『臓器移植の人類学』生死の境界線は変わっていくか

山本 尚毅2015年03月26日 印刷向け表示
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臓器移植の人類学―身体の贈与と情動の経済
作者:山崎 吾郎
出版社:世界思想社
発売日:2015-03-02
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私たちの価値観はマクロな世論や制度設計、人々の具体的な実践や意識から影響を受け、知ってか知らずでか変化している。ひときわ新しい技術の導入は、私たちの価値観に不可逆な影響を与える。2つの異なる身体間での臓器の取引を可能にした臓器移植医療もその一つである。

著者は臓器移植医療における一番の当事者であるドナーとその家族、レシピエントから生の声を得ると同時に、歴史、理念、政治、制度、およびグローバルな秩序の生成を系譜学的に描き出して、俯瞰した視点から観察された個人の経験及び出来事を解釈していく。賛成・反対の立場をとるのではなく、臓器移植という主題に私たちが見ようとしてきたもの、そして見落としてきたものをできる限り広く収集し、深く突き詰めている。

脳死という言葉は、そもそも臓器移植をおこなうために生み出され、普及したというのが正しい

脳死が先だったのか、臓器移植医療の成立が先立ったのか、著者は複雑な科学と文化、理性と感情が入り組んでいる前後関係を丁寧に追跡していった。脳死は臓器移植医療が現実化する以前には「不可逆的昏睡」もしくは「超昏睡」と呼ばれていた。昏睡状態の人間は死んでいる訳ではないので、心臓を取り出すことはもちろん許されない。心臓の停止を待っていては心臓の移植ができないため、回復の可能性のない昏睡状態に代わって、脳死という概念が創り出された。

日本では1983年に厚生省に「脳死に関する研究班」が発足され、法律の制定に向けた本格的な議論が始まった。1997年に臓器移植法が制定されるまでの間、脳死及びその判定基準は「科学」の問題だけでなく、死の価値観を取り扱う「文化」の問題としても扱われて、論争が繰り広げられた。

しかし、法律が制定された後は、脳死及び移植医療の妥当性や有用性の議論から「いかにして移植医療を運用するか」という問題に、比重が移っていく。脳死はいつの間にか臓器移植医療を適切に運用する上での前提にすり替わり、死の定義に関する議論や、その科学的事実を巡る論争は相対化され、一つの論点にすぎなくなった。

臓器移植医療を運用する上での一番の問題点は、移植を必要とする患者に対して、国内で調達できる臓器の数が足りないことだった。臓器移植を待つ患者やその家族にとっては、生死をかけて手術を受ける可能性を求め、世界中を探し求める。臓器がどこで手に入るかのみに関心を持ち、日本に望みがないとわかれば、生き残りの選択肢を増やすために、国境を超えていく。一方でフィリピンでは、身体に二つ存在する腎臓を売って生活の糧にしようとする人々が存在した(著者の調査によると、日本では腎臓移植の平均的な待機年数は94.9年)。そうして、渡航移植医療にはインフォーマルな市場が形成されグローバルな取引が行われており、一国の医療政策で対応できない状況となっていた。

そういった経緯から経済格差を利用した臓器売買の増加を懸念した国際移植学会が2008年に渡航移植を非難し、自国での脳死や心臓死からの臓器提供を増やす努力をせよ、と表明した。脳死・移植医療はグローバルな統治の問題に接続され、とりわけ移植ツーリズムの温床となっていた日本では2009年の法律改正では、臓器不足を解消することが正当性を得、運用の効率性が議論の中心となった。

臓器移植の運用の効率性を高める別の大義として掲げられたのは医療経済的な側面である。一年間に新規透析導入される患者は増え続け、2009年は37,543人、透析医療費は国民総医療費の4-5%を占めるまでになった。腎臓移植は、しばしば透析医療と比較して生活の質の面で多くの利点があり、経済的にも安価な治療法であるとされている。この「経済的に安価である」とう事実が、特定の医療行為の正当性を裏づける論拠となり、脳死の判定や患者の経験のあり方が正当化された。つまり、経済観に立脚して考えを進めるならば、臓器移植医療をおこなうほうがより社会経済的なコストが少ないという主張が可能となった。

脳死・臓器移植という主題をめぐって、議論の出発点が脳死の判定基準から、臓器不足の解消へと別の方向へ進み、治療行為から数の調整へと向かった臓器移植医療の施策は、私たちの身近な生活にも見え隠れしている。運転免許証や健康保険証の裏面にある臓器提供意思表示カードはその一つだ。私たちはすでに臓器移植のシステムの中で、確率的に提供数をあげるための手段として、資源として認識され、マネージメントされている。

スペインの臓器提供が多い理由は金銭的なインセンティブであるという話を耳にする。しかし、それは誤解であって、国が戦略的に臓器提供増加に取り組んだ結果であることを、研究を深めるにつれて実感した。それは、あたかも持続的成長を遂げているエクセレントカンパニーの経営と相通ずるものがある

企業経営というレンズから覗くと、臓器提供を増やすために顧客管理システム(CRM)を構築し、私たちは意図せずして、その中にすでに取り込まれ、合理的に管理されている。ドナーとレシピエント間における臓器は純粋な贈与であり、金銭的な報酬は禁止されている。その一方で、国内並びにグローバル全体での臓器の数の調整には、特殊な経済合理性によって統治されている。そこに、生への新たな見方があると著者は本書の中でさらに切りこんでいく。

人間の生への渇望と未来への強い希求が、移植医療という技術を創造し、人間の死の境界線を変え、新たな社会システムを生成し、人間が生き延びるための選択肢と欲望を生み出した。生きるという欲望に根ざした不可逆な変化を受けいれることで恩恵を受ける反面で、ダイナミックな変化に翻弄されている。人間存在の根底である生と死でさえ、一度駆動したシステムを制御することはできないのだろう。 

すばらしい人間部品産業
作者:アンドリュー・キンブレル 翻訳:福岡 伸一
出版社:講談社
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成毛眞のレビュー

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