『物理学者の墓を訪ねる ひらめきの秘密を求めて』死者と過ごす静かな時間

首藤 淳哉2017年05月01日 印刷向け表示
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物理学者の墓を訪ねる ひらめきの秘密を求めて
作者:山口 栄一
出版社:日経BP社
発売日:2017-02-02
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世に渋い趣味は数あれど、極めつきの渋いやつとなると、「掃苔」ではないだろうか。「掃苔」は「そうたい」と読む。苔を掃除する。つまりは墓参りのことである。

何を隠そうぼくも掃苔愛好者だ。特にお気に入りは青山墓地で、これからの新緑の季節は特に気持ちがいい。職場のホワイトボードに「打ち合わせ 青山」などと書いて外出しているときは、ほぼ例外なく仕事をサボって青山墓地を散歩しているなんてことは、絶対に会社には知られてはならない秘密である。

だが、本書の著者に「墓参りがご趣味ですか?」などと訊くと、きっと怒られてしまうだろう。物理学者の著者にとって、世界を変えた物理学者の墓を訪ねることは、偉大なる先人の魂を少しでも身近に感じるための神聖な行為なのだ。

著者の墓参りは、観光ついでにちょっと立ち寄るなんて生易しいものではない。それはまず入念な下調べからスタートする。というのも、ヨーロッパの墓地はとてつもなく広いからだ。特にドイツは森の中に墓地があることが多く、墓参りはすなわち森林散策となる(マックス・プランクらが眠るゲッティンゲンの墓地の写真などはため息が出るほど美しい)。しかもあらかじめあたりをつけて行っても、墓地の管理人が場所を知らないというケースもあるという。実際に著者はハイゼンベルグが眠るミュンヘンの森林墓地で、管理人にハイゼンベルグ誰それ?と言われ、途方に暮れた経験を持つ。下調べに念を入れて入れすぎることはない。

そのうえで墓参りにはひとりで行くのが著者の流儀だ。ヨーロッパは基本的に土葬なので、地中にはそのまま遺体が埋まっている。足元に世界を変えた偉大な人物が眠っているのだと思いながら、著者はそこに眠る人物との交感を試みるかのように、柔らかい土の上にそっと指を伸ばす。そうして満ち足りたひとときを過ごすのだという。

十代の頃に物理の方程式と出会い、「世界と溶け合って周りの風景の隅々が全く違う質感を持って見えた」という悟りにも似た境地を体験した著者にとって、墓参りは、「自分にとってこの上なく大切なもの、全身を揺さぶる情動を与えてくれた人」の少しでも近くに行きたいという、自分の中にある「スピリチュアルな何か」に導かれた営みなのだ。

このように墓参りはきわめて個人的な行為であると同時に、墓には故人をめぐるさまざまな情報が蓄積されており、それを読み解く知的探求という側面もある。

そのひとつの例が、ロンドン郊外のブラムレイに眠るリーゼ・マイトナーの墓だ。彼女は同僚だったオットー・ハーンとともに核分裂を発見したが、ふたりの墓は歴史的な業績をあげた同じ科学者とは思えないほど対照的である。

科学界におけるユダヤ人差別や女性差別にさらされながら、マイトナーは30年以上にわたりドイツでハーンとの共同研究を続けてきたが、ナチスが政権をとり、ユダヤ人への迫害が激しさを増すなか、ついにスウェーデンへの亡命を余儀なくされる。

マイトナーが去った後、ウランに中性子をぶつける実験でバリウムができているのを発見したハーンは、手紙でマイトナーに相談する。手紙を読んだ彼女は、核分裂反応が起きているとたちどころに見抜く。世界で初めて核分裂反応という新しい概念にたどり着いた瞬間だが、一方でこれは、ウランによる原子爆弾製造の可能性が見出された瞬間でもあった。

マイトナーとハーンのその後は明暗が分かれる。ナチスを恐れたハーンは、マイトナーの名前を外して論文を発表し、1944年にノーベル化学賞を受賞する。一方のマイトナーは、イギリス政府から原爆開発への協力を要請されるものの断固拒否し続け、広島と長崎に原爆が落とされたと知った時は自分のせいだと泣き崩れ、自らの発見を呪ったという。それからは一切の研究を絶ち、反核や女性の権利の問題などに関わった後、最期はケンブリッジの老人ホームで89歳の生涯を閉じた。

