なぜ薬物依存が減らないのか『ドラッグと分断社会アメリカ 神経科学者が語る「依存」の構造』

冬木 糸一2017年02月05日 印刷向け表示
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ドラッグと分断社会アメリカ 神経科学者が語る「依存」の構造
作者:カール ハート 翻訳:寺町 朋子
出版社:早川書房
発売日:2017-01-24
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薬物依存には大変恐ろしいイメージがある。一度でも手を出せば最後、もはや依存から逃れることは叶わず万難を排して薬を手に入れることに邁進し、捕まってもやめることはできない──。

確かにコカインやマリファナといった薬物には"依存"はある。だが、世間一般に流布しているイメージは科学的に正確とは言い難いものだ。違法薬物による依存とはどのような種類の依存なのか? 依存に陥らない状況もあるのか? という点について、ただ闇雲に恐れるのではなく科学的に検証する必要がある。本書は、アメリカの貧しい黒人居住地区で生まれ、幼少─青年時代を"薬物"と身近な日々を過ごした神経科学者による、"正しく怖がる"ための薬物教育の一冊である。

邦題と違い原題は『High Price: A Neuroscientist’s Journey of Self-Discovery That Challenges Everything You Know About Drugs and Society』で、身近にドラッグが溢れた生活を送っていた著者がいかにして学者としての成功をおさめるにいたったのか──という自伝色が明確になっている。最初こそ「知らん学者の幼少時なんかどうでもええわ」と思いながら読んでいたのだが、これが波乱万丈の人生で、ドラッグと非常に親しい位置にいたからこその視点がアメリカの社会構造の興味深いサンプルとなっており、おもしろく読ませてもらった。

病的な行動ばかりが注目される薬物依存

著者の体験談からくる黒人底辺層の話と並行して、専門領域であるところの神経精神薬理学、薬物と社会と人間の行動に関する実験結果の数々が述べられていく。その中心的な論点/主張は、依存症などの研究では病的な行動ばかりが注目され、一般的な状況で見られる条件が無視されることに対するカウンターだ。『じつは、薬物を使っても、ほとんどの場合は依存症を招かないのだ。しかし、自制力を失わなかった薬物使用者や、ニコチンやテトロカンナビノールを求めてレバーを押そうとはしなかった動物について報告している研究は、これまでにほとんどない。』

ラットがレバーを押すことでコカインが得られる場合、死ぬまでレバーを押し続けるという恐怖の実験を聞いたことがあるかもしれない。薬物依存の恐ろしさを示す例としては格好の結果だが、著者は実際には実験でラットが置かれている状況は極度に不自然であることが多いと指摘する。たとえば通常ラットが置かれることのない、完全に孤立した、レバーを押す以外にはすることがない状況にいるのであれば、他にやることがないのだから依存状態にも陥るだろう。

実際、ラットの生息状況に近い環境を用意した群(ラットパーク)と、孤立したラットでどちらがモルヒネ水を摂取するかを調べた実験がある。結果として出たのは、ラットパークのラットは孤立したラットにくらべてはるかに少ない量しかモルヒネ水を飲まないという単純な事実である。条件によっては、孤立したラットはラットパークのラットの20倍もモルヒネ水を飲んだ。この結果は薬物の病的な使用においては社会的なつながりが重要であることを示しているといえる。

人間に対する実験

上記は所詮ラットの実験ではあるけれど、著者は人間でも薬物実験を行っている。この実験では、まずクラック・コカイン常習者を募集し、彼らに対して一日分のコカインを提供するか、もしくは5ドルの現金引換券か商品引換券を手に入れることを選択させる生活を送らせる。一般的なイメージだと依存症患者なのだからまずコカインを選ぶと思うだろうが、実際には得られるコカインの用量に応じてコカインか引換券で分かれることになったそうだ(1日分のコカインだと多くがコカインを選んだが、コカインの用量が1回分の場合は引換券を選んだ)。

『薬物がそばにあっても、依存者はただひたすら薬物渇望の虜というわけではない。彼らは合理的な選択をすることができる』『薬物使用者のほとんどは、支障なく薬物を使っている』というのが繰り返される著者の結論/指摘である。そうであるにも関わらず、薬物の有害な作用を過度に重視し、使用者を投獄などによって社会から完全に離脱させてしまうと、特にマイノリティ集団にとっては再度の社会復帰が難しくなり再度薬物へ──という依存の悪循環に陥ってしまう。貧困で育ち失うものが少ない人、社会から孤立したケースなどなど、他の選択肢がとれなくなってしまった"社会環境"によって、依存が深刻化してしまう傾向があるのだ。

これを読んでいると著者は薬物合法化を推進する立場なのかと思うかもしれないが、そういうわけではない(立場は後述)。摂取方法の違いによって依存症が深刻化する場合について詳細に記し、依存に陥りやすいケース/環境を明らかにし危険性を指摘する。その上で、現在は政策においてもメディアの報道でも薬物作用を実際の影響以上に"怖がりすぎ"、貧困や人種差別の問題を薬物の問題にすり替えていることが薬物使用者らの社会復帰の障害になっていると述べる。

薬物非犯罪化について

著者による実体験談──親族や幼なじみの多くが売人となったり、薬物取締法の人種選択的な施行によって黒人が不当に社会から隔絶されていく社会状況は、客観的な実験結果とはまた別のベクトルからアメリカのドラッグ社会がもたらす分断の有様を描き出してみせる。

最終的に著者が提示するのは薬物合法化"ではなく"薬物非犯罪化の概念である。この場合薬物は合法ではないものの、違反しても刑事上の有罪判決には繋がらない。そのため薬物所持/使用によって犯罪歴がついて社会復帰が難しくなる事例を減らし、常習者も治療を受けやすくなる。これは何も著者独自の考えではなく、すでにいくつかの州やポルトガルでは実施されている。その結果を見ても、薬物の問題が何もかも解決されるわけではないからこそ、薬物依存への対応についての議論および科学的な検証はずっと続けていかねばならないだろう。

そのためにもまず、科学的に正確な依存症への理解が必要なのだ。本筋にあまり関係があるとは思えない(一部はあるんだけど)、著者が何人もの女の子との関係を持ったエピソードが盛りだくさんなことには辟易させられたが、全体的に満足できる一冊である。

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