科学の最重要未解決問題『意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論』

佐藤 瑛人2015年06月08日 印刷向け表示
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意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論
作者:ジュリオ・トノーニ 翻訳:花本 知子
出版社:亜紀書房
発売日:2015-05-26
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「意識のハードプロブレム」とは何かご存知だろうか。端的に言うと「物質である脳が、どのようにして非物質である意識体験を生み出しているのか」という脳科学の未解決問題のことだ。哲学者のデイヴィッド・チャルマーズによって1994年に提唱され、それまで神経科学的な分析によって意識に関する謎はすべて解けたと考えていた研究者たちに大きな衝撃を与えた。

彼らが解決済みだと考えていたのは、あくまで「脳内で情報がどのように処理されているか」という機能的な問題だけであり、「意識はなぜどのように生じるのか」というもっとも根本的な問題は、実は手つかずのままだった。いや、科学者たちはあえて目を背けていた、というのが正しいかもしれない。

意識の科学的な起源に関する問いは300年以上をさかのぼり、18世紀初頭ライプニッツは次のように述べている。

視覚や聴覚などの感覚意識(中略)が、どのような力学的な仕組みから形成されるのかについては、はっきり言って説明不可能だと言わざるを得ない。

またライプニッツから150年後の1868年、空がなぜ青いのかを解明した物理学者のジョン・ティンダルも、意識と脳の関係性を明らかにすることは不可能だと考えていた。

脳内の物理化学現象と主観的な意識とがどのようにしてつながっているのかを合理的に説明することなど我々にはまったくできそうにない。

それからさらに100年以上が過ぎた20世紀の終盤になっても、意識と脳の問題にエネルギーを注ぐことは研究者として異端扱いを受ける状況が続く。これは、360年もの間未解決であり続け、それに取り組むことは数学者としてのキャリアの破滅に繋がると恐れられてきたフェルマーの最終定理にも似ている。それくらい、意識と脳の関係性が解決不可能な問題であるという認識は広く共有されていた。

本書の著者であるジュリオ・トノーニは、科学における最重要未解決問題の一つである意識の謎に果敢に立ち向かい、現状ただ一つの有望な予想と目されている「統合情報理論」を打ち立てた神経科学者だ。そのトノーニの著作がこうして初めて日本語で読めるようになった。科学における屈指の謎を解く鍵であるにも関わらず、本書における統合情報理論の説明はいたってシンプルで、おそらく高校生にも理解できるだろう。その根幹をなす公理は二つある。  

1.意識の経験は豊富な情報量に支えられている
2.あるシステムが豊富な情報を統合できるのであれば、そのシステムは意識を持つ 

これだけ書いても何のことか分からないが、著者はデジタルカメラという卑近な例を持ち出し、「なぜデジタルカメラは意識を持たないか」を説明することにより、逆説的になぜ脳が意識を持ちうるのかを万人にも分かるように解き明かしてくれる。

1,600万画素のデジタルカメラは、人間の脳よりも遥かに高い精度で視覚的な情報を記録することが可能だ。それにも関わらず1,600万ある撮像素子の一つ一つは、互いに情報をやりとりすることがない。ある1画素が赤、あるいは青であるという事実は、同じ写真の隣にある画素に何の影響も及ぼすことはない。ましてや、写真の片隅にある遠く離れた画素が何色を記録しているか、とは一切無関係だ。

つまりデジタルカメラにおいては、1画素ずつ1,600万回の撮影を合成した写真でも、1,600万画素で1回だけ撮影した写真でも、両者に本質的な違いは生じない。これは情報が統合されていないからである。これに対し、脳(厳密には視床-皮質系)は200億のニューロンが互いに膨大な情報をやりとりした上で、統合された単一の意識を生み出す仕組みになっている。これが統合情報理論と呼ばれる所以だ。

驚くのはこれだけではない。トノーニの研究チームはこの理論に基づいて、意識がある状態とない状態の脳波を差を予測し、それを実際に検出・記録できる装置、TMS脳波計を作り出した。出来上がったばかりのTMS脳波計を手にしたトノーニらは、さまざまな意識状態下にある被験者の脳波を可視化してゆく。

