『科学の発見』なぜ、現代の基準で過去を裁くのか 解説 by 大栗 博司

文藝春秋2016年05月18日 印刷向け表示
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科学の発見
作者:スティーヴン ワインバーグ 翻訳:赤根 洋子
出版社:文藝春秋
発売日:2016-05-14
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本書は、物理学者スティーヴン・ワインバーグがテキサス大学で行ってきた科学史の講義に基づいた著書の邦訳である。『科学の発見』というタイトルが示すように、個々の科学的事実の発見の歴史ではなく、科学の方法それ自身の発見に重点を置いていることが特徴だ。ワインバーグは、「現代科学の実践を見たことがない人にとって、その方法は何一つとして明らかではないのである」と語り、人類がいかにして科学の方法を習得したのかを明らかにしようとする。

一読して驚くのは、ワインバーグが、科学の方法が確立する以前に自然を探求していた人々の間違いを、遠慮会釈なく指摘していることだ。古代ギリシアの「タレスからプラトンに至る思想家」は、「誰も、自分の理論を実際に確かめようとしていない」。彼らは、「自分が真実だと信じていることを明確に述べるためというよりは、美的効果のために選択された文体」を使う詩人であり、観察や実験によって自らの理論を正当化すべきだとは考えなかったと断じている。

知の巨人として尊敬されている偉人達も、ワインバーグの批判を逃れることはできない。経験主義的科学観の父とされる16世紀英国のフランシス・ベーコンは「極端」であり、「(その)著作から実際に影響を受けた科学者がいたとは私には思えない」。また、近代合理主義の父とされる17世紀フランスのルネ・デカルトは、「ベーコンよりもずっと特筆すべき人物である」ものの、「信頼できる知識の真の探究法を見つけたと主張している人物にしては、 自然に関するデカルトの見解には間違いが多すぎる」。

このように「現在の基準で過去を裁く」ことは、「ウィッグ史観」と呼ばれ、歴史学の研究では禁じ手とされる。そのため、本書は刊行と同時に一部の歴史学者から激しい批判を浴びた。その論争について解説する前に、まずワインバーグの経歴を紹介しておこう。

スティーヴン・ワインバーグ

ワインバーグは、過去半世紀で最も重要な業績を上げた物理学者のひとりである。自然界のもっとも基本的な法則を解明しようとする素粒子物理学では、現在の知識をまとめた「素粒子の標準模型」と呼ばれる一組の法則が確立している。ワインバーグは、南部陽一郎(2008年ノーベル物理学賞)が発見した「対称性の自発的破れ」の機構を使って、素粒子の間に働く「弱い力」を説明する理論を作った。これは標準模型の基礎となり(そもそも、標準模型という用語自体、ワインバーグの命名である)、彼はこの業績に対し1979年にノーベル物理学賞を受賞している。素粒子の標準模型の確立の他にも、宇宙の「ダーク・エネルギー」に関する基本的な研究もワインバーグの重要な成果である。ダーク・エネルギーの存在が広く認められるようになる10年以上も前の1980年代の後半に、「マルチバース(多重宇宙)」や「人間原理」という、当時は異端とされていた考え方を使って、宇宙の中のダーク・エネルギーの密度を予想した。その後、1990年代後半から今日にいたるダーク・エネルギーの精密観測によって、ワインバーグの予想が観測結果に近い値であることが明らかになり、マルチバースや人間原理という考え方も宇宙論において正統な研究の対象となってきている。

このように、ワインバーグは、その強靭な知性と深い学識によって、その時々の学問の表層的な流れにとらわれず、現象の本質をとらえ、学問の流れを変えるような大きな業績をあげてきた。

繰り返すが、現在の基準で過去を裁くというアプローチは歴史学の世界では禁じ手である。そのため、本書の出版は米国で論争を巻き起こした。たとえば、科学史の研究者でハーバード大学教授のスティーブン・シェイピンは「ウォールストリート・ジャーナル」紙に、「なぜ科学者は歴史を書くべきではないか」という挑発的な題名でこの本の書評を書き、歴史とは過去をそのものとして理解しようとする学問であって、現在の基準で過去の行為を裁いてはいけないと批判した。

