『廓のおんな 金沢 名妓一代記』 文庫解説 by 井上 理津子

新潮文庫2016年11月02日 印刷向け表示
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廓のおんな: 金沢 名妓一代記 (新潮文庫)
作者:井上 雪
出版社:新潮社
発売日:2016-10-28
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著者の井上雪さんは、地元・金沢を精緻に描くことで知られた作家だった。本書は金沢の「廓」という装置の中で精一杯がんばって生きた、1892(明治25)年生まれの山口きぬさんの生涯を描いたノンフィクションだ。 

廓の脇を流れる浅野川の緩やかな流れ、瓦屋根の低い家並み、夏は打ち水され、冬は粉雪を掃いた箒目が見える置屋や料理屋の玄関先、三味線の音色、艶やかな着物の芸者たち、背筋がすっと伸びたきぬさん……。まちの色もさんざめきも、人々の匂いも伝わってきて、明治の終わりから大正、昭和にかけての花街へタイムスリップさせられたが、何より見事なのは、そんないにしえの情緒に、心憂い廓のリアルがたっぷりと描きこまれていることだと思う。

廓が合法の時代である。金沢の「東の廓」に限ったことなのか、全国の廓がそうだったのに私が寡聞だったのか。きぬさんが暮らした廓には、驚くべき制度がいくつもあった。

一つは「二枚鑑札」つまり芸者と娼妓の二つの鑑札を合わせ持つ制度だ。一部の芸者が二枚鑑札を持っていたのではなく、芸者は前借金を早く返すために、おしなべて二枚鑑札を持っていたと読める。

能登の貧しい家に生まれたきぬさんは、1900(明治33)年、7歳で東の廓の置屋に身売りされる。反対する母親に「女郎にするわけんない。芸者にするがじゃ」と怒る父親は、二枚鑑札の〝常識〟を承知していたのだろうか。当時、東の廓では「娼妓をひとり置かないと営業許可がおりなかった」とのことで、きぬさんが売られた上店とされる置屋には「芸者六人と娼妓一人がいた」と、まず出てくるが、それはあくまで建前だった。ほとんどの芸者が「しもも売っとる」状況だったことが明らかだ。

きぬさんは三味線、踊り、鼓など芸事や茶道にいそしむ一方で、見習いとして働く頃から「どうしたら相手をよろこばせる技が身につくのか」と朋輩に身のこなしや色香の秘めようを教えられたりもする。

雪の正月、お座敷の帰り道に、先輩芸者から「雪道を歩いたら、おなごの味がよくなる。内股で、腰に力を入れて下駄を運ぶと、しっかりと締める練習になる」との旨を教えられるシーンがあった。私は「雪の朝二の字二の字の下駄のあと」という句が頭によぎった。但馬国の代官の娘で女流俳人となる田捨女が6歳で詠んだ句で、下駄で歩いた跡が真白き雪に食い込む様が、美しくてちょっぴりおかしいと描写している。同じ雪道なのに、なんという差だろう。きぬさんに、雪景色を心に捉える余裕はおろか、無邪気な年頃などこれっぽっちもなかったのだと心が痛くなった。

廓は免許地だから何をしてもいい、何が起こってもおどろかない、といわれたが、実際にそこに住む者でなければ理解できない特有の世界があった。たとえ真夜中に太鼓をたたこうが、往来の真んなかで男と女が抱きあおうが、誰ひとりとがめたりする者もいない

廓がそんな「特別のまち」であったことは百も承知だが、想像を超えることも出てくる。

日露戦争の後、金沢にはロシア人俘虜の収容所ができ、彼らは大切に扱われたという。「大切に」の矛先が性に向けられ、国から通達を受けた市当局が、置屋の女将に協力を要請した。廓の芸者らがロシア人の相手をさせられたのだそうだ。ある日突然、廓に梅毒の予防のために「下洗い」する建物が設置されたとは、芸者らは乱暴な「働き」を余儀なくされたと想像に余りある。

その頃、きぬさんはまだ見習いだったから、自身がロシア人の相手をさせられることはなかったが、ロシア人から「オジョサン(お嬢さん)」とたどたどしく呼びかけられたことがあった。そのとき、自分が良家の子女のように見えたのかと胸が高鳴ったというくだりに、いたいけな表情が目に浮かぶ。