覚醒した状態 、意識の活発なレム睡眠下の状態 、意識のないノンレム睡眠下の状態 、完全に意識を失った昏睡状態。これらの異なる状況下における脳波は、まさにトノーニの理論が予言した通りの動きを見せた。本書では、おそらく科学本の歴史上初めて、意識の状態がビジュアルとして掲載されているのも見所だ。

さらに、意識の仕組みは臨床的にも重要な意義を持っている。たとえば植物人間状態とは、自発的な呼吸が可能でありながら筋肉を一切動かすことができず、意識もない患者の状態として定義されてきた。

しかしつい2002年に、一見植物状態のように見えながら実は意識があり、それを身体の動きとして外部に伝えることができない「最小意識状態」という臨床状態が存在することが判明した。驚くべきことに、最小意識状態にある患者の実に半数が植物状態として誤診されているという。

この患者たちは、意識を持ち視覚や聴覚なども機能しているにも関わらずそれを外部に伝えることができずにいる。彼らは医者や家族からも植物人間だと誤解されて見放されている可能性があり、トノーニはこれを倫理的にもっとも深刻な誤診であると述べている。意識の有無をより正確に判定する医療機器が実現すれば、このような残酷な誤診を減らすことも可能になるだろう。

意識というジャンルでは、科学者が書いたものであっても永遠に証明不可能な哲学に終止してしまう本が多い。しかし本書は、「意識とはそもそも何か」といった無駄にページ数を割いてしまう議論への言及を最小限にとどめ、可能な限り読者にとって理論を身近に感じてもらえるような工夫が多く凝らしてある。

広くポピュラーサイエンス全体を見渡しても、もっとも読みやすい部類に入る本書は、最先端の研究成果を紹介しながら、意識の謎に関する入門書としても最適だ。 

意識をめぐる冒険
作者:クリストフ・コッホ 翻訳:小畑 史哉
出版社:岩波書店
発売日:2014-08-07
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トノーニの著作で慎重に避けられていた「意識とは何か」に真っ向から挑む気鋭の神経科学者の著書。意識と無意識の関係、われわれは自由意志を持っているのか、コンピュータは意識を持てるのか、など広範なトピックをカバーする。レビューはこちら

ユーザーイリュージョン―意識という幻想
作者:トール ノーレットランダーシュ 翻訳:柴田 裕之
出版社:紀伊國屋書店
発売日:2002-09
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コンピュータの内部には膨大な数の0と1が並んでいるが、ユーザーである私たちはそれを気にかけることなく、OSの上でファイルを作り、ゴミ箱に捨てるといった働きをしている。人間の意識もこれと同じで、五感が毎秒1,100万ビットの情報を脳に送っているにも関わらず、意識に上ってくるのはせいぜい毎秒40ビットの帯域幅しかない。私たちの意識が知覚される前に、すでに世界は解釈され終えており、意識とは私たちの自己(ユーザー)にとっての幻想(イリュージョン)でしかない。あらゆる科学分野の背景知識を総動員し、意識の実態に迫る。

フューチャー・オブ・マインド―心の未来を科学する
作者:ミチオ・カク 翻訳:斉藤 隆央
出版社:NHK出版
発売日:2015-02-20
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最先端の研究を基にしたリアリティのある未来予測をいつも面白く語ってくれるミチオ・カク教授による最新作のテーマは心の未来。偽りの記憶をダウンロードする、スマートマウス(賢いネズミ)を作る、遠く離れた場所にいる人間の肉体を脳波で動かす、といったことはすべて実現し始めている。2010年代の最新の研究成果が多く網羅されており、神経科学における知識をまとめてアップデートできる。訳者あとがきはこちら。  

意識は傍観者である: 脳の知られざる営み (ハヤカワ・ポピュラーサイエンス)
作者:デイヴィッド・イーグルマン 翻訳:大田 直子
出版社:早川書房
発売日:2012-04-06

村上浩による レビューはこちら

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ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
作者:
出版社:中央公論新社
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