在そのものが自由である本。
今すぐ役立つ本よりも、5年後にも本棚から取り出したくなるような本。
時間を節約するための本よりも、時間を忘れられるような本。
答えが書かれた本よりも、問いを見つけられる本。
つまりは、本の世界をもっと広く捉えて楽しみ尽くしたい。このために必要となってくるのが、多くの人にとって未知のフロンティアとなっている領域への探究心である。だから25人のメンバーからは、25通りのNO.1が生まれた。
それでは2015年、HONZメンバーそれぞれの、最高の一冊を紹介してみよう。まずは、「2015年に加入した新メンバー with 仲野徹」から
冬木 糸一 今年「最も興奮した」一冊
今年読んでいて一番興奮したのは中国へ特派員として滞在した海外ジャーナリストが書いたルポタージュ『ネオ・チャイナ』だ。的確に中国の実情──大きな成長と同時に存在している異常な歪みを描き出しているが、そこで歪みにあらがって生きる人々はまるで英雄譚の主人公のように魅力的である。
現地で政府批判を行うジャーナリストは一歩間違えば問答無用で逮捕されてしまう危険と隣り合わせの中で「わかりにくい」言葉を使いながらなんとかチェックアンドバランスを得ようとしてみせる。あらゆるものを性急に、杜撰に進めようとする傾向から建設計画は各所で短縮され、その結果事故が起きて人がガンガン死ぬが、ウソまみれの政府発表と報道規制によってチェックは行われず、改められることはない。
中国文化論としてはもちろん、理屈にあわない理不尽の中で、それでも野望を抱き自分なりの理屈を通し、人生の幸福を掴みとらんとする人々の物語として是非オススメしたい。 ※ふるまいよしこさんの客員レビューはこちら
佐藤 瑛人 今年「最も今こそ読むべきと感じた」一冊
上半期のベストにも挙げたが、年間ベストも引き続き本書。ISISによるパリでのテロやサンバーナーディノでの銃乱射など下半期でも不穏なニュースが多かったからこそ、敢えてもう一度この本の重要性を強調しておきたい。テロを勘案しても長期的な暴力・殺人の発生率は下がっており、戦争・紛争による死者は減り続けている。日本も例外ではなく、毎年殺人事件の被害者数は過去最低を更新し続けているのは、法務省の発表している犯罪白書で誰でも確認できる。
人は歳をとるほど「昔はよかった」と言いたい気持ちになりがちだが、昔も今も「昔の方がよかった」ことなど人類の歴史においてほとんどないのだ。国家が戦争以外のことに税金の使い道を見つけたのは、せいぜいこの100年ほどで、社会福祉や公共サービスもそれ以前は存在しなかった。市民は自らの財産の所有権を確保し、階級や職業に関係なく無尽蔵な知識にアクセスすることができ、王侯や政治家の気まぐれで逮捕・処刑されることもない、幸せな21世紀という時代に生きていることを感謝しつつ読みたい一冊。 ※村上浩のレビューはこちら
仲野 徹 今年「なんといっても長かった」一冊
今年読んだ中でいちばん長かった本は『沈黙の山嶺 第一次世界大戦とマロリーのエヴェレスト』上下巻であった。2冊あわせて830ページ、それも二段組。タイトルから、英国の登山家ジョージ・マロリーのエベレスト登頂をめぐる本と思って読み始めたのに、延々と第一次世界大戦の凄惨な話が続いて、マロリーがようやく活躍し出すのは上巻の最後あたり。まるで詐欺商法である(笑)
内容はむちゃくちゃ面白かったので読み切れたが、なんせ長い。よくこんなに長くて売れそうもない(失礼!)本を訳す人がおるなぁ、どんな変わった人やねんと思っていたら、訳者の秋元さんがHONZに参加され、あまりにまっとうそうな人だったので心底がっかりした。
しかし、この読書体験は大きかった。分厚い本が怖くなくなったのだ。そうでなければ、『ルシファー・エフェクト』のような808ページもある本に手を出すこともなかったはずだ。
ウィキペディアによると、世界で一番厚い本は、コンテストに応募した4万人以上の子供たちの絵や文章を掲載した“Das dickste Buch des Universums”で、厚さ4.08m、50,560ページ、220kgらしい。来年はこの本に挑戦、と思うわけないわな。家に置くにはちょっと分厚すぎるし。
