『親鸞「四つの謎」を解く』 文庫解説 by 佐藤 洋二郎

新潮文庫2017年04月30日 印刷向け表示
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親鸞「四つの謎」を解く (新潮文庫)
作者:梅原 猛
出版社:新潮社
発売日:2017-04-28
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親鸞には法然や日蓮と違い、宗派の開祖としての自伝的な書物は少ない。また90歳にも及ぶ長き生涯において、足跡に不明瞭なことも多々ある。それゆえに今日でも文人や知識者たちの研究の対象になっている。謎が多いのだ。そのことを改めて解きほごそうとしたのが本書だ。中でも重要な四つの謎、「出家の謎」「法然門下に入門した謎」「結婚した謎」「悪の自覚の謎」をキーワードに、著者は親鸞の生涯に深く切り込み、スケールの大きな研究書かつ文学作品に仕上がっている。ミステリー小説のような趣がある。この「四つの謎」は親鸞を知るためには欠かせないものだが、そこに独自の見解と新しい発見もあって、興味をかきたてられる書物となっている。

そしてもう一つ、親鸞の謎を一段と深めているのは彼の言葉にある。その哲学的な言葉の解釈によって、わたしたちは彼の世界に引き込まれていく。書き残された文字が難解であればあるほど立ち止まり、思案する。わたしたち人間は言葉を頼りに生きているし、言葉こそが人生の道しるべだからだ。しかし言葉には人格が宿っている。社会的立場にある人物の発した言葉であったとしても、受け手がその人に好意を持っていなければ、どんないい言葉でも拒絶される。逆に多少は問題がある人物だとしても、好意を持っている聞き手には、彼の発する言葉は素直に受け入れられる。心も動かされる。感動すればそういう人間になりたいと憧れるし、行動を起こすことにもなってくる。

親鸞の言葉はすべて彼が書き残したかと問う人もいるが、そのことは問題にならないはずだ。それは旧約聖書や新約聖書の成り立ちを思えばわかる。前書は書きつづられた時代もそれぞれだし、書いた者がほとんど不明なものばかりだ。後者においては、イエスはなにも携わっていない。マタイやマルコ、ルカやヨハネが書き残しそれを神の福音としたのだ。

親鸞の言葉もそのことに似ている。彼の言ったとされる言葉がわたしたちを捉えていくのだが、その心の裏側には、親鸞は何者かという意識や想念が生まれてくる。まして近年まで彼の存在さえ危ぶまれていたことを思えば、よけいにその感情は増す。たとえば、承元の法難で配流された越後は、流刑地ではないという学者もいる。平安時代の流罪には遠流・中流・近流とあり、遠流は佐渡や隠岐の島など、中流は信濃や伊予、近流は越前や安芸などと、罪の軽重に応じて流される地が分かれていた。能登や越前に流された者はいるが越後にはいない。そこから本当に親鸞は実在したのかと疑う者もいた。実際、彼は、妻とされる恵信尼が、娘の覚信尼に送った十通の手紙が発見されて、ようやく実在していたことがわかった。大正十年のことだ。このように生存や出自も謎が多い。

しかし親鸞は歴史上存在した。ちなみに歴史の「歴」は物事を歴然と、つまりはっきりさせるという意味であり、「史」は文字のことだ。それは警察の取調べに似ていて、犯人とされる者が自白しただけでは罪とならない。物的証拠が出てきてはじめて犯人だと判断される。古い文書の文言と実際の物的証拠が一致しないと、歴史上の遺産とはならない。言葉だけでは伝説や伝承、神話や民話となる。

わたしは梅原猛氏の愛読者であるが、前述のことに気づかされたのは、氏の『水底の歌』の中で、柿本人麻呂の終焉の地が、石見の湯抱ではないというのを読んでからだ。そこは数軒の温泉宿があるだけの山間地で、そばには確かに人麻呂の辞世の歌に出てくる鴨山という小さな山がある。歌人の斎藤茂吉は人麻呂が亡くなった土地だと書いたが、それを梅原氏が詳細に調べて反論していた。

