『世界一訪れたい日本のつくりかた』観光の基本は「楽しい」にあるべき

2017年7月11日 印刷向け表示
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世界一訪れたい日本のつくりかた

作者:デービッド・アトキンソン
出版社:東洋経済新報社
発売日:2017-07-07
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去る6月19日、東京大学の伊藤国際学術研究センターで行われた、東京大学政策ビジョン研究センター主催の『文化を基軸とした融合型新産業創出研究ユニット キックオフシンポジウム「日本の文化政策の新たな姿を探る」』に参加して来た。

その基調講演がデービッド・アトキンソン氏で、日本の観光政策についての中身がある非常に良い講演だった。アトキンソン氏のポイントは幾つかあったが、一番印象に残ったのが、「日本の外国人に対するunwelcomingな姿勢を変えなければならない。ただ単に文化財を囲い込んでいるだけでは、文化財を管理しているつもりで実は破壊している。観光の基本は『楽しい』にあるべきで、もっと積極的に文化財を観光資源として活用すべきだ」という点である。

要は、文化財を後生大事に抱え込んで大事にしている姿勢こそが、文化財を人々から遠ざけ、資金不足から修復もままならない状況に陥れ、それが文化財を破壊するという皮肉な結果を招いているということで、正に日本の文化政策の痛いところを突かれた感じである。

アトキンソン氏は、この講演の中で、先日、東京国立博物館で数十年振りの規模で行われた特別展『茶の湯』を見に行った際に、(茶碗の現物ではなく)茶碗の解説を写真に撮ろうとしたら監視員に咎められ、その意味が分からなかったので、「それじゃあ、ここにあるゴミ箱も撮っちゃダメなんですか?」と聞いたら、それもダメだと言われてビックリしたというエピソードを語り、その時は会場が爆笑の渦に包まれていた。

そもそも、今時、美術館で写真撮影を全面的に禁じているのは日本くらいなもので、勿論、絵画にストロボを当てるのはNGだが、入場客が展示品を写真に撮ってSNSで拡散してくれたら、タダで展覧会の宣伝をしてもらえる訳で、こんなに得な話はないと思う。世界の美術館を代表するルーブル美術館でも写真は撮り放題のようで、最早これが世界の趨勢になっている。

私自身も、東京国立博物館に『茶の湯』展を見に行った。確かに内容は素晴らしかったが、どことなく「素晴らしい茶碗を特別に見せてあげましょう」という雰囲気を感じたのは否めない。自分自身が少しばかり茶道をかじっているので、茶席で客が茶碗をありがたがって拝見する気持ちは分かるが、そうした感じが日本の伝統的な文化財全体に蔓延しているように思う。

また、こうした文化財や伝統美術の敷居の高さが人々を遠ざけ、その間隙を突いて、観客参加型で偉ぶったところがないコンテンポラリーアート(現代美術)が、今、非常な勢いで伸びている背景にもなっているのではないだろうか。

現代美術作家の杉本博司氏と建築家の榊田倫之氏が主宰する新素材研究所の監修の下で11ヶ月かかって改修され、今年2月にリニューアルオープンした熱海のMOA美術館は、展示作品と客の距離感がかなり近くなるように工夫されているが、伝統的な芸術や工芸の分野でもそうした工夫をどんどん取り入れてもらいたい思う。

アトキンソン氏の話に戻ると、彼のこうした如何にもイギリス人らしいちょっと皮肉交じりの物言いも、人々に真実を気付かせるためのウィットに富んだ発言だと鷹揚に受け止めれば良いと思うのだが、それができないでカチンと来てしまう日本人も少なからずいるようだ。

アトキンソン氏がゴールドマン・サックスで銀行業界のアナリストをやっていた1990年代、日本の銀行が抱える不良債権額が20兆円にも上るとするレポートを書いて銀行業界に大論争を巻き起こし、それがゴールドマン・サックスやアトキンソン氏への大バッシングにつながったのだが、その時のことを思い出す。

私自身が当時の大手銀行の経営企画セクションでIR担当をしていた関係で、その時にアトキンソン氏に会っているのだが、当時の経営企画部長は彼に対して怒り心頭で、何とかして黙らせようとゴールドマン・サックスに圧力をかけていた。

実際に銀行の財務を見ていた私としては、やはり人間は本当のことを言われると頭に来るんだなと、内心、アトキンソン氏にシンパシーを感じていたのを覚えている。そして、その後、実際に日本の銀行界に何が起こったかは、誰もが知る通りである。

このようにキチンと理詰めで考えるので、相手の都合の悪いことでもハッキリ言ってしまうのがアトキンソン氏であり、そうしたエビデンスベース(=客観的な証拠に基づいて)で物を語る姿勢は、今の情報化社会にマッチしたあるべき姿だと思う。最早、情報は隠そうとしても隠せないのだから、むしろ積極的に情報を開示して、プロアクティブにうまく対応して行った方が良いということである。