私がもっとも驚いたのが、きぬさんが15歳のときに迎えた水揚げの習わしだ。水揚げとは、財力のあるお客が初めての男となる通過儀礼で、その男が芸者の以後の経済を支える旦那となると認識していたが、本書にはそうでないと記されていた。

きぬさんがおろしたての長襦袢をまとって身を委ねた初回の相手は、20歳余り年上の「商売屋の旦那」だったが、「水揚げというものは、1回きりで一人前の女になるというわけではない」と女将が言う。初回を終えても「あっち、こっちと枕を変えさせられた」。数多くの男と、いわば偽装の水揚げをさせられるものだったのだ。「そのたびに、これがおつとめかなあ、と心に言いきかせては辛抱して男と寝た」とある。寝るときもお化粧をして寝るように、夜々の男をあくまでも客だと思えと教えられた。

だが、温泉へ一晩泊りで遠出した夜などは、灯りを消されて男の胸の下に組みしかれたとき、きぬは抑えようのない犯される快感を知り、いつのまにやら夢中になって自らの腕で相手を抱きしめてしまっていることに気づく

男の目線でも、一般の女の目線でもない、当時の廓の女ならではかもしれない、切ない性が示されている。本書の初版は1980年だから、70年代に、著者が85歳のきぬさんからこういったことを聞き出したのもさすがだが、陋劣でない言葉を選んでさらりと書き留めたのもたいしたものだ。

さらに、本書は先の戦争中の廓の様子を如実に描き出している。その頃、きぬさんはすでに置屋の女将だったが、日露戦争後と同様に、廓に無謀な国家命令がくだった。

芸者は三味線を弾いてはいけない、太鼓を叩いてはならないと「表芸」が禁止され、兵隊をお客に「慰安婦」「接待婦」として働け、と。復員や動員のたびに、芸者らは押しかける兵隊たちの相手とならざるを得なかったという。

繰り返すが、本書はきぬさんの生涯を描いたノンフィクションだ。だが、私は読みながら、ちょっと硬いが、かつてフェミニズムの命題とされた「個人的なことは政治的である」という言葉を思った。

私は、2000年から10年余り、「最後の遊廓」といわれる大阪・飛田新地を取材した。そのとき高齢だった楼主でもきぬさんより一世代下だが、彼ら彼女らは多かれ少なかれ必ず「女の子のことを自分の子どものように思い、女の子とその親族を経済的に助けるために力を尽くしてきた。この商売は人助けのようなものだ」という意味のことを執拗に語った。

実際、楼主たちにそういった一面がまったくなかったとは言い切れないかもしれないが、しかし、である。1958(昭和33)年まで合法だったとはいえ、女性を金銭で「買い」、女性の意思など無関係に長期間にわたって体を使った年季奉公をさせ、その間に大いに「儲ける」のが、廓の商売の現実だ。女性を「自分の子ども」と思うなら、できようはずがない。「人助け」は詭弁だと思えてならなかった。今思えば、それが廓が合法の時代を肌で知らない私の限界だった。

本書では、誰の口からもそういった詭弁が一言も発せられない。著者は廓を白とも黒ともグレーとも、その存在を評することを、敢えて避けていると私には思える。

著者は1931(昭和6)年生まれだ。廓という枠組みがあった現実を潔く受け止めているからこそ、誰にも語らず、墓場まで持っていくつもりであったろうきぬさんの微妙な心の動きを聞き出すことに成功したのではないか。

きぬは、自分の名が「鈴見」であることが実感として受けとめられなかった。美しい着物を着ればきるほど、なぜか寂しかったし、あれほど芸者になりたかった時もあったのにいったん芸者になってしまい、「スズミ!」などと呼ばれると自分が自分でないような思いだった

これは、”振袖芸者”になれてからの心持ちだ。そして、25年の廓の生活から飛び出して、遥か京都の妻子ある愛人の元に走ったときはこう独白した。

おなごな、惚れた人におうて、はじめて、おなごのしやわせが生まれるもんやと知りみした。30も真んなかになってからに、寝たさいな、うれし涙がぽとぽとと流れてからに、どうで、こないに涙がでるもんやろかと思うみしたて

逆境を運命と受け入れ、多くを語らず生きてきた人が、意を決して語る言葉にぞくぞくするのは私だけではないだろう。

本書の刊行を、きぬさんは「とんと昔のおなごの話やけ」と謙遜しながら、表情を変えずに喜んでいるに違いない。

(平成28年8月、ノンフィクションライター)

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