秋元 由紀 今年「最も手前味噌な」一冊
非常に手前味噌なのですが、やはりこの3年半、寝ても覚めても本書のことで頭がいっぱいだったので、紹介させていただきます。
今日、人が世界最高峰エヴェレストに登るのは(本人には一大事でも)そう珍しいことではない。しかし90年前、人間が初めて同山に挑んだ1920年代には、それは人間の限界を超えたとんでもない冒険だった。
当時の登山隊員のジョージ・マロリーが、なぜエヴェレストに登るのかとの問いに「そこにあるから」と答えたのは有名だ。でも、「そこ」も何も、初めはエヴェレストがどこにあるかも正確にはわかっていなかった。最初期の登山隊は、気象や地形の情報も不十分で装備も原始的なまま、デスゾーンに踏み込んだのである。
それでもマロリーたちは、自分たちは当然登る、登れるのだと信じて前進する。その姿勢には、一時は地球の4分の1近くを支配した大英帝国――登山隊を派遣したのも大英帝国である――の自信や尊大さが重なる。
著者は、1920年代の遠征隊隊員が大英帝国の人員であり、第一次世界大戦帰りが大多数であったことに着目し、マロリーを上へ上へと登らせた原因を深く探っていく。だから「延々と続く」第一次世界大戦の話こそが、本書の重要な肝なのである(笑)
単に「昔はたいへんだったのね」で片付けられない何かが心に残る、濃密な一冊に仕上げることができたと思う。 ※訳者解説はこちら
柴藤 亮介 今年「最も人類の未来を考えるキッカケになった」一冊
「インターネットの普及を基準点として、以前/以後で区分けしていくことに意味はあるのだろうか。」MITメディアラボの所長を勤める伊藤穣一氏の問いかけから始まる本書では、脳科学や科学、学際情報学などを専門とする6名の研究者たちにより、アフター・インターネットの世界観について描かれている。
遺伝子工学や合成生物学の進展により、私たちのアイデンティティの意味合いが変化して、倫理観のコントロールが必要となる「バイオ・イズ・ニューデジタル」の未来が到来したとき、私たち人類はどのような価値観を持つようになるのだろうか…。「進化」という言葉の意味をジックリ再考してみたくなる一冊でもある。
堀川 大樹 今年「最も脱力した」一冊
脱力、と言っても、期待はずれだったとか、そういう類の意味ではない。本書は読んだ者が背負っている変なプレッシャーを軽くしてくれ一冊だ。
私たちは他人や自分が作り出した妙に高い理想を実現しようとするあまり、無駄に自分たちの首を絞めていることがよくある。社会が複雑化した現代においては、仕事にしろ家庭にしろ、画一化された理想像をすべての人が追い求めるのは無理がある。
もっと力を抜いて、各人がそれぞれに合った生き方をすればいいんじゃないか。そんなことを、ニートである著者がこれまた脱力した文体で伝えてくれる。本書は。頑張りすぎて人生が苦しくなったときに読む処方箋となるだろう。
アーヤ藍 今年「最もギャップに萌えた」一冊
被災地・紛争地に関わる現場に足を運び、写真を撮るフォトジャーナリスト…と聞くと、使命感に燃えた熱い人で、自分とは違う世界に生きる崇高な人のようなイメージが湧いてくる。国際情勢に関心のある人は、一度は憧れを抱く職業かもしれない。
本書も装丁を見る限りは、そんな、真面目で、堅そうで、世界の重い現実が詰まっているような匂いがプンプンしてくる。
しかし本文の第一声が「カ、カネがない……」だ。
次のページには、
はっきり言ってぼくの生活はカッコ悪い。……1980年代の流行語「危険、汚い、きつい」の3Kに、「カネがない」と「カッコ悪い」……ぼくの場合、「カアチャンにいまだに頭が上がらない」を加えた6Kとなる。
と綴られ、2ページ目にして、頭の中のフォトジャーナリスト像はガラガラと崩れる。
その後も随所に自虐ネタが盛り込まれているが、イヤらしさはなく痛快で、決して誇張されているのでもなく、「現実」であるからこそ興味深い。
まるで大好きな落語を聴いているかのように、くすくす笑いながら、サクサク読み進められるが、気づくと今度は世界で起きているシリアスな現実、問題のなかに惹き込まれている…。
いろんな“ギャップ”に気づけば“虜”になっていた一冊だ。