『生きる職場 小さなエビ工場の人を縛らない働き方』そこには、最低限の秩序だけがあった

2017年7月24日 印刷向け表示
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生きる職場 小さなエビ工場の人を縛らない働き方

作者:武藤北斗
出版社:イースト・プレス
発売日:2017-04-16
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「出勤日も、出勤・退勤時間も自由」
「欠勤の連絡をしなくてよい」
「嫌いな作業はやらなくてよい。好きな作業だけやればよい」

著者の武藤北斗さんが経営している水産加工会社のルールである。こんな職場、本当にあるの?

のっけから驚かされる。理想主義も行き過ぎて、意識高い系の実験的な試みはいいけれども「生き生き働く笑顔」のうらになにか無理が潜んでいるんじゃ…。などと恐る恐る読み始めたのだが。

とにかく徹底している。その日出勤するかしないかは各人の自由なのだが、行くか行かないかを連絡する必要すらないのだという。というか連絡は「禁止」なのだ。なぜなら「好きな日に休んでいいよ」といいながら「だけど連絡はしてください」だの「事前に報告してください」だのと言えばやはり管理されているように感じるだろうし、無言のプレッシャーをかけることもできることになってしまって、ルールが形骸化するからだ。たしかに「うちは福利厚生しっかりしてますよ」といいながら実際の有給消化率は低いなどという話はよく聞く。産休とろうとしたら体良くクビになったなどという話もよくある話だ。

うちの工場では欠勤の際、電話もメールも一切連絡は禁止ですし、書類の提出もありません。

それでも連絡してきてしまう人には厳しく注意します。これは優しさで言っているのではなく、ルールなのです。連絡はしないと決めたなら、してはいけないのです。

なんと「無断欠勤」がルールなのだから、たとえ良かれと思っても連絡するのはルール違反。この工場においては秩序を乱す行為として、むしろとがめられるというのだから発想の転換といってもまだまだ「ほんとうですか?」という気持ちになる。

「嫌いな作業をしなくてもよい」というのも、それで本当に仕事が回るのかと頭の中が「?」でいっぱいになる。仕事には嫌な仕事だってあるだろう。けれど誰かがそれをしなければならないのは世の常ではなかろうか。

この工場は冷凍の天然のエビを原料に、むきエビやエビフライなどのお惣菜を作っている。エビの殻をむいたり、串で背ワタを抜いたり、パン粉をつけて揚げたり。さらに計量から包装、箱詰め、出荷、掃除などいくつもの工程があって、それらをすべて手作業で行っている。そのさまざまな作業について、なんとこの工場では従業員にアンケートをとるのだそうだ。好きな作業には○、嫌いな作業には×、どちらでもないものについては空欄にしておく。

すると不思議なことにそれぞれの好みは思った以上に多様で、嫌いな作業は重ならなかったのだ。自分が嫌いな作業はみんなも嫌がると思いがちだが、自分がやりたくないことを、むしろやりたいと思う人がいるというのは、思いもよらない結果だった。さらに面白いことにその好き嫌いは、時間をおくと変わる。定期的にアンケートをとるが、やはり作業の好みはその時々でちゃんとばらけて、誰もやらない工程というのは発生しないそうだ。

武藤さんが目指すのは「居心地のいい会社」である。

僕は根本的には仕事というものは、楽しみではなく、生きていく手段に近いものだと思っています。そのうえで、「働きやすい職場」を作るというのは、従業員一人一人が仕事をどのように感じていようと関係なく、会社がひたすらに職場環境や人間関係を整え、誰もが居心地がいい状態を目指すことだと思っています。

仕事は必ずしも楽しいものではないけれど、そこで居心地よく働けることは大事であり、その結果として楽しみがついてくる可能性はある。

だったら徹底的に働きやすくしよう。武藤さんの挑戦が始まったのだ。

実は武藤さんの会社はかつては石巻にあった。が、東日本大震災で被災し、大阪に移転。二重債務を抱えながらの再出発だった。ところが、再起をかけて奔走する中、石巻時代からの工場長が突然退社してしまう。信頼してすべてを任せていたといえば聞こえはいいが、実のところ様々なことを押し付けていたのではないか。自分のことばかりで従業員の気持ちを考えていなかったのではないかと、自らを振り返らざるをえない状況に陥る。

