『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』 訳者あとがき by 柴田 裕之

河出書房新社2016年09月01日 印刷向け表示
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サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福
作者:ユヴァル・ノア・ハラリ 翻訳:柴田裕之
出版社:河出書房新社
発売日:2016-09-08
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読書の醍醐味の一つは、自分の先入観や固定観念、常識を覆され、視野が拡がり、新しい目で物事を眺められるようになること、いわゆる「目から鱗が落ちる」体験をすることだろう。読んでいる本が、難しい言葉で書かれた抽象論だらけではなく、一般人でも隔たりを感じずに、すっと入っていける内容がわかりやすい言葉で綴られているものだと、なおありがたい。まさにそのような醍醐味を満喫させてくれるのが本書『サピエンス全史』だ。

だからこそ、本書は30か国以上で刊行されて世界的なベストセラーとなり、「ウォールストリート・ジャーナル」「ガーディアン」「フィナンシャル・タイムズ」「ワシントン・ポスト」などの主要紙が称賛し、『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンドも推薦しているのだろう。ノーベル賞を受賞した行動経済学者のダニエル・カーネマンは感銘を受けて二度も読み、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグも「今年の一冊」に選んだそうだ。

著者のユヴァル・ノア・ハラリは、1976年、イスラエルのハイファ生まれ。オックスフォード大学で博士号を取得し、現在はエルサレムのヘブライ大学歴史学教授で、マクロ歴史学に焦点を当てた研究に取り組みつつ、旺盛な執筆活動も展開している。そのハラリが本書では、かつてアフリカ大陸の一隅で捕食者を恐れてほそぼそと暮らしていた取るに足りない動物がこの二一世紀までたどってきた道のりを振り返り、将来を見据える。

「取るに足りない動物」というのは、私たち現生人類にほかならない。ホモ属の多くの人類種の一つで、「取るに足りない動物」だったその私たちが、いったいどうやって食物連鎖の頂点に立ち、万物の霊長を自称し、自らを(厚かましくも)「ホモ・サピエンス(「賢いヒト」の意)」と名づけ、地球を支配するに至ったのか。

それは、多数の見知らぬ者どうしが協力し、柔軟に物事に対処する能力をサピエンス(著者は他の人類種と区別するために、現生人類であるホモ・サピエンスを「サピエンス」と呼んでいる)だけが身につけたからだ、と著者は言う。ハチやアリも多数が協力するが、それは近親者に限られ、彼らの行動は進化によってプログラムされており、柔軟性を欠く。オオカミやチンパンジーはある程度の柔軟性を持っているが、ごく親しい少数の仲間としか協力しない。

このサピエンスならではの能力を可能にしたのが、想像力だ。サピエンスだけが、約7万年前の「認知革命(新しい思考と意思疎通の方法の登場)」を経て、虚構、すなわち架空の事物について語れるようになった。客観的な現実の世界だけでなく、主観的な世界、それも大勢の人が共有する「共同主観的」な想像の世界にも暮らせるようになった。伝説や神話、神々、宗教を生み出し、それを共有する者なら誰もが柔軟に協働する能力を獲得した。虚構を作り変えればすぐに行動パターンや社会構造も変えられるので、サピエンスは遺伝子や進化の束縛を脱し、変化を加速させ、他の生物を凌げたのだ。

なお、こうした虚構は、伝説や神話にとどまらない。企業や法制度、国家や国民、さらには人権や平等や自由までもが虚構だというから驚く。こうしたものに、あまりに慣れ切っている私たちには意外かもしれないが、やはりこれらはすべて虚構なのだと著者は指摘し、私たちの価値観を根底から揺るがす。

