近代合理主義を育んだイギリス人が、世襲の君主制を支持しつづけるのはなぜか?
『ふしぎなイギリス』著者インタビュー 

2015年6月11日 印刷向け表示

Q:本書には知られざるイギリスの姿が多数紹介されていますが、なかでも私が驚いたのは、イギリスでは、政権交代が文字通り一夜にして行われることでした。投票日の翌日には首相官邸の主が入れ替わる。しかも、その交代の仕方が凄い。次期首相であっても、エリザベス女王との謁見を経て首相に承認されるまでは、一民間人として扱われて、バッキンガム宮殿に向かう車両には、警官による護衛もつかない。一方で、長らく首相の座にあった人物でも、官邸を去った途端、警官による護衛もなくなり、自家用車での帰宅を強いられる。形式的であっても、国家元首の信任があってこその権力という原理原則が徹底的に貫かれている。これはすごいと思いました。

笠原:イギリスで総選挙により政権が交代する場合、投開票日の翌日に首相官邸の主が入れ替わりますが、この事には何ら合理性はなく、慣習を踏襲しているだけです。背景には、2大政党の野党側には「影の内閣」があり、絶えず、政権を担う準備を整えているという事情があるのでしょう。いつでも政権交代が可能という緊張感が、2大政党制を機能させる原動力です。多くの政治家はこのやり方を馬鹿げていると感じながらも、伝統を重んじる「極めてイギリス的なやり方」だと受け止めているようです。

なぜ、こういう制度が定着したのかは知りませんが、選挙結果が出て与党が敗北すれば、国民の信認をなくしたということで、速やかに政権交代することは、駆け込み的な政策を阻止するという点も含めて、ある意味で理屈が通っているのかもしれません。いずれにせよ、イギリスの政治システムは、儀式を重んじる議会開会式のセレモニーや下院議長の選出など、ドラマ仕立てで国民にその歴史や意味を伝えるようにできています。政権交代というドラマも、イギリスという国家の継続性を象徴する国王を中心に展開します。選挙に敗れた首相は、国王に謁見して辞職すれば「ただの人」になり、国王に承認されて首相になれば、「権力」を得ることになる。ただ、その権力は「一時的なものに過ぎない」ということを、政権交代のドラマは示しているのです。

Q:英国王室の問題とも重なりますが、合理主義的なイギリス人が、生まれながらにして特権を得る貴族を認めているのはなぜでしょうか?生まれながらにして階級が違う貴族を、なぜイギリス人は許容しているのでしょうか?

笠原:イギリスの貴族層の主流派は、フランスにいた北欧系のノルマン人がイギリスを征服したノルマン・コンクエスト(1066年)の際に、ギョーム公(ウィリアム1世)に仕え、武勲を挙げた人たちの末裔です。ただ、イギリスには貴族は存在しますが、階級制度は存在しません。国民に今も残るのは、長い歴史の中で植え付けられてきた「階級社会」という意識です。ブレア政権時代の上院(貴族院)改革で世襲貴族が自動的に議席を引き継いできた制度が廃止され、貴族らの制度的な特権はもう残っていません。この改革により、イギリスはようやく「市民平等」の社会になったと言えるのかもしれません。

それではなぜ、今日に至るまで、イギリス人が貴族を許容してきたのかという点です。まずは、イギリスではアンシャン・レジーム(旧体制)を完全に破壊するフランス革命のような市民革命が起きなかったことが大きいのではないでしょうか。イギリスの支配体制は、閉鎖的な貴族社会だけでなく、新興ブルジャワを「ジェントルマン層」として上流階級に吸収することで、ある種のガス抜きを図ってきた。限定的ながら「開かれた支配層」という柔軟なシステムを持ったことも、貴族制度の存続に貢献してきたようにみえます。

