『どうしても欲しい! 美術品蒐集家たちの執念とあやまちに関する研究』理想の自分に近づきたくて

西野 智紀2017年11月06日 印刷向け表示
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どうしても欲しい!: 美術品蒐集家たちの執念とあやまちに関する研究
作者:エリン・L. トンプソン 翻訳:松本 裕
出版社:河出書房新社
発売日:2017-09-26
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世の中にはコレクターと呼ばれる人たちがいる。特定の事物を徹底的に蒐集する人々のことだ。切手や古いコイン、宝石といった貴重品から、食玩フィギュアのような玩具、映画の半券、果ては牛乳瓶のフタやら変な形の小石やら、ありとあらゆるジャンルに彼らは存在する。

そうした蒐集の中で、おそらく最も長い由緒を持つのが、古美術品蒐集だ。本書は、古美術品の私的コレクションを築き上げた人々の動機と自己認識について分析した一冊である。著者は美術品犯罪研究の専門としてアメリカで唯一の大学教授で、「古美術品コレクターの執念は虚栄心によるもの」とする世間の単純化されたイメージに反発して、本書を書き上げた。論文の体裁を取っているため少々カタい言い回しもあるが、たかが蒐集癖と思うなかれ、彼らのアイデンティティと美術犯罪の闇の歴史に迫る筆鋒はひじょうにスリリングである。

内容に入る前に、本書のスタンスにのっとって、言葉の定義を明確にしておこう。まず「コレクター」とは、古美術品の私的蒐集をおこなう者のことを指す。芸術家、学者、ディーラーなどは含まれていない。また、分析のメインとなるのは彼らが自らの思いを綴った書簡や回顧録、日記といった書物で、購入記録との矛盾が見られたり、創作の疑いがあったりする逸話の紹介は避けている。

加えて、「古美術品」とは、古代ギリシア・ローマ人が制作し、現在のギリシアやイタリアで見つかったもの(彫刻、陶磁器、絵画など)を意味する。これらの定義を踏まえたうえで、最初に蒐集を始めたとされるのが、紀元前200年ごろアナトリア西部に存在したアッタロス朝である。彼らは、正当な指導者の証、富の誇示、そしてアイデンティティを創出する力として、ギリシア文化の残骸を蒐集した。

やがて、ローマの支配によって、ギリシア芸術はローマ人の手に渡る。この世界帝国時代の著作物によって政治や戦争、科学といった知的領域が形作られていったように、蒐集という行為の考え方も醸成されていく。

ローマの古美術品群を大々的に利用したのは、14世紀に生まれたエリート階級、羊飼い(ボヴァッティエリ)だ。彼らは裕福だったが、どうしても貴族になりたかった。彼らは田舎臭さを消すため、古代ローマの遺跡から美術品を掘り出し、権威には古い血筋が不可欠であることをローマ社会の低層に向けて示した。解釈の操作である。

その後、17世紀から18世紀にかけて、英国の富裕層がおこなった「グランド・ツアー」によって、古美術品は各国へと流れていくようになる。彼らもまた、過去との精神的つながりを求めていた。だが、いつの時代もそうだが、欲と富と権力が集まるところは人間の暗部も見られやすい。

18世紀のイングランド有数のコレクター、ヘンリー・ブランデルは、知人の美術品販売会で、ある彫像に心惹かれる。それは、3人の幼児を抱いて眠る両性具有者の姿を現した作品だったのだが、ブランデルはその表現が汚らわしく思えた。そこで彼は、購入後、幼児と男性器を切除するという「修復」を施し、眠るヴィーナス像に作り変えてしまった。自らの欲求を押し付けたのだ。

ブランデルは、こうした改竄をはたらきながら、自身のコレクション作品の主題を理解していると豪語していた。ところが始末の悪いことに、彼の目利きは誤りも多く、贋作が相当数含まれていた。彼のようなコレクターを標的にして、懐を肥やしていたのが、修復士バルトロメオ・ガヴァチェッピだ。

ガヴァチェッピの自慢は、なんといっても人脈だ。美術商や美術史家、枢機卿をパトロンとし、教皇庁のコレクションの公式修復士となるだけでなく、欧州各国の王族と交友関係を持っていた。外国人コレクターに渡った作品の多くが、この男の手を経由していたのだ。

彼の裏の顔は、「完全なる贋作」制作である。古い彫像の断片を集めて加工し、全く新しい作品を生み出してしまうのだ。しかも、出来上がった彫像をわざと汚したり傷をつけたりしてそれっぽく見せる技術も持ち合わせていた。もちろん改竄にも長けていて、売れる見込みがないからと、入手した『円盤を投げる人』の複製彫像を、トロイの守護神像を抱える英雄ディオメデスに作り変えて、共犯関係にある古美術商に流したのは有名な話だそうだ。

去勢、子殺し、頭部切断、無関係な体の部品を継ぎ合せて死体から新たな命を創り出す――修復士の工房内部でおこなわれている作業というよりは、ホラー映画のプロットのようにさえ聞こえる。

贋作者は、取引相手となるコレクターの生態を知悉していないと商売にならない。言い換えれば、コレクターが所有する贋作や修復の痕跡を見れば、そのコレクターが希求する自己像が見えてくるわけである。

17世紀、スウェーデンのクリスティーナ女王は、九体で一つの完成形となるはずの女神像から男性的特徴を持つ女神を廃して、自分がその位置に立っていることを暗示したり、知性や武勇を誇ったアテナの扮装をして、メダリオンを作らせたりした。これは、男児として育てられたがゆえに、男性としての心と女性としての肉体とを調和させる方法を模索したためだ。言うなれば、彼女自身が贋作となってアイデンティティを創り出したのである。

彼女のように、自己認識と周囲から見た自分を調和させるべく古美術品を求めた人物は、現代にもいる。20世紀初頭にアメリカで活躍した天才実業家ポール・ゲッティだ。彼は、「巨万の富は全般的に、想像力によって生まれるものである」という哲学のもと、資本投入は異文化理解から始まるとして、古美術品の重要性を説き、自らの名前を冠した美術館を建てた。さらに、作品の持つ歴史を徹底的に調査し、それを短篇小説として「再構築」して、啓蒙を図った。「過去の文化に学べ(そして自分のように強い人間になってくれ)」と呼びかけたわけだ。

ゲッティは古美術品購入に際して有名な目利きを頼ってはいたが、悲しいことに、実際のところ、彼のコレクションにも贋作は混じっており、作品の時代考証も十分とはいえなかった。だが彼の真の望みは、自己と社会との橋渡しができた時点で達せられていると言えるかもしれない。

ざっくりと内容を見てきたが、では、現在の古美術品をめぐる環境はどうか。さすがに17、18世紀に見られたような改竄はほとんどなくなったが、かわりに出自不明の作品、「盗掘品」が増加の一途をたどっている(本書において盗掘とは古美術品の違法な入手行為すべてを指す)。著者は、個人コレクターたちの強い所有欲に理解を示しつつも、行き過ぎた蒐集をやめて、盗掘や密輸の需要を生んではならないと主張する。作品の考古学的価値が喪われないようにするために。

難しい問題なのは否めないが、美術品のちょっとアンモラルな鑑賞方法を教えてくれる一冊であることはたしかだ。美術館や博物館に行くときは、本書を携えて、作品の主題や解釈を読み込みつつ、理想の自分に近づこうとしたコレクターたちに思いを馳せてみるのも一興かもしれない。

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