さて、サピエンスの歴史は、約1万年前に始まった「農業革命」で新たな局面を迎える。農耕によって単位面積当たりに暮らせる人の数が爆発的に増加し、かつて狩猟採集をしながら小集団で暮らしていたサピエンスは定住し、統合への道を歩み始める。やがてその動きを速める原動力となったのが、貨幣と帝国と宗教(イデオロギー)という三つの普遍的秩序だった。とくに、「これまで考案されたもののうちで、貨幣は最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度なのだ」と著者は言う。これまで、お金については悪いことが多々言われてきたが、たとえばアメリカと政治、軍事、イデオロギー、宗教などの面で対立している国や個人さえ、ドルは受け容れている例を考えれば、その普遍性は認めざるをえない。「貨幣は人類の寛容性の極みでもある」わけだ。

やがてサピエンスは、人類の運命だけではなく、おそらく地上のあらゆる生命の運命をも変えることになる革命を起こした。約500年前に始まった「科学革命」だ。サピエンスが空前の力を獲得し始めるきっかけが、自らの無知を認めることだったというのだから面白い。それまでは、知るべきことはすべて神や賢者によって知られているという考え方が主流で、ほとんどの文化は進歩というものを信じていなかった。一方、科学は自らの無知を前提に、貪欲に知識を求めていった。

知識の追求には費用がかかる。したがって、科学がどの道を進むかは、イデオロギーと政治と経済の力に影響される。そのうちでも、とくに注意を向けるべきなのが、帝国主義と資本主義で、科学と帝国と資本の間のフィードバック・ループが、過去500年にわたって歴史を動かす最大のエンジンだった、と著者は主張する。進歩は、科学と政治と経済の相互支援に依存しており、政治と経済の機関が資源を提供し、そのお返しとして、科学研究は新しい力を提供する。政治と経済の機関はその力を使って、新しい資源を獲得し、その一部が、またしても科学研究に投資される、というループだ。アジアが後れを取ったのは、テクノロジーが欠けていたからではなく、西洋のような「探検と征服」の精神構造と、それを支える価値観や神話、司法の組織、社会政治体制を持たなかったためだ。

進歩の概念は資本主義とも相性が良かった。将来はパイが拡大する(富の総量が増える)と信じることで、投資に弾みがつき、それが劇的な経済発展につながり、無尽蔵ともいえるエネルギーと原材料が手に入るようになり、物質的に豊かな社会が実現した。

このように述べると、サピエンスの歴史は良いことずくめだったように見えるが、はたして、そうだろうか? 地球上の生物の幸福という尺度で評価をすると、様相は一変する。「私たちの祖先は自然と調和して暮らしていたと主張する環境保護運動家を信じてはならない」と著者は警告する。サピエンスはあらゆる生物のうちで、最も多くの動植物種を絶滅に追い込んだ、生物史上最も危険な種なのだ。そして、サピエンスが直接あるいは間接的に絶滅に追い込んだ可能性のある種には、ネアンデルタール人など、私たち以外の人類種も含まれている。こうした生物や、家畜化されて不自由で短い生涯を送っている動物の幸福度の観点からは、サピエンスの歴史は惨事の連続となる。

サピエンス自身にとっては、どうなのか? たしかにサピエンスは、かつてないほどの数に増えているのだから、生物種としては大成功だが、個々のサピエンスの幸福が増したとはけっして言えない。人口の爆発的増大を可能にした農業革命のせいで、サピエンスの暮らしの質は、狩猟採集時代よりも落ち、未来への不安も招いたというのが実情だ。大規模な協力を可能にした虚構は、人種や性別などに基づく格差や差別、搾取も生んだ。また、進歩や物質的な豊かさと幸福が相関するという証拠もない。国家や市場の台頭は、家族とコミュニティの衰退を招いた。「進歩」に伴って起こった地球の温暖化や広範な汚染が、自らの生息環境を悪化させている可能性も高い。

