ぜひハーバードのテキストに! 『蘇るサバ缶』

2018年3月14日 印刷向け表示
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蘇るサバ缶  震災と希望と人情商店街

作者:須田 泰成
出版社:廣済堂出版
発売日:2018-03-01
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泥まみれのサバ缶を石巻から東京の経堂という街に運び、洗って売った、復興支援活動をご存知だろうか。メディアでもたくさん取り上げられたので、ご存知の方も多いだろう。でも、この活動が3月から年末までの長きに渡り、22万缶にのぼったことはあまり知られてない。エピソード自体が美しすぎて、そこに流された「膨大な汗」を私たちはつい見逃してしまう。

本書を手に取ったとき、私はまず、この途方もない時間と缶詰の数に驚いた。本書を開くと、その活動の過程が連綿と綴られており、その地道な様子が伝わってくる。「何が人々を突き動かし、継続させたのか」その理由が、本書を読めばわかる。このレビューは、そこに焦点を当ててまとめていきたい。

経堂の人々の精神は、売名のためにやってきた勘違いした人々を見分ける。著者は、そういった人たちを「モンスターボランティア」として、本書の中で切り捨てている。それは、多様性を認めないということとは、ちょっと違う。後ほど詳しく述べるが、人々の街への愛着が活動への献身と継続性を生んだと私は考える。

多くの企業はいま、CSV(Creating Shared Value=共通価値の創造)を標榜し、自社の利益だけでなく社会貢献につながる経営を目指している。しかし、その実践は困難だ。経堂の活動の中心にどんな思いがあり、それがどうやって共有され、組織化され、継続されたのか。学ぶべき点は多い。本書は、草の根から生まれた、新しいタイプのビジネス書といえる。

JR東京駅の新幹線のお掃除スタッフの事例が、ハーバード大学経営大学院のMBA1年生の必修科目として採用されたのは記憶に新しい。今回の事例は、直接、企業経営に関するものではないが、地域や社会貢献といった今日的なテーマとリンクしている。ポイントは、真面目なものづくり、地域に愛される企業、そして新しいマネジメントだ。

石巻から経堂に届いた、泥と脂、臭いにまみれた缶詰の数々。夏場、石巻では大量のハエにも悩まされたという。経堂駅近くの居酒屋「さばのゆ」の店頭などで、ボランティアの方々が集まり重曹の入った水につけて洗うと、黄金の缶詰が、次々と顔を出していく。いつしかそれは、「希望の缶詰」と呼ばれるようになった。

人々を突き動かした「理由」。一つ目は、木の屋石巻水産のサバ缶の美味しさである。この缶詰は、港に揚がってすぐのサバを刺身でも食べられる鮮度のまま、熟練のスタッフが手で詰める「フレッシュパック製法」で作られている。ボランティアの人々に参加した理由を尋ねると、口々に「美味しかったから!」「あの味を忘れられなかったから」と答えたという。

震災の前から、経堂では、飲食店でサバ缶を使用したメニューが提供されるなど、木の屋の缶詰のファンが多かった。それも著者の働きかけによるものだ。震災が発生した3月は、「さば缶・縁景展」という経堂の街ぐるみイベントの期間中だった。著者が育んだ「経堂サバ缶ネットワーク」が、今回の活動を生んだのである。

表紙の写真を見てほしい。前列には、経堂の飲食店の人々がいる。その後ろに、著者が控えめに映っている。その姿から、「あくまで、主役は経堂の人々」というメッセージが、伝わってくる。非常に象徴的な一枚である。

私は、何かにのめりこんだ人の人物伝を読むのが好きだ。本書は、それと同じ匂いがした。著者は、経堂という町にのめりこんでいる。そして、各地で「ものづくり」に身を捧げている人々や、そこに息づく「幸せな日常」を愛している。本書から、少しだけ抜粋したい。

希望の缶詰の希望とは、いったい何だったのだろうか?
その答えらしきものに思い至ったのは、やっと最近のことだ。
何度目かの製造ラインの見学の時だった。  ~本書第5章より

果たして著者は、そのとき、何を見たのだろうか。これに続く文章、とくに最後の一文を読んだとき、私は涙が止まらなくなった。稲妻に打たれたように、私は著者に共感したのだ。工場で働く人々の「幸せな日常の光景」こそが「希望」の正体であると、彼は断言する。それは、わが街を愛する経堂の人々の日常に通じる。これが、人々を突き動かした二つ目の「理由」だ。

シンプルだが薄っぺらではなく、身体を流れる血のようにドクドクとした実感が伴うもの。つまり、地域の人に愛され、誇りにされる職場である。東京に缶詰を送るために、石巻の人々は工場に集まって缶詰を一つずつ掘り起こした。これまでにあげた二つの「理由」。つまり、真面目なものづくりと地域に愛される職場については、本書に明記されていた。

だがさらに私は、本書から三つ目の「理由」を読み取った。それは、経堂の人々の活動のかたちだ。メディアで取り上げられて人々の心が変わっていたら、長続きはしなかっただろう。でもいつも変わらない著者および「さばのゆ」がそこにあったからこそ、人々は集い、各自が純粋な気持ちを保つことができたのだ。それは、新しいマネジメントではないか。

著者は、英国のコメディチーム「モンティ・パイソン」に関する著作でも有名な人物だ。本書を書き終えたとき、経堂の酒場で15年ほど前に盛り上がった時のことを思い出したそうだ。こんな話題だったという。

「モンティ・パイソンのようなコメディの世界では、女王陛下、政治家、財界人も、一般の民衆も、みんな同じ価値の人間で、人に上下はない。だから面白い」 ~本書「おわりに」より

著者が営む「さばのゆ」に、私も何度か足を運んだことがある。そこには、著名人の松尾貴史さんや春風亭昇太さんらが、ふらりと顔を出していた。隣あわせた人に名刺を差し出すと社長さんだった、ということも度々あった。でもここでは皆、ただの人である。

店主ですら、全ての人と同じ目線で会話を交わしている。就職⇒定年⇒老後というライフプランは崩れた。モンティ・パイソン風にいうと、「偉い」という感覚なんて、勘違いである。自社の利益を一時的に達成して喜ぶことも、勘違いだ。

「みんな同じ価値の人間」という心の持ち方は、なかなか難しい。今回の活動が成就したのは、そんな奇跡の空気をたたえた「さばのゆ」という酒場に人が集まっていたからだ。オフィスがそんな空気に包まれれば、新しい付加価値が生まれるようになるのかもしれない。

画像提供:須田 泰成

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作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
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