『貨幣の「新」世界史』ハンムラビ法典からビットコインまで 訳者あとがき

早川書房2016年04月23日 印刷向け表示
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貨幣の「新」世界史――ハンムラビ法典からビットコインまで
作者:カビール セガール 翻訳:小坂 恵理
出版社:早川書房
発売日:2016-04-22
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学校の歴史の授業では、お金のはじまりは物々交換だったと教えられることが多いのではないでしょうか。大昔の人たちが、たとえば魚と肉を交換しているイラスト入りの教科書などもあるでしょう。

本書『貨幣の「新」世界史』(原題Coined: The Rich Life of Money and How Its History Has
Shaped Us、2015年刊)は、私たちの生活に欠かせない存在であるお金を様々な角度から分析しながら、今日に至るまでの長い歴史を紹介していきます。貨幣の世界史というと純粋な経済書のようなイメージがありますが、そうではないところが本書の大きな特徴です。生物学、脳科学、心理学、人類学、宗教、芸術など、網羅する範囲は実に幅広く、そこから『貨幣の「新」世界史』というタイトルも生まれました。

従来の貨幣史と異なる点は主にふたつ。まず、生き残りをかけた生物同士の共生関係こそが貨幣の出発点だと見なし、ミトコンドリアの細胞内共生や光合成にまで起源を遡っていること。そしてもうひとつ、人間にとっての貨幣の起源は物々交換ではなく、実は債務だったのではないかと指摘したうえで、貨幣がモノやサービスを交換するための手段だという大前提は揺るぎないけれども、価値の象徴として貨幣そのものを評価する見方がある一方、単なる計算単位としてのみ評価する見方もあることを紹介しています。前者には硬貨などのハードマネー、後者には紙幣などのソ フトマネーが該当します。

さらに本書では、経済を市場経済と贈与経済に分類しています。贈与経済においては、恩を受けたら返す義務があるという発想を前提に、細かく定められた社会的慣習にしたがって人間関係が進められていきます。その具体例として第3章では、日本のお歳暮やお中元、バレンタイン・デーの義理チョコなど、細かいルールにしたがって贈り物がやりとりされるプロセスが詳しく説明されており、日本人の読者ならば興味をそそられるのではないでしょうか。当事者にはわかりませんが、外国の方々から見ると、非常にユニークな習慣のようです。ギブ・アンド・テイク、すなわち借りたものは返すという関係から、お金のやりとりは発展した可能性もあると著者は論じています。本書によると今日では、金融上の決断を下すときの脳の反応を断層写真で確かめることができます。あるいは、親から受け継いだ遺伝子の種類によって、お金に対する姿勢が慎重なのか大胆なのかが決定されるそうです。

こうした情報を参考にすれば、お金に関する人びとの行動を正確に予測して、たとえばビジネスに役立てられそうに思えますが、そう簡単にはいきません。どのような歴史的・文化的背景を持つ社会に所属するかによって、行動は様々に変わっていきます。さらに宗教の存在も見逃せません。キリスト教もイスラム教も仏教も、お金をどう扱うべきかについて細かく定めているので、信者ならば確実に影響されるでしょう。どの宗教も金儲けそのものを否定しているわけではなく、社会のためにお金を役立てるためにはどうすればよいか、賢明なアドバイスを行なっています。

もちろん、本書は貨幣の歴史について詳しく取り上げています。貨幣が誕生したのは紀元前700年頃のリディア王国(今日のトルコの一部)。一方、債務の仕組みができあがったのはそれより何千年も古く、古代メソポタミアの時代(ハンムラビ法典には債務に関する記述が残されています)。どちらが出発点とは断定できませんが、まずは生きるために必要な食糧が原始貨幣として取引され、やがて銀など希少金属で硬貨が鋳造されるようになり、時代と共に洗練されていきました。時代が下り、版図を大きく広げた元王朝のフビライ・ハンの時代、広大な領土のなかで持ち運びに便利な紙幣が注目され、それをきっかけにソフトマネーが普及しました。

原始貨幣からハードマネー、ソフトマネーへと発展していく経緯についての記述は、なかなか読みごたえがあります。景気を回復させるために紙幣を乱発し、それが結局はインフレを引き起こし、対策が失敗に終わるパターンが、過去に何度も繰り返されてきたこともわかります。しかも本書は歴史だけでなく、貨幣の未来にまで目を向けています。

