『ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」』

2013年7月21日 印刷向け表示
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ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」

作者:原田 裕規
出版社:フィルムアート社
発売日:2013-06-26
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イルカやハワイの海をモチーフに、バブル期を一世風靡した米画家クリスチャン・リース・ラッセン。

日本では1980年から90年代にかけて異常なほど人気が高まり、多くの版画・ジグゾーパズルなどの商品が消費されてきた。しかし、これまで新聞を含め美術マスコミは「コメントに値しない」と彼の作品が正面から論評されることはなかった。本書はラッセンが受容される心理と欲望、彼の正体についてニュートラルな立場から論評している極めて価値ある一冊となっている。

確かにラッセンアートは売れに売れた。作品に登場するイルカやクジラ、美しい海の魚達はドラマティックに太陽の光が差し込み、波は緑や紫にも彩られる。リアルに描かれる木々や山と浮かぶ星空も幻想的だ。購入者は、そのリゾートなイメージから「リッチで文化人」な優越感に浸ることもあるだろう。

美術界からなぜラッセンが忌み嫌われるのか、理由はさまざまだ。本書によると経済的な成功への嫉妬や、画面を埋め尽くす過剰な演出など挙げられているが、何より「ヤンキー受け」することだろう。彼が描くマリンアートは、自身もサーファーで海を愛するというキャラクターとマッチした作品のわかりやすさも含め、わかりやすい人間にヒットした。

イルカは人間の本来無垢な姿の象徴として、汚れきった現代社会から本来あるべき姿の代理として見る人を癒しただろう。極端な話、美術について何の知識もない人がダイニングルームに絵を飾るとしたら草間彌生の水玉作品よりも、ラッセンのイルカを飾る人のほうが多いかもしれない。そしてラッセンの極彩色で描かれる「人間と動物は争わず共存する」スピリチュアルな雰囲気も、購入者のヒューマニズムを捉えた。

確かにラッセンアートは、薄っぺらさや空虚さも際立つが、同時にここまで消費させ惹きつける何かが確実に存在するわけだ。本書に登場する美術・批評家15人は見事な切り口でラッセン像を描いているが、読むほどにラッセンの魅力も増していく画期的評論集となっている。実は、ラッセンはマリンアートと呼ばれる現在のスタイルになる前、ピカソのキュビズムそっくりな印象派の絵も描いている。初期作品にもフォーカスしているが、興味深いのは画面がドス暗くて重い空気を放つ自画像だ。母キャロルは

あの絵が完成した日、彼はまさしく人生のどん底に陥っていました

と回想している。同じマリンアートとしては、マーク・マッカイロバート・リン・ネルソンといった画家もいるが、地上と水中を二分する構図のネタ元となった作品の考察もあり、フムフムと納得しながらページは進む。

またラッセンを擁する株式会社アールビバンは版画販売の独特商法で有名だ。私も以前、綺麗なお姉さんからポストカードを渡されラッセン絵画の魅力を説明されたが、その販売システムに興味があったので案内されるがまま、展示場に部屋で椅子に座り話を聞いてみた。嫌われる要因の一つとしては、こうしたやや無理めにクレジット契約されてしまうやり方にもあるだろう。同じタイミングで純粋に美術を愛する人にとっては「ラッセン好き=恥ずかしい」という構図も確かに生まれていた。

美術関係者以外にはわかりにくいかもしれないが、一般の人はアートの代名詞であるかのようにラッセンの名を出してくることがあり、絵が上手い人は「漫画家になるんでしょ」と同じくらいの頻度で「ラッセン目指してるんでしょ?」と言われたりもする。他にもヒロ・ヤマガタなどの言葉を聞くと、不快感を覚える人達が存在する。同様に岡本太郎も世代によっては「違うだろう」という空気もあった。

これまで美術の歴史は、コンテクストにより常に上書きされてきた。今回の起爆例はたまたまラッセンだが、この現象をきっかけにガラパゴス日本美術史の問題定義が生まれるだろう。本書の骨子はそこにある。従ってこれまでの文脈は破壊され、ラッセンはある時代を強烈に表した作品として美術史に残るよう再定義されるかもしれない。その意味で私は本書を現代アートと捉える。美術界の文脈上から淘汰されるのか、力強く生き残る作品とは何なのか。読みどころ満載な一冊。

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