それと、イギリスの貴族は、特権には義務が伴うという「ノブレス・オブリージェ」の精神を体現し、社会に奉仕、貢献することで、国民から許容されてきた面もあります。第1次世界大戦で多くの貴族の若者らが最前線に立って自らの命を犠牲にしたというエピソードは、昔ながらの貴族精神を知る上で有効なのではないでしょうか。また、イギリスの庶民にとっては、貴族とは別世界の人々であり、貴族社会に無関心だったとも言われます。

成文憲法を持たないことや、古い制度が残っていることなど、概括して言えば、イギリス社会には、「壊れていないなら、直す必要がない」という気風があるように思います。

Q:英国は移民社会といわれますが、こうした移民が英国王室の支持基盤になっていることにも驚きました。英国的な伝統とも無縁である移民がなぜ王室を支持するのか、これも不思議です。

笠原:分かりやすく言えば、こういうことです。今、イギリスでは、反移民を掲げる「英国独立党(UKIP)」という政党が勢力を伸ばしています。仮に、UKIPが政権に参加するような事態を想定すれば、移民社会にとっては悪夢でしょう。時々の総選挙で誕生する政権や政治家は、移民にとっては必ずしも信頼できない。しかし、女王は、その不安定な政治を超越して存在することで社会に安定感を与えている。これは、移民に限ったことではなく、イギリスの完全小選挙区制の下では、得票率30%超で単独政権が可能になります。これは、国民の6割以上が支持しなくても政権与党になれることを意味します。与党を支持しない国民から見た場合、国王という、政治権力を越える権威が存在することが、イギリスという国家にある種の安定感を与えている、という解説を聞いたこともあります。

移民社会、多民族国家のイギリスにおいて、イギリス人とは誰かを突き詰めていくと、「女王の下に集う人々」という緩やかなものです。移民を受け入れてきたイギリスは、国王を頂点とする「オープン・アイデンティティ」の国とも言えるでしょう。だから、移民には王室支持者が多いのです。

Q:英国王室と階級社会への支持は、21世紀に入っても強固のように思われますが、何かのきっかけで、英国民の支持を失う可能性はないでしょうか?

笠原:十分にあります。エリザベス女王の時代には、恐らく、そういう事態が起こらないと思いますが、チャールズ皇太子が王位を継承した場合、国民の支持をどれほど得られるかは不透明です。皇太子はダイアナ元妃との離婚や、政治的な発言などが不評で、必ずしも、国民の人気は高くない。しかし、王室全体として見れば、チャールズ皇太子の後継者であるウィリアム王子の人気は高く、王室存続へのセーフティ・ネットになるかもしれません。

イギリスの王室が存在できている根拠は極めてシンプルで、国民の支持があるからに過ぎません。その基盤は永久に保証されたものではありません。法律的な手続きには詳しくありませんが、国民投票が実施され、「廃止」が賛成多数になれば、廃止されるはずです。エリザベス女王を国家元首にいただくオーストラリアでは過去に、共和制に移行することの是非を問う国民投票が実際に行われています。結果は、現状維持でしたが。

いずれにせよ、「エリザベス女王後」のイギリス王室に、試練が訪れる可能性は十分にあるでしょう。

笠原敏彦(かさはらとしひこ) 毎日新聞編集委員兼紙面審査委員。1959年福井市生まれ。東京外国語大学卒。1985年毎日新聞社入社。京都支局、大阪本社特別報道部などを経て外信部へ。ロンドン特派員(1997~2002年)として、ブレア政権の政治・外交、ダイアナ後の英王室、北アイルランド和平などのイギリス情勢のほか、アフガン戦争、コソボ紛争などを現地で長期取材。2004年米国務省のIVプログラム(研修)参加。ワシントン特派員(2005~2008年)としてホワイトハウス、国務省を担当し、ブッシュ大統領(当時)に同行して20カ国を訪問。2009~2012年、欧州総局長(駐ロンドン)。滞英8年。共著に「民主帝国 アメリカの実像に迫る」(毎日新聞社)など。 
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