もっとも、著者は時とともにすべて悪くなる一方だなどという極端な見方は取らない。近代に入り、小児死亡率は大幅に低下したし、大規模な飢饉もほぼ一掃された。現代は暴力に満ちた時代などという言説は、歴史的事実に反する。もちろん、暴力は今もあるが、これほど安全な時代はかつてなかった。国家間の武力紛争も、これまでになく減少している。戦争は採算が合わず、平和の利益はあまりに大きく、国際関係の緊密化によって、各国の独立性が弱まっているから、そして、しだいに多くの人が、特定の民族や国籍の人ではなく全人類が政治的権力の正当な源泉であると信じ、人権を擁護して全人類の利益を守ることが政治の指針であるべきだと考えるようになってきているからだ。たとえ虚構ではあっても、自由や平等、人権の概念が以前より受け容れられて差別や搾取が減っている。

いずれにしても、過去の出来事が、他の生物種や個々のサピエンスの幸せや苦しみにどのような影響を与えたのかについては、これまでほとんど顧みられなかった。著者はこれを「人類の歴史理解にとって最大の欠落」とし、「この欠落を埋める努力を始めるべきだ」と提案する。至言だろう。

それでは、サピエンスは今後、どのような世界へと向かうのか? 著者は最後にもう一つ驚きを用意していた。サピエンスの未来は、これまでの延長線上にはない。なぜならサピエンスは、自然選択の法則を打ち破り、生物学的に定められた限界を突破し始めているからだ。著者は、サピエンスが生物工学、サイボーグ工学、非有機的生命工学の三つのどれをも、自然選択の代替としうるとしている。

その結果、サピエンスはいずれ特異点に至る。それは、私たちの世界に意義を与えているもののいっさいが、意味を持たなくなる時点、テクノロジーや組織の変化だけではなく、人間の意識とアイデンティティの根本的な変化も起こる段階だ。そして、それはサピエンスが再び唯一の人類種ではなくなる時代の幕開けかもしれない。

ほとんどのサイエンス・フィクションは、私たち自身の世界から取り出した倫理的ジレンマや政治的ジレンマを筋書きの核心に据え、未来を背景にして私たちの感情的緊張や社会的緊張を再現しているにすぎない。だが、未来のテクノロジーはサピエンスそのものを変え、私たちには想像の糸口もつかめない感情と欲望を持たせうる。

著者は、サピエンスにはそうした流れを止めることはできず、唯一私たちに試みられるのは、科学が進もうとしている方向に影響を与えることだと見ている。そして、最終章を次のように結んでいる。

「私たちが自分の欲望を操作できるようになる日は近いかもしれないので、ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は、『私たちは何になりたいのか?』ではなく、『私たちは何を望みたいのか?』かもしれない。この疑問に思わず頭を抱えない人は、おそらくまだ、それについて十分考えていないのだろう」

なんとも含蓄のある言葉ではないか。

著者は、歴史とその研究については、こう述べている。

「すべての大陸の事実上すべてのサピエンスは最終的に、今日私たちが暮らすグローバルな世界に到達した。ただし、この拡大と統一の過程は一本道ではなかったし、中断がなかったわけでもない。とはいえ全体像を眺めると、多数の小さな文化から少数の大きな文化へ、ついには単一のグローバルな社会へというこの変遷はおそらく、人類史のダイナミクスの必然的結果だったのだろう。だが、グローバルな社会の出現は必然的だというのは、その最終産物が、今私たちが手にしたような特定の種類のグローバルな社会でなくてはならなかったということではない」

「歴史の選択は人間の利益のためになされるわけではない……。歴史が歩を進めるにつれて、人類の境遇が必然的に改善されるという証拠はまったくない」

「歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ」

読者のみなさまも本書を読むことで、冒頭に書いたような、先入観や固定観念、常識を覆され、視野が拡がり、新しい目で物事を眺められるようになるという体験を楽しんでいただけたなら幸いだ。

2016年6月 柴田裕之

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福
作者:ユヴァル・ノア・ハラリ 翻訳:柴田裕之
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