『漂うままに島に着き』自ずと変わっていく自分

麻木 久仁子2016年08月24日 印刷向け表示
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漂うままに島に着き
作者:内澤旬子
出版社:朝日新聞出版
発売日:2016-08-19
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内澤旬子さんが乳癌の体験の経緯を書いた『身体のいいなり』を読んだのは、私がたまたま軽度の脳梗塞を発症したときだった。独立した存在だと思っていた精神も、所詮、脳という機能の一部であって、身体の物理的な影響を逃れることはできない。まさに身体のいいなりになることこそ肝要。そう淡々と、しなやかに綴られたエッセイだった。

検査検査で病院通いの日々の中にあって、「素直にいいなりになれるか。そんな風に歳をとっていかれるか」と感じたものだ。幸い脳梗塞の方も後遺症もなく、手足の痺れも治まってホッとした頃に、今度は内澤さんと同じ乳癌になった。これもまた早期発見で事なきを得たが、手術だの放射線治療だのと再び病院通いをしていると思い出されるのが『身体のいいなり』だった。

思えば若い頃からずっと、人生とは自らの意思によって作り上げるものという感覚に知らず知らず囚われていたような気がした。だからこそ頑張らなくてはならないし、努力しなくてはならないし、前進することこそ善なのだと思い込んでいた。しかし意志とは何の関係もなく身体に異変が起こる経験をして、まず先に身体があるのだ、意志はそれに従っていくしかないのだとようやく観念した。

乳癌の治療をしながらふと、身の回りに溢れる物が積もりに積もった心の垢の表れのように思えて、少しずつ整理し始めたときに、今度は内澤さんの『捨てる女』を読んだ。仕事で描いたイラストや、大切で貴重なたくさんの古書など、いわばそれまでの人生の歩みの証とも言える品々をどんどん捨てていく心境が描かれていたが、これもその頃の私にはしっくりと理解できたのだった。「何かを変える自分」ではなく「自ずと変わっていく自分」になりたい。それにはまず何より、素の自分になることなのだ。無理せず気張らず素直になれるよう、余分なものを肩から降ろさなくてはならない。そんな気持ちで『捨てる女』を読んでいた。

何か折々、内澤さんの本に巡り会うなあ、ぜひ一度お目にかかりたいなあという完全な私情で、2年前、当時パーソナリティーを務めていたラジオ番組にゲストとしてお越しいただいた。とても美しく、都会的な感じがする方だったが、なんと、東京を捨てて小豆島に移住したという。急に東京がつまらなくなった。ワクワクしない。東京でなくてはならない理由もよく考えたら無い、というようなことだった。そして、美しい小豆島の海や、温かい人々のこと、いろいろと島暮らしを伺った。

随分とまあ一大決心をなさったもの、と思いきや、ご本人はこれまた気負うことも気張ることもなく、身体と心のいいなりになったら島に着いたという趣で、すっかり魅せられた。遊びに行ってもいいですかと尋ねると「どうぞ」と言ってくださったが、蛾だのゲジゲジだのネズミだのと、内澤さんは楽しそうに語るが私は震え上がってしまい、それきりとなった。が以来、心のどこかに「島で幸せに暮らす内澤さん」がいて、「いざとなれば私だって」と励まされていたように思う。

注文してあった『漂うままに島に着き』が届き、早速手に取ってみると、「移住の顛末記」と帯にあった。人生はどこまで軌道修正できるのか? その顛末記だと。一瞬、不安になった。顛末? まさか移住は「終わった」のか? 島暮らしは成功だったのか、失敗だったのか。

慌てて読み始めた。最後の章がどう終わるのかドキドキしながら。

東京では暮らせないと思い始めたところから始まって、海の見える空き家を探す旅。漠然と「どこか良いところはないか」と思っているうちに小豆島。移住を決めるには気候だの利便性だのあれこれ条件を検討して、合理的に判断するのがよろしかろうけれど、そして内澤さんもそうしようとしていたのだけれど。小豆島でカヤックに乗る。

大学生のとき、富士五湖のどれかでボートに乗ったことがあるがまっすぐ進むこともできずグルグル回るだけだったのに、なぜかスイスイとカヤックが操れて、「た、たのしい。」と思ってしまった瞬間に、人生が変わる。ああ、わかるわかる。きっと機が熟したのだ。

さらに空き家探しをして、ついに一軒の家と出会う。くみ取り便所で五右衛門風呂だが、月と海と暖かさと収納が申し分ない、決めた!となる。引っ越しにまつわる思わぬ苦労もあったが、ついに始まる島暮らし。

カヨと名付けたヤギを飼い、狩猟免許をとり、集落の人々と少しずつ付き合いが生まれ、また思いの外大勢いる同じ移住者たちのコミュニティにも加わって、気づけば毎日のように誰かが訪れてくるような、東京時代には思いもよらなかった生活を送るようになっていくのだ。例によって飄々と淡々と、しかししなやかな書きぶりで、一緒に追体験しているような気持ちで読み進める。

寂しかろうと、皆さんに心配されている私なのであるが、孤独であることは否定しないが、寂しいかと言われるとどうだろうか。朝はヤギの小屋掃除をしたり散歩に連れて行ったりしていて大概、誰かと立ち話をし、そのあとたいていの場合は、近所だけでなく遠くであっても誰かがアポなしでふらりとやってきて手作りのお菓子やカヨのための草などを置いてゆく。

東京にいた時には間違いなくアポなしで誰かとしゃべる機会はほとんどなかった

それに比べると、ここの暮らしは全然寂しくない。

軒先でとりとめのない話をする。お互いの家に上がることはほとんどない。これがなんというか、悪くない。心が冷えないというか

小豆島の生活が、退屈な日常になるその時が、おそらくここに根付く時なのかと思う。それがいつになるのかは、わからない。今はまだ、本当に何もかもが面白くて仕方がないのだから。

よかった。「顛末」とは「移住を考え始めてから、島で生きて行く決断がつくまで」だった。今も内澤さんは島にいる。原稿を書くための仕事場と、狩猟のための作業場もととのえるそうである。

内澤さんは漂うままに島に着いた。私は漂うままにどこに行き着くかしらと、「自ずと変わっていく自分」を信じられるような気持ちにさせてくれる一冊なのだった。

身体のいいなり (朝日文庫)
作者:内澤旬子
出版社:朝日新聞出版
発売日:2013-08-07
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捨てる女
作者:内澤 旬子
出版社:本の雑誌社
発売日:2013-11-20
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