『<映画の見方>がわかる本 ブレードランナーの未来世紀 』 文庫解説 by 吉田 伊知郎(モルモット吉田)

新潮文庫2017年10月29日 印刷向け表示
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
〈映画の見方〉がわかる本 ブレードランナーの未来世紀 (新潮文庫)
作者:町山 智浩
出版社:新潮社
発売日:2017-10-28
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • HonyzClub

町山智浩は〈今世紀最初の映画評論家〉である。

2002年に最初の映画評論集──本書の前作にあたる『〈映画の見方〉がわかる本─『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで』(洋泉社)を上梓し、このとき初めて町山さんは映画評論家を名乗った。映画について書く映画ライターは大量に輩出されても、映画評論家を新たに名乗る者など皆無だった時期に、である。そこにはどんな意味があるのだろうか。

映画評論家なんて誰でもなれると言われる。実際、おすぎさんは『映画芸術』(1996年秋号)の映画批評特集で「映画評論家になりたかったら、自分で名乗ればいい」と言われて名乗るようになったと明かしている。しかし、続けて「評論とか批評とか言うにはおこがましい仕事ばかりしているように思えます」と省みて、だから自身を「劇場勧誘員」と称しているのだと語る。〈映画評論家〉を名乗ることへの畏れは、過去の優れた映画評論を読んでいなければ生まれない。

町山さんもまた、映画を観まくっていただけではなく、同時に映画評論を読みまくることで、長い時間をかけて自身の映画評論スタイルを形成し、満を持して〈映画評論家〉を名乗ったに違いない。というのも、町山さんは編集者時代から常に、〈映画評論とは何か〉〈映画評論家の役割とは何か〉を模索していたからだ。例えば、町山さんが編集長を務めた1990年発行の雑誌『映画宝島 発進準備イチかバチか!号』を見てみよう。わずか84ページの、その後に続く『別冊宝島 映画宝島』『映画秘宝』のエッセンスが凝縮された幻の雑誌だが、ここで町山さんは、巻頭に敬愛する映画評論家・石上三登志さんを登場させている。

石上さんは最初に「25年ほど前、僕はある一本の、当時のこの国の映画批評界、映画ジャーナリズム界が、誰もまともには相手にしない映画を見た。そして、その作品の新鮮さに感動し、文章にまとめ、『映画評論』という専門誌にはじめて投稿した。その原稿は、翌66年の3月号に載り、映画評論家石上三登志がささやかに誕生した」と、自身が映画について書くきっかけを淡々と記しているが、これこそは町山さんの映画評論に対する基本理念と通底する。

巻末には四方田犬彦さんらが出席する「問題発言座談会 ニッポン映画ジャーナリズムのどこがダメか⁉」という刺激的なコーナーが据えられている。おそらく町山さんが進行役と思われるが、〈800字の映画コラムばかりが量産される現状〉〈映画を見ていなくても書けそうな文章ばかり〉〈蓮實重彦と彼が創刊した映画雑誌『リュミエール』の功罪〉──といった話題は、町山さんが今も問題提起する部分と重なる。

1992年発行の『映画宝島 怪獣学・入門!』には長い怪獣映画論が十数本並んでいる(ちなみに拙著『映画評論・入門!』の書名はここからのイタダキである。町山さん、仁義を切らず失礼しました!)。編集後記で町山さんは、「怪獣に限らず、徹底的に映画を解読してみせる評論って、最近あんまり流行んないみたいですね。(略)でも、このままじゃ、四百字で六十枚以上の一本筋の通った論文を書ける映画評論家なんて、滅んじゃうんじゃないでしょうか」と嘆いている。長いものを書くには、事実関係の調査を踏まえて、緻密な構成のもとで仮説を立てて立証する作業が不可欠である。映画への知識だけでなく、作者の意図、背景にある歴史、製作時の時代状況、果てはゴシップまでも把握しておかねば俯瞰できまい。

