『境界の民』 難民、遺民、抵抗者。彼らには”近代”が訪れなかった

2015年3月11日 印刷向け表示
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境界の民  難民、遺民、抵抗者。 国と国の境界線に立つ人々

作者:安田 峰俊
出版社:KADOKAWA/角川書店
発売日:2015-02-28
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今、世界のルールは動揺している。ここ数ヶ月だけを見ても、フランスの同化主義に相容れない移民二世によるシャルリー・エブド襲撃テロ事件が起き、「イスラム国」は国民国家体制をあざ笑うかのようにイラクからシリアにまたがって台頭してきている。昨年にまで遡れば、スコットランドでイギリスからの独立の是非が問われたり、ウクライナで内戦が勃発したのも記憶に新しいことだろう。

これらの出来事は、いずれも国民国家体制の「エラー部分」に弾き出されてしまったような少数の人々が、世界を揺るがしたということに共通点がある。

近代の幕開けを象徴する国民国家体制が初めて成立したのは17〜18世紀のヨーロッパでのこと。アジア諸国に至っては、19世紀後半から20世紀になってからの出来事であり、その歴史はまだ浅い。

それゆえ、当たり前のように感じているこの仕組みにも、境界域に目を向ければ意外と大きなスキマが見つかる。既存の国民国家の枠組みと、現実に生きている個人や文化習俗集団の自己認識や地域概念とが一致しない人たち。著者は、彼らのことを「境界の民」と呼ぶ。

一方でこれらの人々は、地球の裏側のみならず驚くほど身近にも存在している。本書に登場するのは日本とも縁の深い南ベトナム系の難民二世、少数民族問題に揺れるウイグル人、日中両国にルーツを持つ若者たち、山西軍閥高官の末裔、そして台湾のヒマワリ学連の学生たち。

このような「境界」に生きる人々がルールの書き換えを強く要求する昨今、我々に求められるのはどのような「まなざし」なのか?本書は、それを著者自身のルポルタージュでもって実践しようと試みた一冊である。

相対的に見て少数派である境界の民を、マジョリティの視点から切り取ることには幾重もの罠が潜む。最も顕著に見られるのは、対象がいかに「特殊」で「大変」で「弱く」て「可哀想」なのかを強調する手法である。

紋切り型の先入観の強さのみならず、ひどい場合には自分たちのイデオロギーや思い入れのためにマイノリティを手駒にし、彼らを大きく見誤らせるような濃い色を付けてしまうケースも散見される。

ならばどうすれば、等身大の彼らを理解することが出来るのか。それは多数派の中に潜む、無意識的な「傲慢」を自覚することによって初めて実現されるのだ。

自分自身の視線を限りなく相対化するために、境界の民に近づいていくる人を徹底的に観察する。そんな強い意志を感じさせるのが、ウイグルを舞台にした第三章、第四章「偽りのシルクロードーー迷走するウイグル」だ。

イスラム原理主義と中華文明圏が激突する民族問題の火薬庫、それが新疆ウイグル自治区。少数民族とはいえ1000万人以上の人口が存在し、民族も言葉も宗教も漢人とは異なるため、密告・尋問・虐殺・亡命といった言葉が日常を飛び交う。

そんなウイグルの支援には、他ならぬ日本も深く関わっており、ウイグル問題への抗議・啓発を行う民間団体として「日本ウイグル協会」という組織が存在するという。

この団体を取り巻く日本人たち。ある者は大時代的なアジア主義者を気取って在日ウイグル人に接し「情念派」と呼ばれた。そしてある者は、歴史に深い造詣を持つものの高飛車でわがままな一面を持ち「知識派」と呼ばれた。やがて彼らは「可哀想」なウイグル人をめぐって対立を深め、次第に両者とも姿を消していく。

その後現れたのが、「ネット派」と呼ばれる一味である。彼らは誠意と使命感こそ持っていたが、総じて歴史的な視野や政治的な問題の本質を見抜くソリューション能力に乏しかった。その結果、初めは傀儡首班に過ぎなかった協会トップの在日ウイグル人によって、したたかに利用されてしまう。

普通に付き合う。ただそれだけのことが、ここまで難しいものなのだろうかと思う。ウイグルを「道具」として利用した結果の成れの果て、それはより深い混迷への誘いであった。一方でその対極には、いたずらに幻想を抱きすぎたというケースも存在する。それが第六章で紹介される「甘すぎる毒の島ーー幻想としての台湾」。

台湾という土地には、不思議な磁力が存在するようだ。それを顕著に表したのが、昨年、学生たちの手によって引き起こされたヒマワリ学連の時。国民党の馬英九政権による中国大陸との貿易協定の強行採決に対しる抗議をめぐり、学生グループたちが議会の建物を占拠して法案の成立を阻止した事件については、日本でも数多く報道された。

当時、この取材に現地を訪れた著者は、国家と社会の未来を本気で考えている学生の真摯さに心を打たれ、思わずこう述べる。

個人的な気持ちとしては、どうしても君たちへの好意と共感を抑えられない

学生たちへの同調を強めていく姿勢は、著者以外の現地を訪れたジャーナリストにも総じて見られる傾向であった。しかし、同時に著者は同じような光景を日本で目にしても、心から応援することなどないだろうという正直な気持ちにも気が付く。

このように日本人の気持ちをダイレクトに揺さぶってくる台湾の情緒、その正体はマスコミの常套句によって形成されてきた固定概念ーー「台湾人はみな親日で、戦前の日本に対する親しみを持っている」という幻想を浮き彫りにしたものであった。

著者は周縁の中心に迫ることで、場所の呪縛から解き放たれる。そして、付かず離れずといった観光者目線からでは決して聞こえてこないセリフを耳にするのだ。

第二次大戦時の日本? えっ? 普通にダメじゃないですか

自分たちの存在を外部から規定されないということは、「あなたは何者か」「なぜここにいるのか」を常に問われ続けることを意味する。だから彼らはどこの国家にも媚びない姿勢を貫き、その未来を自分自身の手で守るためのしたたかさも併せ持つ。我々の情緒を刺激するのは、そんな彼らの多様な表情の一面に過ぎないのだ。

境界の民ーー国民国家というシステムから弾き出された彼らには、「近代」が訪れなかったと言えるのかもしれない。中世と現代がダイレクトに接続されることによって生まれた、新たな公界。そこは決してユートピアではなかったかもしれないが、大きなシステムと無縁であるがゆえの「自由」さが、個々人の心の中にはあった。

本書で紹介される様々な境界の核心を描き出す、著者の視座も揺るぎない。縦軸に「社会/個人」、横軸に「自由/不自由」。本書で描かれているのはマトリクスの一部分に過ぎないが、その余白があるからこそ、我々は彼らと対等に向き合える。「不自由」な社会の「自由」を切り取ることが、自ずと「自由」な社会の「不自由」を想起させるのだ。

突き詰めれば本書で問いかけているのは、自由な社会と個人は両立し得るのかという未来的なテーマであり、その絶妙なバランス感覚が実に不思議な読後感をもたらしている。

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