シェイピンは、ワインバーグとは長年論戦を繰り広げている。ワインバーグは本書でも、シェイピンの著書『科学革命』の冒頭の「科学革命などというものは存在しなかった。本書はそれを明らかにするために書いたものである」という文を引用して、「科学革命は確かに存在した。本書の後半はそれを明らかにするために書いたものである」と応じている。

今回のシェイピンの批判に対し、ワインバーグは、科学誌「クォンタ」のインタビューで、「政治や宗教とは異なり、科学的知識は蓄積されていくものである。アリストテレスよりニュートンの方が、またニュートンよりアインシュタインの方が、世界をよりよく理解していたことは、解釈の問題ではなく、 明白な事実である。このような進歩をもたらした方法がどのようにして確立したかを理解するためには、過去の科学を現在の基準で評価して、進歩に貢献した思考法は何であったか、発展を妨げた思考法は何であったのかを反省する必要がある」と反論している。

この反論でも明らかなように、ワインバーグはウィッグ史観の確信犯である。たとえば、本書の冒頭では、「私は、現代の基準で過去に裁定を下すという、現代の歴史家が最も注意深く避けてきた危険地帯に足を踏み入れるつもりでいる」と宣言している。

ウィッグ史観は、「勝者が自己を正当化するための歴史」として批判されることが多い。しかし、ワインバーグは、「科学は、たまたま成し遂げられたさまざまな発明の歴史としてあるわけではなく、自然のありようこそが科学のありようを決めている」と主張し、過去4世紀にわたる科学の勝利が、歴史においてしばしば起こる勝者と敗者の交代とは質的に異なるものであると強調する。科学の方法が、自然界の法則を解明することに大きな成功を収めてきたことは、客観的な事実である。自然界の仕組みを理解しようとした過去の試みを批判的に振り返り、科学の方法がどのように発見されたのかを理解することに意義があるという点においては、私もワインバーグに同意する。

ワインバーグを批判する陣営は、現在の基準で過去を裁くことが必ずしも適切でないとするもう一つの理由を、過去の人がその当時の情報では最良の判断をしたとしても、その人にコントロールできない偶然の要素によってその結果が左右されること、をあげる。たとえば、古代ギリシア人は、少数の例外を除いて、地動説を受け入れることはなかったが、それだけで彼らの不明を批判することはできない、という。当時入手できた天体観測データからは、天動説よりも地動説の方が有力な理論であるとは結論付けられないからである。

しかし、ワインバーグは、本書で過去の「偉人」たちをこのような単純な論理で「断罪」しているわけではない。そこが本書の白眉であるが、たとえ、天動説をとった「偉人」に対しても、その方法論が、「科学」の基本を満たしているものであれば、積極的に評価をし、そこから「科学」とは何かを読者たちに考えさせる仕組みになっているのである。

それは、自らの論理を観測・実験によって検証し、それによってさらに論理を発展させていく、ということである。

例えば、天動説を唱えた古代ギリシア人の中でも、プトレマイオスには、アリストテレスよりも高い評価が与えられる。プトレマイオスは、「数学的モデルを提案し、モデルの予想を観測結果(と比較する)」という科学の方法を使っているからだ。これに対し、アリストテレスについては、その「思想全体を貫く原則には、現代科学のそれとは相容れないものが含まれている」と批判をする。つまり、アリストテレスは「世界はこうあれかし」という目的論がまず先にあり、その目的を満たすための論理を導き出す。物体の落下の理由についても、「その物質にとって自然な場所がコスモスの中心へ向かう方向にあるからだ」という考え方をする。

ワインバーグの深い科学的教養がそこここに表れることも、本書を読む楽しみである。特に、惑星の運動についてのアリストテレス説とプトレマイオス説の比較や、ケプラーが楕円軌道を発見した経緯の解説は圧巻である。また、楕円軌道を発見する以前のケプラーの惑星模型への批判から、現在のマルチバース理論の話になるところも、ワインバーグならではである。より詳しく知りたい読者のために、35もの「テクニカルノート」が付けられており、楽しみながら執筆した様子が感じられる。本書は、科学の実践の現場を熟知した当代最高の物理学者の、科学に関する深い思索を追うことができる稀有の書である。

京都大学の科学哲学者である伊勢田哲治さんから、この解説の原稿について丁寧なコメントをいただいたことに感謝しています。もちろん、この解説の内容についての責任はすべて私にあります。

大栗 博司(カリフォルニア工科大学教授・東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構主任研究員)

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