〈映画評論=長い評論〉という考え方は、先鋭的な映画評論誌では昔から実践されてきた。『映画評論』の編集長だった佐藤忠男さんは、1960年代初頭、これぞと見込んだ20代の雑誌編集者や読者投稿家らに書きたいものはないか尋ねて、〈枚数無制限〉で原稿を発注した。その中の「喜劇映画の衰退」(中原弓彦=小林信彦)、「動画映画(アニメーション)の系譜」(森卓也)は後に加筆され、それぞれ『世界の喜劇人』(新潮文庫)、『アニメーション入門』(美術出版社)という名著になった。

長い評論といえば、1970年創刊の『映画批評』松田政男編集長)では、20代以下の書き手には400字詰め原稿用紙で50枚、30代以上は30枚と枚数を規定したという。執筆者の中には若き日の川本三郎さんもいた。曰く、「松田さんは毎回『ともかく400字で30枚書いてこい。長い文章を書かなければダメだ』と叱咤してくれた。そして三十枚書きあげると、内容が悪くても活字にしてくれた。その修行時代が約一年続いた」(『映画はアクチュアル』松田政男・川本三郎著/現代書館)。このとき川本さんは同時代の、つまりは70年代初頭のアメリカ映画──『殺人者にラブ・ソングを』『狼は天使の匂い』『ロリ・マドンナ戦争』等々について、毎回たっぷり書いていた。目ざとい町山さんの読者なら、『狼たちは天使の匂い 我が偏愛のアクション映画 1964~1980①』(町山智浩著/洋泉社)と作品が重なっていることに気づくだろう。川本さんと町山さんが、18歳差を感じさせずにトークライブを行っているのは、こうした映画体験が通じ合うからでもある。

そして、淀川長治さんが師にあたる南部圭之助さんを継承した美的感覚を重視したスタイルの映画評論を書いたように、小林信彦さんが双葉十三郎さんから影響を受けたように、映画が過去の映画とつながっているのと同じく、映画評論も過去の評論とつながっている。町山さんの映画評論も例外ではない。例えば、石上三登志さんの『キング・コングは死んだ 私説アメリカ論』(フィルムアート社)、『吸血鬼だらけの宇宙船』(奇想天外社)、増淵健さんの『娯楽映画大百科』(三一書房)、『映画のもうひとつの楽しみ方』(芳賀書店)、川本三郎さんの『朝日のようにさわやかに 映画ランダム・ノート』(筑摩書房)、『シネマ裏通り』(冬樹社)──などを図書館か古本屋で見つけたら、ぜひ目を通してほしい。町山さんの映画評論の源流を見つけることができるはずである。

こうして見ていくと、町山さんが突然変異的に現れた映画評論家ではなく、編集者時代も含めて、日本の映画評論の伝統と流れを汲む正統な継承者であることがわかるはずだ。『〈映画の見方〉がわかる本』が出版された2002年、日本の映画評論界はどんな状況だったか。淀川さんは既に亡く、80年代にカリスマ的な人気を誇った蓮實さんは、1997年より東京大学総長となり〈映画評論家廃業〉を宣言していたが、この年あたりから、復帰に向けて少しずつ活動を見せ始めていた程度だった。つまり、一般にも広く名の知られた現役映画評論家は、「劇場勧誘員」のおすぎさんを除けば、皆無という状況だった。同時に、編集者時代の町山さんが危惧した「一本筋の通った論文を書ける映画評論家なんて、滅んじゃう」時代も現実に迫っていたのだ。その空白の時代に、町山さんは映画評論への緊張と畏れを抱きながら、〈今世紀最初の映画評論家〉として登場したのである。こうした点を踏まえて本書を読んでくだされば、なぜ、かくも面白く、長文を飽きさせず読ませ、映画ファン以外の読者も魅了させるのか、その理由の一端がわかるはずである。

