『タングステンおじさん』化学にのめり込んだ、少年時代のオリバー・サックス

青木 薫2016年09月01日 印刷向け表示
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タングステンおじさん:化学と過ごした私の少年時代 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
作者:オリヴァー・ サックス 翻訳:斉藤 隆央
出版社:早川書房
発売日:2016-07-07
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稀代の書き手であったオリバー・サックスが亡くなって1年(8月30日が命日)。『タングステンおじさん』は、2001年に単行本として刊行され、このたび文庫化された作品ですが、私は単行本を読んでいなかったので、この文庫版を手に取りました。だって、なんて魅力的なタイトルなのでしょう!(うかつにも読んでなかったわたし...)

すこし回想めきますが、私がオリバー・サックスという名前を意識するようになったのは、今から22年前、The New Yorkerに、An Anthropologist on Mars (火星の人類学者)という記事が掲載されたときのことでした。自閉症の動物学者テンプル・グランディンに取材したこの作品を引き込まれるように読んだ私は、これはすごい書き手だ! と思い、それ以来、サックスの記事が載るのを楽しみにするようになりました。

実はこの「火星の人類学者」は、のちに映画化される『レナードの朝』などの作品により、(主にイギリスで)ライターとして評価されはじめたサックスが、初めてThe New Yorkerに送った記事でした。The New Yorker の編集者は、その原稿を読んで、「この作品でテンプル・グランディンは有名になるでしょう」と言ったそうですが、グランディンだけでなく、サックスもこれにより一躍有名ライターになったのでした。

とはいえ、そのとき私はまだ、サックスその人に興味をもったわけではありませんでした。The New Yorker に載った作品を読みながら、当然ながら、私はサックスの目を通して患者を見ていたわけです。ところが2010年、同誌に Face Blind (相貌失認症)という記事が載り、私の意識は一転しました。なんとその記事の「患者」は、サックス自身だったのです。読み始めてすぐそのことに気づいた私の中で、視線のベクトルがぐるりと回転し、書き手のほうを向くような感覚がありました。それまでは語り手だったサックス自身が、目の前に立っていたのです。

「相貌失認症」という記事それ自体、たいへんに面白くて語りだすと止まらなくなりそうなのでやめておきますが^^;、ともかくその記事は、私がサックス当人を意識するきっかけとなったのです。

さて、前置きが長くなりましたが、『タングステンおじさん』には、サックスの子ども時代が綴られています。サックスの両親はともに医者でしたが、お父さんのほうは、医者とはいえ(?!)、むしろ文化や伝統のほうに興味があり、患者に対する関心も、その興味の延長線上にあったようです。それに対してお母さんは、はっきりサイエンス・オリエンティッドな人で、とにかく物事の構造に興味がある。家の中で何かが故障すれば、自分で直してしまうタイプで、患者に対する思いやりにも、その背景には動物や植物への関心が広がっていた、とサックスは言います。そんな母親が、元素、とりわけ金属の性質に、息子オリバーの目を向けさせたのでした。さまざまな金属を息子に触らせては、その金属特有の性質についてざっと説明し、「この続きは”タングステンおじさん”から聞きなさい」と言うのでした。

母方のおじである「タングステンおじさん」の手ほどきを得て、オリバーは化学の世界に踏み込みます。やりはじめたらとことんやる、やりすぎるほどやるオリバー・サックスの性格は、すでに少年時代から誰の目にも明らかだったようで、金属の光沢や重さ、ときに示す激しい化学反応に、オリバー少年は深くはまりこんでいきます。

『タングステンおじさん』は、いわば少年時代の「秘密の花園」としての、化学の物語なのでした。

しかし読み進めるうちに、私の心の中に、一抹の寂寥感がただよいはじめます。そう、いつかは終わりが来る。この秘密の花園から出る日がくるとわかっているからです。なにしろわれわれは、オリバー少年が化学の道を進んだわけではないことを知っています。彼は医学を修め、金属ならぬ患者を見つめ、それぞれの特異な生き方を描き出す作家になるのですから。

本のページも残り少なくなった頃、わたしはこう予感しました。サックスはきっと、少年から大人になるどこかの時点で、(ある意味では父親のように)化学よりも人間に興味を引かれるようになるのだろうな。そうして化学少年から、われわれの知るオリバー・サックスになっていくのだろうな、と。

ところが最後の最後で、このわたしのこの凡庸な予想はドラマチックに裏切られました。オリバー少年が化学の世界に別れを告げた大きな要因のひとつは、なんと量子力学との出会いだったのです!

サックスはこう書いています。

かつて私は科学者になるのを夢見ていた。しかし私を虜にした科学は、十九世紀の、具体的で、博物学的で、観察に基づく記述的な科学であって、量子の時代の新しい科学ではなかった。私の知る化学、私の愛する化学は。もはや姿を消したか、性質を変えて手の届かない所へ行ってしまっていた…(以下略)。

量子力学には、さしものタングステンおじさんもお手上げでした。さらに事態をこじらせたのは、科学者クルックスの次の言葉でした。「科学は今後、まったく新しい土台の上に築かれることになるだろう。……われわれは実験の必要から解放され、どの実験の結果も演繹的にわかるようになる」。

なんということ! 自分の実験室をつくり、実験にのめり込んでいたオリバー少年は、クルックスのこの言葉を読んでどう思ったでしょうか? わたしは思わず、オリバー、違うんだよ、クルックスは間違っている! 実験が不要になるなんてことは断じてないんだよ! この先には、これまで以上にすごいことが待ち受けているんだよ! 行かないで、戻ってきて、オリバーーーー!! と、心の中で叫んでしまいましたσ(^^;) 

こんな誤解がオリバーの化学への情熱に水をさすなんて! と悔しく思いながら、わたしは本文の最後にあった「巻末注」の番号をたどり、本の後ろのページをめくりました。すると、そこには次のような言葉があったのです。

(3)このときクルックスの間違いに気づいていればよかったと思うが、まだ少年だった私には容易ではなかったろう。クルックスをそう思わせた新しい原子観は(ボーアがそそれを公表してわずか二年後の一九一五年に、クルックスはその考えを期していた)いったん採用されれば、化学を豊かに発展させこそすれ、廃退させ、だめにしてしまったりはしなかったのだ。(以下略)

この巻末注を読んで、私は慰められた気がしました。サックスは量子の世界を誤解したままではなかったとわかったからです。まあ、当然といえば当然ですが……。なにしろ彼は2015年まで生き、その後の成り行きをその目で見たのですから。 (ちなみに『タングステンおじさん』を刊行しようと決心するにあたっては、量子化学への貢献でノーベル賞を受賞したロアルド・ホフマンとの交流が一役買ったようです。余談ながら、私は、詩人でもあるホフマンの、「詩の翻訳は、せいぜいよくて別の詩でしかない」という言葉をいまもときどき思い出します。)

それでも『タングステンおじさん』のこのエンディングは、20世紀半ばの科学の一面を、鮮烈に伝えるエピソードといえましょう。今日から見て、量子力学的世界像が立ち上がる輝かしい時代は、半面、古典的世界像が崩れ去る時代でもあったからです。

ともあれ、エンディングの切なさは、この本を貫く「秘密の花園」が魅力的であればこそのこと。私にとって、しみじみと心に染みる一冊です。 

量子物理学の発見 ヒッグス粒子の先までの物語
作者:レオン・レーダーマン 翻訳:青木 薫
出版社:文藝春秋
発売日:2016-09-23
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青木薫さん翻訳の『量子物理学の発見』、9月23日に発売です。 

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