第6章には、電子商取引、ポイントカード、おサイフケータイ、ビットコインなど、今日すでに使われている様々なマネーが紹介されていますが、その種類には驚かされるばかり。どれも一昔前までは想像もできませんでしたが、いまや当たり前のように利用されています。ビットコインも弊害が指摘されてきましたが、利用者は増え続けているようです。一体全体、お金はどこまで変化していくのでしょう。本書によれば、頭のなかに埋め込まれた装置によって、お金を介さず直接取引が行なわれる可能性もあるとのこと。そうなると、せっかく時間をかけて進化してきたお金は、この世の中から消滅してしまいます。

それが便利だと素直に喜べないのは、お金には芸術的価値があるからでしょう。これまでの長い歴史を通じ、世界各地で様々な硬貨が鋳造されてきましたが、その表面には様々な模様が刻まれており、発行された当時の社会について知る大きな手がかりになっています。硬貨の美しさに魅了された収集家たちを著者は訪ね歩き、それぞれの人生にどれだけ深い影響をおよぼしているかを確認しています。一枚の硬貨の図柄からは、発行した国の歴史や地理について学び、品質からは当時の経済状態を知ることができます。そんな貴重な存在であるお金が、そう簡単に実体を伴わなくなるとは思えません。

本書の著者カビール・セガール(Kabir Sehgal)は本書執筆時、J・P・モルガンの新興市場担当ヴァイス・プレジデントでした。現在は、米電子決済サービス企業のファースト・データで、企業戦略を担当しています。ほかにも外交問題評議会のメンバーであり、大統領選挙のスピーチライターを務めるかと思えば、児童書を執筆し(Walk in My Shoes。アンドルー・ヤングとの共著ほか)…… 実に多才ですが、それだけではありません。何と、ジャズのベーシストでもあり、グラミー賞を受賞した作品をプロデュースしています。二足、いや何足ものわらじを上手に履きこなしている金融アナリスト、といったところでしょうか。

そんな八面六臂の活躍が、お金に多彩な角度から取り組んだ本書を執筆した原動力なのかもしれません。本書は実に多くの分野を網羅しています。セガールは各分野の専門家の様々な研究結果を集めて一冊の本にまとめるため、膨大な量の文献を読み漁ったそうです。文献に関しては巻末に紹介されていますが、これだけのものをよく読破したと驚かされます。お金の様々な側面について面白いエピソードをまじえて紹介している本書は、ニューヨーク・タイムズ紙とウォール・ストリート・ジャーナル紙でベストセラーとして高く評価されました。ポール・ヴォルカー、ムハマド・ユヌス、ヴァージン・グループのリチャード・ブランソン、カーター元大統領、クリントン元大統領など、多くの著名人から賞賛されているのも納得できます。

誰でもお金について考えない日はないでしょう。日々暮らすため、将来を設計するため、お金はなくてはならないものです。大金持ちにならなくても、平凡に生活できれば満足だという人でも、その平凡な生活を実現するためにお金は必要です。いまやマイナス金利の時代となり、お金をどのように活用すべきか、頭を悩ませている人も多いでしょう。株価には一時のような勢いがないので、金に投資しようかと考えている人もいるはずです。大胆に発想できれば、ビットコインに積極的に投資するのもよいかもしれません。

そう言えば、マイナス金利をきっかけに、金庫の売上が好調だそうです。タンス預金が増えるのでしょうか。金儲けが人生のすべてではありませんが、幸せをつかむためにお金は大事な手段のひとつであり、誰もが蓄財のために知恵を絞るのは当然です。そんな身近な存在であるお金について、本書をきっかけに見直してみてはいかがでしょう。お金は私たち個人個人や社会を豊かにしてくれる媒体ですが、お金そのものにじっくり目を向けてみてはどうでしょうか。

一枚の硬貨は、高度な技術を駆使してきれいな形に仕上げられ、表面には発行する国の文化や歴史を象徴する図柄が描かれています。日本の10円硬貨も100円硬貨も、よく見ると本当に見事な出来栄えです。穴の開いた5円玉は、世界でもめずらしいでしょう。お金そのものに親しみがわけば、お金を大切にしようとする気持ちが育まれ、その気持ちが社会全体に広がれば、将来どのような形になろうとも、お金は良い方向に進化していくでしょう。ちなみに私は、電子商取引よりは、お金を実際にやりとりする形のほうが好きです。カードが何枚も入っている薄いお財布よりは、お札や硬貨で膨らんだお財布を手に持っているほうが、心は安らぎを感じます。

本書『貨幣の「新」世界史』が、少しでも多くの読者の皆さまに楽しんでいただけますように。

2016年3月

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