『死に山 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』ロシア史上最悪の遭難怪死事件に挑む

首藤 淳哉2018年09月07日 印刷向け表示
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死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相
作者:ドニー・アイカー 翻訳:安原和見
出版社:河出書房新社
発売日:2018-08-25
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一般に、本は読めば読むほど物知りになれると思われがちだが、実際は逆だ。読めば読むほど、世の中はこんなにも知らないことであふれているのかと思い知らされる。その繰り返しが読書だ。

「ディアトロフ峠事件」をぼくはまったく知らなかった。これは冷戦下のソヴィエトで起きた未解決事件である。

1959年1月23日、ウラル工科大学の学生とOBら9名のグループが、ウラル山脈北部の山に登るため、エカテリンブルク(ソ連時代はスヴェルドロフスク)を出発した。

男性7名、女性2名からなるグループは、全員が長距離スキーや登山の経験者で、トレッキング第二級の資格を持っていた。彼らは当時のソ連でトレッカーの最高資格となる第三級を獲得するために、困難なルートを選んでいた。資格認定の条件は過酷なものだったが、第三級を得られれば「スポーツ・マスター」として人を指導することができる。彼らはこの資格がどうしても欲しかったのだ。

事件は出発から10日後の2月1日に起きた。この日、一行はホラチャフリ山の東斜面にキャンプを設営し(ホラチャフリはこの地に暮らすマンシ族の言葉で「死の山」を意味する)一夜を過ごそうとした。ところが、その夜になにかが起きたのだ。

わかっているのは、何らかの理由でメンバー全員がテントを飛び出し、マイナス30度の闇の中に散り散りに逃げていったということ。後に9名の遺体が発見されたのは、テントから1キロ半ほども離れた場所だった。彼らはろくに服も着ておらず、靴もはいていなかった。検死の結果も不可解だった。6人は低体温症で死んでいたが、残る3人は頭蓋骨を骨折しており、女性メンバーのひとりは舌がなくなっていた。さらに、遺体の着衣からは異常な濃度の放射線が検出されたのだ。

事件が起きた一帯は後にトレッキング隊のリーダー、イーゴリ・ディアトロフの名をとってディアトロフ峠と呼ばれるようになった。事件発生から半世紀以上たった今も真相は闇の中だ。ロシアではこの事件に関する書籍が無数に出版されており、雪崩や吹雪、何者かによる攻撃、放射線廃棄物原因説から、UFOや宇宙人に至るまで、さまざまな説が唱えられてきた。近年は国家機密のミサイル発射実験(冷戦下のウラル山脈ではたびたび行われていた)を目撃したせいで殺された、などという説も登場し、ネットを賑わせているという。

この遭難怪死事件にアメリカ人のドキュメンタリー映画作家が挑んだ。『死に山 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』は、幼い息子と妻を残し、二度にわたるロシアでの長期取材を敢行、貯金もすべて使い果たすほど事件のめりこんだあげく、その真相を突き止めた男の執念の記録である。

著者はある映画のための調査をしている中で、たまたまこの事件を知り、新しい情報がないかとネットサーフィンを繰り返すうちに、ネットで読める資料はあらかた漁り尽くしてしまう。気がつけば事件に完全にのめりこみ、もっと詳しいことを知らずにはいられなくなっていた。

本書の巻頭には、ディアトロフらメンバーの写真が生没年とともに掲載されているのだが、この中にひとりだけ、没年が1959年ではなく、2013年になっている人物がいる。実はグループには唯一の生存者がいたのだ。その人物の名は、ユーリ・ユーディン。彼はグループの10人目のメンバーだったが、体調を崩して途中で引き返し命拾いしていた。

ユーディンの存在を知ったことで、著者の探索魂に火がつく。そして当時存命だったユーディンの行方を探す過程で、エカテリンブルクにあるディアトロフ財団の存在を知る。財団は事件の記憶を風化させないことと、悲劇の真相を明らかにするための活動を行なっていた。

ロシア語もわからず、生まれてこのかた雪を見たことは10回もあるかどうかというレベルであるにもかかわらず、著者は冬のロシアに降り立つ。そしてロシアの友人たちの力を借りて、ディアトロフ峠へと向かうのだ。

本書は、1959年のディアトロフ・グループの旅の模様と、2012年現在の著者の探索行が交互に語られる構成になっている。著者の語り口は巧みで、読む者を飽きさせない。

そもそも旅の出発点であるエカテリンブルクからして物語に富んでいる。ロマノフ王朝にかわってボルシェビキが権力を握った時、皇帝ニコライ一家はこの街の館に監禁されていた。皇帝夫妻と5人の子供たちは、館の地下で家族写真を撮るという口実で一列に並ばされたところを銃殺された。亡骸は郊外の沼地に捨てられ、ソ連崩壊後に引き上げられるまで、泥炭の中に埋もれたままだった(一家は2000年にロシア正教会によって列聖されている)。ちなみに一家が惨殺された時、幼い皇女アナスタシアだけは銃殺をまぬがれ、国外逃亡して名前を変えて生き延びたという伝説は、ロシアの陰謀論者の間では定番である。

ソヴィエト共産党支配の冷戦下では、この地に悪名高い強制労働収容所が建設され、多くの政治犯が収容され拷問を受けた。ディアトロフたちが生きていたのはそういう時代だったのだ。だからこそ軍事機密に触れて殺されたといった陰謀説が信憑性をもって語られる。陰謀論が流布する背景には、当時の体制に対する人々の根強い不信感があるのだ。

本書には一行が撮影した写真が数多く掲載されている。彼らは旅の間に88枚の写真を撮影していた。雪上で無邪気にふざけたり、笑顔でハグしあったりする写真は見ていて辛いものがある。1959年2月1日、最後の日に撮影された1枚は、キャンプ地へと向かう一行を後方から撮影したものだ。
先頭は吹雪にかすみ、まるで闇の中に溶け込んでいくかのように見える。なんとも不穏な写真だ。

この日の日没は4時58分。テントを設営した一行は夜9時にテントに入った。そしてその後、生涯最悪の夜が彼らを待ち受けていたのだ。

ディアトロフ一行に何が起きたのか。著者は粘り強い調査によって、他者による攻撃説、雪崩説、強風説、兵器実験説、放射線関連の実験説など、いくつもの説を論理的に否定していく。そして驚くべき結論を見出すのだ。

ここでその種明かしをするわけにはいかないが、少しだけヒントを挙げておくと、鍵になるのは「大気物理学」である。著者はきわめて説得力のある科学的な結論を見出している。もちろん素人の思いつきなどではなく、専門家のお墨付きだ。著者は最終的にNOAA(アメリカ海洋大気庁)の科学者らの力を借りて事件の真相に辿り着く。

ディアトロフ一行は、これ以上ないほど最悪のタイミングで、最悪の場所にテントを張ってしまっていたのだ。

ミステリー小説に「本格推理」と呼ばれるジャンルがある。たとえば、どこからも侵入不可能な密室に奇妙な死体が転がっている。その謎を名探偵がきわめて論理的に解き明かすといった展開がお馴染みだ。本書はこのような鮮やかな謎解きを目の当たりにしたかのような読後感をもたらしてくれるだろう。

それにしても自然界にはまだまだ知らない現象があるのだと思い知らされた。気象科学に大気物理学、音響学に流体科学……、また読みたいジャンルが増えてしまった。これだから読書はやめられないのだ。

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