ロンドン南西の田舎町ブラムレイにあるマイトナーの墓は、まさに「打ち棄てられた」という表現がぴったりだ。雑草が生い茂り、朽ちかけた墓からは、生涯独身で身寄りもなかったと思われる彼女の人生が偲ばれる。墓石に記された“A physicist who never lost humanity”(決して人間性を失わなかった物理学者)という文字はほとんど消えかかっていたという。

一方、ゲッティンゲンにあるハーンの墓は立派だ。磨き上げられた縦長の墓石の上方にはくっきりと“OTTO HAHN”の名が、下方にはその業績を誇るかのようにウランの中性子による核分裂の反応式が刻まれている。ふたつの墓はわたしたちにいろいろなことを教えてくれる。

本書に触発されて、ぼくも物理学者の墓を訪ねてみることにした。(本書で紹介されている13人の偉大な物理学者のうち、6人は日本人である)

桜のつぼみがほころび始めた頃に訪れたのは、青山墓地にある長岡半太郎の墓だ。 長崎・大村藩士のひとり息子として1865年に生まれた長岡は、岩倉使節団の一員として西洋文明の発展ぶりを目の当たりにして衝撃を受けた父に、「欧米の学問を学べ」と育てられた。東京大学理学部に入学してからも常に「日本人が科学研究の一翼を担えるだけの創造性を持ち得ているか」という問題意識を持ち続け、ドイツで最先端の物理を学び、帰国後は日本の科学立国のために力を尽くした。

1896年の三陸沖地震では、運動方程式から津波の高さや速度を示す式を導き出し、日本における津波研究の嚆矢となり、1903年には、電子が原子核のまわりをまわる原子の土星モデルを世界で初めて提唱するなど(だがこの偉業は欧米の科学界で黙殺される)、研究者としても超一流だった。

人を見る目も確かで、ノーベル物理学賞の推薦者として湯川秀樹を推薦した他、理化学研究所の第3代所長に当時42歳だった大河内正敏を抜擢し、また日本人として初めて量子力学を完璧にマスターした仁科芳雄を見出したのも長岡である。実力を伴わない権威主義や前例踏襲の官僚主義が大嫌いで、公式な場に赴く際も勲章を付けず、それどころか初代文化勲章を除く数々の勲章はすべて燃やしてしまったという。

こんな魅力あふれる人物がどんな墓に眠っているのか、実際にその場所に立って何かを感じてみたかった。だが本書でせっかく地番が紹介されていたのにろくに調べもせず、いつものように青山通り側から入ったのが間違いだった。目指す墓はまったく反対の側にあることがわかり、広大な青山墓地を端から端まで縦断するはめになってしまった。

延々と墓地の中を歩きたどり着いた小高い丘の上にその墓はあった。眼下はもう外苑西通り、西麻布の交差点は目と鼻の先だ。手を伸ばせば届きそうな近さに六本木ヒルズが聳え、すぐそばの国立新美術館の草間彌生展には多くの人が押しかけているはずなのに、その喧騒がここまで届かないのが不思議なほど静かである。

墓は手入れが行き届き、とてもきれいだった。実はこの墓は少し変わった構成になっているのだが、それはぜひ本書をお読みいただきたい。ここでは、形式や伝統にとらわれない長岡半太郎らしい墓であるとだけにとどめておこう。

墓誌をみると、つい最近も鬼籍に入った方がいらっしゃることがわかる。そこに連なるお名前を拝見しながら、この墓が長きにわたって関係者によって大切に守られてきたことを知った。南からの暖かい風が水仙の黄色い花弁を優しく揺らし、ひばりの囀りが聴こえてくるなか、しばしその場で静かに時を過ごした。とても豊かな時間だった。

もし休みがとれたなら、あなたもひさしぶりに墓参りに出掛けてみてはどうだろう。死者と過ごす静かな時間は、忙しい日々の中で忘れてしまったいろいろな感覚を思い出させてくれるはずだ。
  

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