わたしは10回前後その地を訪ね、2人の論考を読み返した。三瓶山への山越えもしたし、粕淵にも抜けてみた。三次のほうまでも足を伸ばした。余談だが『神名火』という短編集の中に「湯抱」という作品まで書いた。なぜそこまでのめり込んだかというと、若い時分に短歌に親しんでいたからだ。人麻呂に憧れていたし、親鸞と同じように謎の多い人物だと感じていたからである。実際、石見には人麻呂の足跡はたくさんある。ただ彼の終焉の地を特定するに足る物的証拠がないから様々に推理することになる。しかしそのことが歴史上の真実になるためには、トロイの木馬のように土地に伝承や伝説が残っていて、わたしたちはそこから検証していくのではないか。湯抱の人々に訊いてみても、人麻呂がここで死んだという話はないと言う。それどころか有名な歌人が書き残したのだから、そうではないかという返答が戻ってきた。そのうち湯抱はいつのまにか人麻呂の終焉の地となり、それを書物にした茂吉の記念館までできた。

わたしはなにも茂吉の著書を否定するわけではないし、記念館は後世の人々が立ち上げたものだから、彼にはなんの罪もない。それに歴史的にはそんなことはたくさんある。事実、『古事記』の倭健命と『日本書記』の日本武尊のように、同じヤマトタケルノミコトであっても、表記が変ればおこなったことは別人のように違ってくる。後々の者はどちらが本物の人間か判然としなくなってくるし、逆に「歴史」も霧の向こうに消えてしまうことになる。判然としなくなったり、秘密になってしまうと、神秘性を高めたり、権威を高めることに利用される惧れもある。決してあやふやにしてはいけないのだ。

こう書くと生意気で偉そうにと思われるかもしれないが、若かったわたしは茂吉が二、三度訪れただけで、確固たる物的証拠もないのに、書物にしていいものかと考えたのだ。だがそのことで、梅原猛氏の書物の愛好者になったのだからなにが幸いするかわからない。おかげで読むと知識も増え、自分が少しはましな人間になるのではないかと感じる時もある。独創的で実証主義というところがなによりもいいのだ。本書執筆の当時、氏は親鸞が亡くなった時と同じ年で高齢だが、机上の知識を積み上げていくだけではなく、親鸞と関係のある場所を訪ね歩いている。つまり調査がしっかりとなされているのだ。それが豊かな発想を生み出し、親鸞がそばにいるような息吹が行間から立ち上がってくる。陽や風の心地よさが伝わってくるし、親鸞のいた風景が見えてくる。それは文章に熱があるからだろうし、彼に好意を持っているからだ。

存在を危ぶまれていた親鸞は、恵信尼の手紙によって改めてわたしたちの前に、昭然と現れてきた。しかし彼の存在を認識しても、今なおわたしたちは実像に迫ろうと試みる。彼は『歎異抄』の中で、「善人なおもって往生をとぐ。いわんや悪人をや。しかるを世の人つねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや」という言葉を称えているが、この言葉一節でも難解で、わたしたちは深く思案させられる。それを書き残したのが唯円だとしても、その精神は親鸞のものだ。いったいどういった人物だったのか。わたしたちはこの忍土で、煩悩の海にもがきながら生きているが、本当に心が解放されることがあるのか。その苦悩や畏怖する感情を、親鸞は数文字で言葉化したのだ。

その行動として「南無阿弥陀仏」と専修念仏を称えろと言うのだ。「南無」は恭順、帰依するという意味だ。不殺生戒・不偸盗戒・不邪婬戒・不妄語戒・不飲酒戒の「五戒」を犯しても、あるいは仏法の最大の煩悩である「三毒」の「貪・瞋・痴」に負けそうになっても、念仏を日々称えれば克服できると信じたのだ。欲望や怒り、嫉妬をわたしたちの心から遠ざけ、平穏に生きる術を、彼は阿弥陀仏の慈悲に求めた。それが先人の心を掴み、今日でもわたしたちの心を捉えて離さないのだ。

親鸞がながい生涯をかけてなぜ悟りをひらいたか。本書にも「出家の謎」として書かれているが、やはり彼の生い立ちが影響していることが窺える。親鸞の人生にはいくつもの断層がある。母親からは源氏の血筋を受け継ぎ、公家でありながら源氏に肩入れした父親を持ち、彼の命を守るためには出家をしなければいけなくなる家庭環境は、自分は何者かという問いかけを親鸞のうちに芽生えさせていたはずだ。比叡山から下りる苦しみ、妻帯をする畏怖。いつ殺されるかもしれない「流罪」の恐怖。それらの深い断層を阿弥陀仏に縋って乗り越えた。その後の、越後、信州、笠間、再び都へのながい人生行路は、阿弥陀仏に心から恭順していたゆえの生き方だ。彼自身が悟りをひらこうとする修行者の菩薩だったのだ。