慶応大学SFC(湘南藤沢キャンパス)の中室牧子准教授の著書で、2016年のビジネス書大賞準大賞を受賞したベストセラー『「学力」の経済学』では、教育問題について雰囲気や感情論で議論するのではなく、キチンとしたエビデンスに基づいて考えましょうということが書かれていて、それが大きな反響を呼んだ訳だが、観光についても同じようにエビデンスベースで考えようというのがアトキンソン氏の主張である。

頭では分かっていても、こうした当たり前のことができないのが日本人なのだが、それでもアトキンソン氏の『新・観光立国論』が大ベストセラーになり山本七平賞を受賞したことや、彼が政府の観光関係委員会のメンバーになっていることを考えると、時代は明らかに彼の方に近づいているのだと思う。

アトキンソン氏の言っていることは至極真っ当で、感情的に反発すべきようなものではなく、むしろそれを正面から受け止めてキチンと検証し、これからの日本の文化事業の発展のためのたたき台にすべき宝の山である。

日本の少子高齢化が急速に進む中で、文化財を積極的に活用して自らがカネを稼ぐ力を身に付けなければ、修復もままならないまま、日本の文化財はどんどん消滅して行ってしまうのは必至である。

それでは、具体的に何をすれば良いのかの詳細については本書を読んで頂きたいが、ここで問題の整理の仕方として、日本の観光業を取り巻く時代の流れを、「昭和」「平成」「将来」の3つに分けている点が非常に分かりやすい。

人口が爆発的に増えていた「昭和の観光業」は、「質より量」であり、有名な観光地に一生に一度行ければ良いという、大量の観光客を短時間でさばくという供給側の視点に力点が置かれていた。この日本人のマス向けに作った昭和の観光インフラを、中国を始めとするアジアの団体ツアー向けに活用したのが、「平成の観光業」である。

これに対して、「将来の観光業」のあるべき姿は、カスタマイズされたサービスを提供して顧客満足度を上げ、量を稼ぐのではなく一人当たりの単価を引き上げることに力点を置くべきであるというのが、アトキンソン氏の主張である。

つまり、観光をGDPに貢献できるように産業化して行くためには、幾ら観光客数が増えてもそれ自体には意味はなく、観光の質を上げ、観光客が喜んでお金を落とすような仕組みを作る必要がある、そのためには、伸び代が大きい欧州からの観光客数を伸ばすべきであり、中でも一番ターゲットにすべきはドイツ人観光客であると言っている。

勿論、だからと言って、アトキンソン氏は、アジアからの観光客を軽視している訳ではなく、世界中どこでも近場からの観光客は滞在日数が短く、落とすお金の絶対額が少ないというファクトに基づいて語っているのである。

そして、そうした観光客誘致のために重要な五つ星のホテルの数が、世界の観光地と比べて日本は格段に少なく、またその内容は多くの日本人が勘違いしているように、ハードの豪華さではなく、カスタマイズされたサービス内容というソフトにあるということを言っている。(東洋経済オンライン『外国人が心底失望する「日本のホテル事情」日本には「高級ホテル」が足りなすぎる』)

また、日本人は温泉の有無や泉質に非常にこだわるので、外国人観光客にもそれが当てはまるかのように錯覚しているが、外国人観光客が評価するのは、むしろ景観や町並みや自然環境で、そうした意味で国立公園は最も優れた観光資源であり、これを整備して活用することが何より大切であるということを言っている。

元々イギリスの貴族の出で、アンティークの蒐集家でもあったアトキンソン氏は、ゴールドマン・サックスを辞めて軽井沢にこもって茶道に専念していた時、たまたま別荘が隣だった小西美術工藝の社長から誘われて同社の経営陣に加わった。

なぜ40歳代そこそこでゴールドマン・サックスのパートナーという輝かしい地位を捨てて引退したのかと言えば、日本の右翼の街宣車が執拗に彼のオフィスや家にやって来て、それに嫌気がさしたからだと言う。

今の日本社会に求められているのは多様性に対する寛容性である。外国人にせよ、女性にせよ、LGBTにせよ、様々な立場の人々を懐深く受け入れ、inclusiveな社会を構築して行くことが、日本社会をもう一度活性化するための鍵であり、それができなければ東芝や東京電力のような道をたどらざるを得ないだろう。

アトキンソン氏という、ちょっと風変わりで、こよなく日本文化を愛するイギリス人の、核心をついた主張に真摯に耳を傾け、彼が嫌気がさしてゴールドマン・サックス時代にそうであったように、情報発信を止めてしまわないよう、日本が寛容な社会に変わってくれることを願っている。 

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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