『人生はマナーでできている』決してひとりでは生きていけない人生を、人とどう関係していけるのか

麻木 久仁子2016年05月24日 印刷向け表示
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人生はマナーでできている
作者:高橋 秀実
出版社:集英社
発売日:2016-04-26
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マナーに関する話題は尽きない。テレビ番組でも「あなたのマナー、ここが間違い!」とか「芸能人マナーチェック!」とかの類いはつい見てしまう。「知ってましたよ」という顔をしながら内心ドキッとしたりしながら見る。そうだったのか!と。

納得いかないこともある。ある番組で「ティーカップのソーサーを手で持つのはマナーに反します」と言っていたがいやいや、日本茶の茶托は持ち上げないかもしれないけれど、ソーサーはいいんじゃないかしらん。外国の映画とかみると、左手にソーサー右手にカップでソファーにどっかり座ってるし、と未だにしつこく心の中で反論している。

あるときネットをみていたら「友人の披露宴に招かれたが、交通費をくれなかった。普通はさりげなく包むものなのに。マナーを知らないこの友人とは今後付き合いをやめる」という人がいた。まあ遠方から来てくれる人には新幹線とか飛行機のチケットはお送りするべきかなあと思ったが、よく読んでみると交通費というのが都内の電車賃のことで、にもかかわらず大勢が「そうだそうだ払うべきだ、その友達は礼儀知らず」と賛同しているので驚いた。「えー、友達の結婚式にいくのに電車賃よこせって、むしろそっちのほうがマナーもへったくれもないというか、なんなのー?」と思ってしまったが、どうなんだろうか、私がまちがっているのだろうか。娘が結婚するときまでには、はっきりさせておかなくてはなるまい。なんかちょこっと心配になる。

人は皆、マナーを知らないヤツだと思われることを恐れている。マナー知らずは社会人失格なのだ。だから「どちらのマナーが正しいか」という話になると譲れなくなる。譲っちゃったら、自分は過去ずっとマナーに反していたことになり、そうなるともう人生取り返しがつかないって気分になってしまいかねませんからねえ…。

私たちはなにに縛られているのだろう…。

『人生はマナーでできている』。
そう言われたら「はいはいお説教ですか?」と身構えるところである。が、著者は高橋秀実さんである。きっとなにか、ほっとする落としどころへ導いてくれるはずなのである。

マナーの基本と言えば「おじぎ」だが、おじぎには三種類あるのだそうだ。最敬礼は最も重い敬礼で上体を45度倒す。天皇陛下に対し奉ってのみ行うものだ。目上のものには30度、同等や目下のものには15度と、上体を倒す角度が15度ずつ浅くなる。昭和16年に文部省が制定した「礼法要項」に解説されているものだ。が実はこれ、日本人が国民精神総動員体制の中にあって「礼儀を正しくすることが国民の品位を高めるとともに国軍人精神の要素であり、国防国家の建設を国策とするときに礼の意義が大である」という趣旨だったというからおどろいた。現在のマナー本でも踏襲されている「正しいおじぎ」のルーツは「おじぎで戦争にも勝つ!」だったのだ。

850年にわたり礼法を継承してきた小笠原家の31代宗家が語る礼法の意義が、また面白い。宗家直伝の立ち居振る舞いは、立つにも座るにもおじぎするにも、常に体をまっすぐ保ち正しい姿勢を維持しなくてはならない。これがなかなかにキツいのだが、それというのも上級武士が日常生活の中で体を鍛えるために発展したものなのだからだそうだ。

上級武士たちは肉体労働をしているわけではないですから、どうやって足腰を鍛えるかというのが重大なテーマだったんです。そこで日常生活のなかで鍛える方法を編み出したんです

礼法で足腰を鍛える。大切なのは体幹がブレないことです。ヨーロッパの貴族たちは、社交ダンスや馬術で常に正しい姿勢を保つことを鍛えておりました。それが日本においては礼法。日常生活の中でやれば手っ取り早いし、ひとりでもできるし、一日中できる。これは日本独自の鍛錬法でしょう。

そうだったのか。

で、本来こうした礼法は門外不出、実際の武家は礼法を書き記すということはなくただひたすら日常生活で実践するものなのであり、巷に出回る礼法の本はみな、当時、町方向けに「武家はこんなことしてますよ」と受けを狙って書かれたもので、本を読んでも真に礼法は学べないものなのだという。

孫引きのそのまた孫引きみたいなネット上の「礼法指南」に乗っ取って人様をあれこれあげつらう昨今の風潮の薄っぺらさを思い知らされるではないか。

時間を守る、というマナーに日本人はとりわけうるさいが、そもそも「時間」という漢語がつかわれるようになったのは幕末から明治の初期にかけてのことだ。それ以前、日本人は時間については無頓着だった。たしかに江戸時代は、一日を朝・昼・夕・夜に分け、それも日の出日の入りの時刻が基準なので季節によってそれぞれの長さも異なる不定時法だった。時刻を知らせる鐘も、適当に前後したり突き忘れたりで、それでも世の中は回っていたのだ。

それを一変させたのは「鉄道」だという。明治になり時計に基づく24時間制度が導入されるのと同じ頃に鉄道も開通。鉄道の定時運行のための時間規律が、日本中の時間を正確に同期させた標準時の制度を生み、日本人の時間の観念を変えたのだという。

こうしてつらつら見ていくと、マナーが人の本性にすら関わるとばかりに言い立てるのも野暮じゃないかという気になってくる。

様々な場面での人と人とのかかわりやコミュニケーションとマナーのありようが、ユーモアたっぷりに紐解かれていくのだが、とくに「満員電車の約束」の章は、それこそ電車の中で読んだりすると抑えきれない笑いを無理に抑えてもだえる姿を他の乗客から怪しまれることになるので注意が必要である。電車の中で本を読んでいて、仮に読み終わっても本を閉じてはいけない。なぜか。そこには思いもよらないワケがあるのだ。満員電車おそるべし。

ルールは従うべき掟だが、マナーとはそれぞれの「やり方」。ルールを破ったとき、あるいは破りそうな時にどう振る舞うか。それこそがマナーではないだろうか

欧米では子供を叱る時に「マナーを守れ」ではなく、こう言うらしい。
「Watch your manners」
自分自身のやり方をよく見なさい。日々のやり方が生き方になるわけで、よく観れば人生はマナーでできているのである。

著者は本書の冒頭でこう言い、そこからは氏らしく、いつものようにどんどん人々のなかへ入っていく。

製薬会社で体臭物質の入った小瓶に鼻を突っ込み、臭いというあまりにも人それぞれの感覚とマナーの関係を探る。あるいは社交ダンスのスタジオでタンゴを踊りながら無言のコミュニケーションとは何かを思い知る。国会を傍聴し「儀礼化」と批判も多い議論の形式からも意味を感じとる。結婚相談所で「ご縁」に恵まれるお作法を考える。

どこにでもユルっとスルッと入っていって、キュッと何かを掴んでくる。そんなスタイルが心地よい。

マナーは人を裁いたり値踏みしたりするためにあるのではない。決してひとりでは生きていけない人生を、人とどう関係していかれるか。そのための「私自身のやり方」を探し続けていく道しるべなのだなあと思う。「マナー」ときいてワクワクできるのは、この本を読んだからなのである。

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