『帝国の参謀 アンドリュー・マーシャルと米国の軍事戦略』我々がここにいるのは、知らせるためであり、喜ばせるためではない

鰐部 祥平2016年05月18日 印刷向け表示
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帝国の参謀 アンドリュー・マーシャルと米国の軍事戦 略
作者:アンドリュー・クレピネヴィッチ 翻訳:北川知子
出版社:日経BP社
発売日:2016-04-14
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2015年1月、アメリカ国防省のとある職員が93歳で退任した。その男は40年に渡り、ネットアセスメント室(ONA)の長として歴代の国防長官に仕え、アメリカの安全保障政策に大きな影響を与え続けたという。一部ではペンタゴンのヨーダと呼ばれたアンドリュー・マーシャルこそ、本書の主人公である。この男がいなければ、今のような形でアメリカが冷戦に勝利することはなかったであろう。私たちが今の世界に住んでいるのは、この男の存在があったからだ。その意味において、彼は世界中のあまねく人々に影響を与えているのだ。

それほどの男でありながらマーシャルは、世間ではほとんど無名と言ってもいい存在である。しかも、40年という長い年月をひとつの部署で過ごし、出世や栄達を求める事はなかった。本書の著者は、かつてアンドリュー・マーシャル率いるONAでの勤務した経歴を持つという。著者の話では、マーシャルの功績の多くは未だに機密指定されており、公にすることができないという。しかし、公開可能な情報をもとに彼の知の軌跡をたどれば、アメリカがなぜ冷戦に勝利し、超大国としての地位を築けたのかわかるであろう。

マーシャルの戦略家としての一歩はランド研究所いう独立系シンクタンクから始まる。この組織は、急速に発達する軍事技術の開発と維持には民間の科学者や企業の力なくして不可能だと考えていた、先見の明のある一部の指導者たちによって第二次大戦後間もなく発足した「プロジェクト・ランド」から発展したものだという。

このプロジェクトはアメリカ陸軍航空軍に望ましい方法や技術、手段を推奨することが求められていた。独立組織であると共に、航空参謀長への報告義務も負っていたという。このためランドの職員は軍の機密情報へアクセスを認められていた。さらにカーチス・ルメイは空軍のいかなる者も、ランドの職員に何をするか、あるいは何をしてはいけないかを命じる事を禁止していたという。

このような自由な環境と人材確保のためには、金に糸目を付けないランドの運営方針により、ハーマン・カーンのような有能な人材が集まることになる。この結果、民間の組織が核戦略の運営思想の多くを生み出すまでに至る。マーシャルも核戦略の専門家として頭角を現していく。ランド研究所で20年勤務した後に、必ずしも本人が望んだわけではないが政府の職員となりONAを率いる事になる。

マーシャルは周囲の意見に左右されることがなく、常に独自の視点で世界を見つめ、観念的よりも現実をあるがままに見つめる姿勢を生涯に渡り貫く。その姿勢は彼の仕事に大きく影響を及ぼす。60年代マクナマラ国防長官の命によりペンタゴンに持ち込まれた、システム分析という戦略研究の手法に、ランドが頼り過ぎていると懸念を持ち始める。このシステム分析という手法では、敵は一元的な権力機構により、合理的思考で戦略を決定しているという事が前提にある。

しかし、長い年月、軍の機密情報を分析してきたマーシャルは、ソ連の意思決定が一元的なものではないことに気づいていた。ソ連の官僚機構では個々の組織内の権力者が握る既得権益などが、戦略よりも優先され、合理的思考に基づいた決定が行われていたわけではなかった。

同じくシステム分析の限界に気づきマーシャルの考えを支持したジェームズ・シュレンジャーと共に、より良い分析を可能にする新た組織行動の研究に取り掛かる事になる。また彼らはソ連の組織行動が米国とは大きく違う点にも着目し、ソ連目線からの組織行動をも研究していくことになる。これらを含めた諸々の研究が後にネットアセスメントという分析手法に結実していく。

マーシャルはCIAが70年代前半に分析したソ連の軍事支出をGNPの6~7パーセントと推定していたことに疑問を感じ、独自の分析評価を行う。すると、その数字はCIAの分析の二倍以上(実際はさらに多かった)に達していた。ソ連がこのような支出を長期間維持できないとマーシャルは考えた。この点でマーシャルは冷戦の行方に楽観的な姿勢を見せており、悲観的な考えのキッシンジャーよりも的確に現実を見据えていたという。

軍事支出に苦しむソ連により大きな負担を課すために、マーシャルは敵国に過剰なコストを背負わせる競争戦略を提案する。例えばソ連が潜水艦に膨大な投資をしている事に着目し、潜水艦探知能力を強化すると同時に自国の潜水艦の隠密性を強化して敵に過度な競争促すなどだ。

また当時、アメリカ国内では大陸弾道ミサイルの出現により大規模な航空戦力が必要ではなくなっており、航空戦力を縮小する動きがあった。だがマーシャルはこれに異を唱えた。

ドイツのバルバロッサ作戦により第二次世界大戦で苦汁を味わったソ連は、大規模な防空システムに強いこだわりを見せていたという。この防空システムの維持と開発に莫大な費用を費やしていたのだ。マーシャルはその弱みを見極め、大統領にB-1爆撃機の開発と配備を進言する。軍部はソ連の脅威をかわす事を中心に考えていたが、マーシャルは弱みに付け入り、こちら側が主導権を握れるようアプローチすることでアメリカを勝利に導けると考えた。

その他にもマーシャルは、かなり早い段階で精密誘導兵器の重要性に気づき、これらの兵器がいかに戦略に影響を及ぼすかを研究させている。今の精密兵器によるピンポイント攻撃もマーシャルの研究に負うところが大きい。また中国の台頭も早い段階で警戒し、冷戦終了後の世界の新たな危機に正面から取り組んでいる。彼は常に時代の先を見据えていた。

ところで昨今では日本も核武装するべきだという大統領候補が出現している。彼が大統領に就任したとして、そのような外交を本当に行うかは別にしても、アメリカの一部の人々の間では、他国の防衛に無駄な金を使いたくないという考えがある事は確かであろう。

また、最近では挑発的な外交を行う中国や核武装した北朝鮮に対して、日本も核武装すべきだと考える日本人もいる。だが私たちは有効な核抑止戦略がどういうものなのか、真剣に考えたこがあるだろうか。核戦略の議論は別にしても、いまや自立した安全保障戦略を真剣に論じる必要が出てきていることは確かだろう。その意味において、本書は今こそ読んでおきたい一冊だ。

それにしても、最後まで出世や栄達を求めず、影の軍師に徹し、後進には自らの頭で考える事を徹底的に課し、優れた若手を育て上げたマーシャルという男は実に奥が深い。マーシャルのこの言葉こそ、彼の人生の多くを物語っているように私には思える。

手柄を気にしなければ、人間はいくらでも優れたことを成しとげられる

村上 浩による本書のレビューはこちら

 

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