わたしたちの世界は、わたしたち自身だ『生まれながらのサイボーグ: 心・テクノロジー・知能の未来』

冬木 糸一2015年07月25日 印刷向け表示
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生まれながらのサイボーグ: 心・テクノロジー・知能の未来 (現代哲学への招待 Great Works)
作者:アンディ・クラーク 翻訳:呉羽 真、久木田 水生、西尾 香苗
出版社:春秋社
発売日:2015-07-24
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 「サイボーグ」といえばまず真っ先に、義体が当たり前になった近未来世界を描く攻殻機動隊シリーズや、そのままずばりタイトルに入っている石ノ森章太郎原作の『サイボーグ009』シリーズに代表されるイメージを思い浮かべる人が多いかもしれない。その特徴を一つ上げるならば、生身の人間ではなく一部だったり全体だったりが機械の身体に置き換わっていることだろう。

本書が提示するサイボーグ観

ところが本書が提示するサイボーグ観はアニメ・漫画的な「身体のどこかが機械に置き換わったもの」とは大きく異なっている。そもそも、元々「サイボーグ」が意味するところは、「サイバネティックな有機体」あるいは「サイバネティックな方法でコントロールされた有機体」を表す略語であり、『それは、人間─機械間の融合という考え方と、その際に思い描かれている融合の幾分特殊な性質との、両方を捉えるように意図された専門用語』であると本書では述べている。

本書のサイボーグ観は、この専門用語でいうところの「サイボーグ」の意味を拡張して捉えたもので、それは一言で言えば「人間と技術の共生体」そのものだ。

現代において我々は何か疑問点があればすぐに手元のスマートフォンで検索してみせる。時間を教えてくれませんかと聞かれれば手元にある時計やスマホを見るまでもなく、まず答えることが可能であることを示すために「はい」と答えてみせるだろう。それは「あって当たり前のもの」だからだ。様々な道具をまるで自分の一部のように使うことで我々は、わたしたちの周囲に広がっている世界を、まるでわたしたち自身のように接続してみせる。

人間の脳が得意としているのは、信じられないほど多様な非生物的補助具、足場道具、リソースがひしめく問題解決フィールド内の一チームプレイヤーになることである。こういうわけで、わたしたちの脳は、その本質からして、そのなかでそれが発達し、成熟し、作動するところの、複雑化していく技術的パッケージへと自らの活動を嵌入接合することにいつも熱心な、生まれながらのサイボーグの脳なのだ。

こうした書き出しからもわかってもらえると思うけれども、本書は我々の身体を機械がどう置き換えていくのかといったテクノロジーを主題とした本ではない。それよりはむしろ、テクノロジーによって我々の心性がどのように拡張され、そこでどのようなインタラクションが発生しているのかを明らかにする一冊である。

わたしたちの世界は、わたしたち自身なのだ

もちろん、本書が対象とするのは、いま、目の前に広がっている心とテクノロジーの光景だけではない。言葉も含めたあらゆる道具の使用を可能にする脳の圧倒的可愬性についてであったりテクノロジーの心性の拡張が今後も続いていくとするならば、この先にはいったいなにが起こりえるのか──という未来軸の話題も展開する。

たとえば、拡張現実がここから先もっと進展していけば、我々は目の前に広がっている現実世界とは異なる別レイヤーをそこにかぶせることによって、「わたしたちの世界」をさらに拡張し、わたしたち自身を結果的に拡張させることになるだろう。

遠隔操作式のロボットが当たり前になれば、国をまたいだ会議に飛行機に乗らずに出席できるようになるし(ロボット工学者の石黒浩氏などは既にそれを実践している)、もちろん元来の意味でのサイボーグ的な、BMI(ブレインマシーンインタフェース)の進歩も目覚ましいものがある。こうした一つ一つの、身体を、世界を拡張するような道具が──我々の持つ身体と行為の感覚を拡張し、作り変えてゆくのだ。

 わたしたちは、個々の人間としてのわたしたちという意味だが、これらの道具の変化する連合でしかない。わたしたちは「柔らかな自己」であり、常に変化に対して開かれ皮膚や頭骨の境界から漏れ出すように駆り立てられ、心という機構の諸局面として非生物的な要素をますます取り込んでいくのだ。
道具はわたしたちである。

新しい道具が接合し、世界が拡張されるたびに我々は新しい思考システムを創発し、そうして生まれた思考システムはまた新たな道具を接合し世界を拡張していく。本書を読む前と読み終えた後では、「サイボーグ」という言葉が持つイメージが、ガラッと変わってしまっているだろう。電線やインプラントのイメージから、生物と技術からなるネットワーク連合体へと。

おわりに

実は、本書が出版されたのは2003年のことであり、既に10年以上が経過してしまっている。当然のことながらスマートフォンが一変させてしまった世界の風景に対する直接的な言及などは見られない。それでも心性を拡張するものとしてのテクノロジー概念は人間の本質的な部分への指摘となっており、状況の変化があろうともいまだ錆びてはおらず、鮮明さを保っている(そうでなければわざわざ翻訳もされないだろう)。

むしろ著者が指摘するところの未来社会の光景(多くの人が自分の一部として手放せなくなったスマートフォン、拡張現実、ウェアラブルデバイス、それらが社会を変貌させる視点)や、懸念点の指摘(不平等、過積載、コントロール不可能性、プライバシーの侵害等など)がいまそこら中で現実化し、問題になっていることを鑑みるに、10年以上の月日がたったことで本書の有用性と先見性が目の前で実証として広がっている感慨すらある。

もちろんすべての指摘が適切だったわけではなく、予想されえなかったこともある(ロボット兵士や戦闘ドローンの蔓延など)。そのあたりについては、原書刊行後の幾つかの著者への批判と著者の応答まで含めて訳者解説で丁寧に検証され拾われているので、頭から尻尾まで、存分に楽しんで欲しい。

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