──私が言いたかったことは、ここまで。後はひたすら一読者として本書を楽しんだ。前作との最も大きな違いは、取り上げた作品のうち、町山さんがインタビューしたことがある監督が4人いるという点だろう。ワイドショーで新作映画のPRのために同じ質問ばかりされているハリウッドスターを見ていると分からないが、インタビューもまた映画評論である。監督は凡庸な質問には定型的な答えしか返してくれないが、核心を突くような問いかけをすると、本音を漏らしたり、饒舌に語り始めたりする。だが、町山さんは自分のインタビューだけに固執しない。資料のひとつと割り切って、他のインタビューや、DVDの副音声をかき集めて解明にあたる。それが最も発揮されたのが、最初に取り上げられた『ビデオドローム』だろう。過去のどんな映画にも似ておらず、監督のデヴィッド・クローネンバーグ本人ですら分からないと言う。前作で『2001年宇宙の旅』を、資料を総動員して解読してみせた町山探偵も流石にお手上げだろうと思わせる。しかし、「私の映画が言及しているのは私自身だ」という監督の言葉をヒントに、彼の半生を追うことで解明の糸口を見つける。

映画をテーマや同時代性など、あらゆる周辺状況を取り除いて画面の中に映っているものだけで論じる映画評論も私は好きだが、そればかりでは作り手の意図や、時代の影響を取りこぼしてしまう。町山さんはその真逆の手法によって、本書で指摘される80年代のアメリカ映画にレーガン政権の影響がいかに大きく反映されたかを明らかにしていく。町山さんの映画評論スタイルは、蓮實重彥以前に一世を風靡した小川徹の「裏目読み」(完成度や画面で論じるのではなく、映画の背景にある映画作家の無意識の思想を指摘する)に通じるものもあるが、裏目読みは面白いものの実証主義ではない。町山さんはあらゆる資料を駆使して、それこそ『ブレードランナー』の例の「2つで充分ですよ!」の謎も解明する。それが実にしょうもない結果だったとしても。
単行本刊行時と今の違いは、ドナルド・トランプの登場だが、まるで予見していたかのように、本書にはトランプの影を見つけることができる。『グレムリン2/新・種・誕・生』のくだりで登場するクランプ・タワーのオーナーであるダニエル・クランプのモデルが誰かは言うまでもないが、『ブレードランナー』がレーガン政権の政策が行き着く先の未来を描いているという指摘は、物語の舞台となる2019年を目前にした今、現実のアメリカが〈ブレードランナーの未来世紀〉に限りなく近づいてしまったことを実感させる。そうなると、『ブレードランナー 2049』(2017年10月27日公開)には何が描かれているのか、町山さんはそこからどんな評論を書くのか注目せずにいられない。

最後に、無邪気な映画ファンとして記しておけば、本書に取り上げられた映画たちは、私が小学生の頃にブラウン管の映画館で観た〈トラウマ映画〉でもある。「ゴールデン洋画劇場」(フジテレビ系)で観た『グレムリン』、「日曜洋画劇場」(テレビ朝日系)で観た『ロボコップ』『ターミネーター』、「水曜ロードショー」(TBS系)で観た『ブレードランナー』等々。大幅にカットされ、日本語に吹き替えられていたが、観終わると双葉十三郎さんの『ぼくの採点表Ⅳ 1980年代』(トパーズプレス)で評論を読み、続編の『グレムリン2』『ロボコップ2』『ターミネーター2』を観に映画館へ走った。今度もあの頃のように──双葉さんはもう居ないが、代わりに本書の第8章を読み返して、『ブレードランナー 2049』を観に行くことになりそうだ。

2017年9月 吉田 伊知郎(映画評論家) 

記事へのコメント コメントする »

会員登録いただくと、記事へのコメントを投稿できます。
Twitter、Facebookにも同時に投稿できます。

※ 2014年3月26日以前にHONZ会員へご登録いただいた方も、パスワード登録などがお済みでない方は会員登録(再登録)をお願いします。

コメントの投稿

コメントの書き込みは、会員登録ログインをされてからご利用ください。

» ユーザー名を途中で変更された方へ
 変更後のユーザー名を反映させたい場合は、再度、ログインをお願いします。

HONZ会員登録はこちら