あるがままに生きる。自分に忠実に生きる。妻帯も女犯も阿弥陀仏への他力本願によって救われる。迷いも吹っ切れた。そのことは師と仰ぐ法然のもとに行った時からかもしれないが、その法然も家庭的には恵まれていない。父親を殺害されている。それは一遍も似ていて、彼の一族も離散している。浄土宗系の彼らは、いずれも幼い時から家族の温かみを知らず仏門に入っている。おのれは何者かという自問は誰よりも強かったはずだ。孤独だったに違いない。孤独ということは淋しいということだが、「孤」は親のいないこども、「独」は身寄りのいない年寄りのこと、つまりは家族を持てない人間が、もっとも淋しいということになるが、彼らは早々とその孤独の淵に追いやられていたのだ。

わたしたちは親を選んで生まれてくることはできない。好きな環境を望んでこの世に現れてくるわけでもない。それが幸福か不幸かはその後の人生に関わってくるが、どんな生き方がいいか誰にもわからない。短い人生の中で喜怒哀楽の感情に翻弄されて生きていくが、この処置できない感情は常に心の中を動き回り、突然、泡沫のように現れてくる。平穏だと感じていても、急に水面のさざ波のように走り抜ける。わたしたちの感情ほど複雑で摩訶不思議なものはない。古代梵語で「摩訶」はたくさんとか非常にという意味だ。「不思議」とはわたしたちが懸命に考えても理解できないことを指す。その最たるものが人間の感情だろう。すべては心の問題なのだ。
判然としないものの中心に、わたしたちは神や仏を立て、神仏のおっしゃるとおりだと、さもわかったふりをして生きている。親鸞はその中心に阿弥陀仏を立てたのだ。あの「悪人正機説」の言葉のように、慈悲深い御仏が救済してくれると疑わない。その願いは千年近く経っても灯り続け、縦横に渦巻く喜怒哀楽の感情を静謐にしてくれる。

それは親鸞が生を享けた時代を思えば尚更のことだ。彼が生まれる少し前には保元の乱(1156年)や平治の乱(1159年)があり、武士の台頭から貴族による支配体制が変ろうとしていた。社会は荒み、人々は困窮している。世も末といわれた時代だ。仏教には正法・像法・末法という言葉があるが、正法は仏陀が入滅して500年は教えが生き、像法はその1000年後まで似たようなことが伝わり、末法は1500年後で仏陀の教えが届かなくなると言われている。日本では末法に突入するのは永承7年(1052)とされている。承安3年(1173)に生まれた親鸞より120年前のことだが、その間にこの国は多くの内乱や内戦を起こして、田畑や人心は荒廃している。人々が世も末だと思うのは無理もない。その後も治承・寿永の乱、養和の飢饉と、戦乱と飢餓の社会は続いていく。

苦悩し忍土でもがく人々の心を救済しようとするには、親鸞はまず自分が解放されなければいけないことを悟ったから、懊悩するわたしたちの元まで下りてきた。そのことが逆に彼を聖人にまで高めたのだ。法然の教えを「真」に受け継ぐ者は自分だとして、ただ一向に念仏を称える。如来の本願を信じ、弟子を一人も持とうとせず、慕っていた教信のように、その骸を鴨川の水魚に食わせろと伝えた。悟りきって亡くなったのだ。修行し、もう学ぶことのない者でなくても、あるいは「五戒」を犯した者でも、阿弥陀仏の光徳によって救われる。親鸞自らが懊悩の末に悟ったことを率先して実行し教えたのだ。著者はその過程を、親鸞の一つ一つの謎に光を当てて浮き上がらせ、真の姿をたぐり寄せようとしている。生きることに思い悩んだ彼の姿を活写している。

本書は多くの示唆に富んだ洞察力のするどい著作で、謎の多い親鸞がはっきりとした輪郭を持って近づいてくる読み応えのある作品だ。仏教や親鸞に興味がある読者は一度手にしたほうがいいはずだ。親鸞の実像が瞼の裏側にくっきりと浮かんでくる書物だった。

(平成29年3月、作家)

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