それまでの武藤さんは、従業員は「管理」するものだと思っていたそうだ。従業員をガチガチに管理し、代替出勤も許さず、何事にも細かく書類で提出させ、挙句は工場内にビデオカメラを設置して事務所から工場内を監視するほどだったという。また従業員のなかで派閥争いがあって現場の空気が悪くなっても、むしろその争いをうまく競争心をあおることに利用できないかと考えるような、いまとはまるで違うやり方をしてきたという。口うるさい悪役を演じ、嫌われても管理を怠らないことで現場の統率が取れ、生産効率を高めると信じていたのだ。ビジネス書を読んでそれを丸呑みし、「こう改善すれば歩く距離が10歩少なくなって効率が上がる!」などと従業員を叱咤してきた。

それが、大震災ですべて失い、取引先などの援助や励ましでせっかく再起したのにやり方を変えられず、大切な戦力に去られてしまった。あとはもう自分一人でやるしかなくなってしまったのだ。しかし自分は現場がわからない。もう、従業員のひとりひとりに聞くしかない。

こうして初めてじっくりと、働く人々と向き合い、話を聞き、意見を聞いていくうちに武藤さんはどんどん変わっていく。従業員をガチガチに管理していた自分。それは従業員も嫌だっただろうが、憎まれ役なんぞを自認していた自分もまた大きなストレスを抱えて、けっして居心地よく働いていなかったことを素直に認めるところが武藤さんのすごいところである。

ああ間違っていたと気付いた武藤さんが、ずんずん変わっていく過程は読んでいて清々しい。武藤さんが変わり、従業員も変わっていく。管理をやめたら人がやめなくなり、長く勤める熟練従業員が多くなることで商品品質も生産効率も向上、何よりも従業員の意識が変わりさらに働きやすくするためにはどうしたらいいか前向きな提案をしてくれるようになったのだそうだ。この方式を取り入れて、誰も出勤してこなかった日は一日だけ。むしろ全員来てしまう方が一気に作業が増えて困るくらいだと聞けば、案ずるより生むが易し。

本当にそんなことできるの?というはじめの疑問は、読んでいくうちにどんどん溶けていく。この方式はすでに4年続いているそうだ。つねにみんなの意見を聞き、当初のやり方からさらにブラッシュアップさせている。例えば「嫌いな作業はやらなくていい」というルールは「嫌いな作業はやってはいけない」に発展した。やらなくていいどころか、禁止、である。

ある新人のパートさんが入ってきたときのこと。「自分は新人だから」と嫌いな仕事でも頑張ってやってしまった。新人さんは「自分が嫌いな作業はみんなも嫌いだろう」と思い、気を利かせたわけだ。ところが別のパートさんはその作業が好きだったのに新人さんに取られてしまったと、不満を溜め込んでいたというのだ。なんともったいないことか。誰も得をしない。だから、嫌いな作業をやるのは禁止。良かれと思ってやるのも禁止。

このほかにもいくつもの「居心地よくするためのルール」が出てくるのだが、それらのルールがどのようにして生まれたかも面白い。やってはみたが失敗に終わったルールもある。いずれにしても人は「多様」だということだ。そして、一人一人の違いを一律に管理するよりも、的確で無駄のない最低限の秩序で、どう折り合いをつけるかということに工夫を凝らすほうがよいという発想を、貫けるかどうかが大事なのだ。その試行錯誤のプロセスはとても人間的なエピソードばかりで「ああ、言われてみれば確かにそういうことあるなあ」と自分の身近に引き寄せて読んだ。

誤解がないようにお伝えしたいのは、働きやすい会社とは笑顔の溢れる、笑い声の絶えない、そんな会社のことではありません。朝礼でハイタッチもしませんし、お互いを意識的に褒めあったりもしません。そんな見せかけだけの仲よしごっこは、会社の外部に対するアピールでしかなく、従業員にとってはなんの意味もありません。

人が人を必要以上に管理する中で、幸せを分け合うというのは難しいものです。会社であっても、家族であっても。

そんなこと出来っこないと、考えてもみないことは多い。が、どうせ日々何かをするのなら、やっぱり幸せになるためにするのでなければつまらない。自分自身、思い込みで機会をうしなっていることがあるのかもしれない。柔軟に素直に考えることを恐れず、あとはほんの少しの勇気があったら、変わりっこない、出来っこないと思っていたことも動いていくかもしれないなあと思わされる。

業績は上向き、大震災で背負った1億4千万円の負債は、9千万円までに減ったそうだ。大阪の小さな会社の試みが、ファンタジーではなく実績として、大きなメッセージになって広がっていきますように。

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作者:成毛 眞
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