『白い死神』ー「ムーミン谷のゴルゴ13」の実像

土屋 敦2012年04月03日 印刷向け表示
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白い死神
作者:ペトリ サルヤネン
出版社:アルファポリス
発売日:2012-03
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1939年に始まったソ連との冬戦争で活躍したフィンランド軍の狙撃手シモ・ヘイヘは、一部ネット上では有名だ。しかし、これまで日本では、ヘイへその人をテーマとした本は、きこれまで一冊も出ていなかった。本書は、1998年に60年間にわたって沈黙を続けてきたヘイへのインタビューを成功させた著者によるノンフィクションであり、一部マニアにとっては待望の書と言える。

ここでまず、ネット上にコピペで出回っているヘイへの逸話を見てみよう。

・わずか32人のフィンランド兵なら大丈夫だろうと4000人のソ連軍を突撃させたら撃退された

・シモヘイヘがいるという林の中に足を踏み入れた1時間後に小隊が全滅した

・攻撃させたのにやけに静かだと探索してみたら赤軍兵の遺体が散らばっていた

・気をつけろと叫んだ兵士が、次の瞬間こめかみに命中して倒れていた

・スコープもない旧式モシンナガン小銃で攻撃、というか距離300m以内なら確実にヘッドショットされる

・いとも簡単に1分間に150mの距離から16発の射的に成功した

・野営中の真夜中にトイレからテントまでの10mの間にヘッドショットされ即死

・戦車と合流すれば安全だろうと駆け寄ったら、戦車長がシモヘイヘから狙撃済み だった

・赤軍の3/100がシモヘイヘに狙撃された経験者、しかも白い死神という伝説から「積雪期や夜間ほど危ない」

・「そんな奴いるわけがない」といって攻撃しに行った25名の小隊が 1日で全員死体になって発見された

・「サブマシンガンなら狙撃されないから安全」と雪原に突撃した兵士が穴だらけの原型を止めない状態で発見された

・5階級特進で少尉となったシモヘイヘに狙撃の秘訣を尋ねると、ただ一言「練習だ」

・コラー河付近はシモヘイヘに殺される確率が150%。

 一度狙撃されて負傷すると確実に凍死する確率が50%の意味

・シモヘイヘが狙撃で殺害した数は505人、他にサブマシンガンで倒した数は正式なものだけで200名以上

そんな伝説は「ムーミン谷のゴルゴ13」をめぐる、虚実ないまぜのネタとしても楽しまれているようだ。

しかし本書を読めば事実がネタ以上であることを知る。

サブマシンガンでの戦果はヘイへ本人曰く「誇張されたもの」だというが、狙撃による戦果(要するに殺人です)は、記録されたもので542人。上記コピペに書かれた数を上回っている。著者によれば、インターネット上には数えきれないほどの狙撃手に関する統計データが存在し、その内容は作成者によって、あるいは統計の指針によってさまざまに異なっているが、最高位にあるのは、必ずヘイへだ、という。

ヘイヘが使うのは、口径7.62mmのロシア製モシン・ナガンM1891を改良したフィンランド製の<スピッツ>M28/30だ。 この小銃を片手に、零下30〜40°Cの極寒の森に潜み、防寒のために着込んだ服の上にさらに真っ白な雪中用偽装服をまとう(これが彼が「白い死神」と呼ばれた所以である)。スコープは太陽光を反射して敵に居場所がわかってしまうので、使わない。そこから射撃姿勢を取り、呼吸を一定に保ち、ひたすら待つ。そして敵の姿が目に入ると、息を吐きながら撃つ(上半身の力が抜け、銃の反動を均等に受け止めることができるのでより弾丸が飛翔するそうだ)。装填の際にはわずかでも弾丸の先端を傷つけてはならない。そして引き金をひくためにむき出しの指先には常に神経を集中させるという。

あるときヘイヘは400m離れた箇所から後方に走る敵を狙撃した。敵に至るまでの弾丸の平均速度は秒速約490m、また、重さ12ℊの長距離用完全被甲弾は約2m落下する。加えて走る敵は秒速約4mで離れてゆく。スピッツのライフリングは右回りで、偏流によって弾丸は右へ逸れ、風や空気抵抗の影響も受ける。引き金が引かれ、秒速700mで発射された弾丸は落下しつつ、右に逸れつつ、また空気抵抗によってわずかに左に押し戻されつつ進み、後方に移動してゆくソ連兵に命中する。時間にして0.8秒。ソ連兵は被弾後に発射音を聞くことになる。

くり返し言うが、これは零下30〜40°Cの雪中でのできごとだ。いくら、下記のようなジョークがネット上にコピペで出回るほど寒さに強いフィンランド人でも、極寒下でヘイへほどのパフォーマンスを発揮する兵士はいなかったという。

「気温が・・・℃の時、フィンランド人はどんなふうにふるまうか、そのとき他国では何が起きているか」

+15℃。スペイン人は毛糸の帽子をかぶり、手袋とコートを着用。フィンランド人は日光浴をする。

+10℃。フランス人は集中暖房をつけようとむなしい努力をする。フィンランド人は花壇に花を植える。

+5℃。イタリアでは車のエンジンがかからなくなる。フィンランド人はオープンカーでドライブする。

0℃。蒸留水が凍る。フィンランドのヴァンターヨキ川の水は、ほんの少し凝固する。

-5℃。カリフォルニアでは住民が凍死寸前。フィンランド人は庭で、夏の最後のソーセージをグリルする。

-10℃。イギリスでは暖房を使い始める。フィンランド人はシャツを長袖にする。

-20℃。オーストラリア人はマヨルカ島から逃げ出す。フィンランド人は夏至祭りをおしまいにする。秋の到来である。

-30℃。ギリシャ人は寒さで死亡。フィンランド人は、洗濯物を屋内に干し始める。

-40℃。パリは凍えてガチガチ音を立てる。フィンランド人は屋台に行列する。

-50℃。シロクマが北極から退避しはじめる。フィンランド軍は、本格的な冬の到来までサバイバル技術の訓練を延期する。

-60℃。コルヴァトゥントゥリが凍結。フィンランド人はビデオを借りて家の中で過ごすことにする。

(コルヴァトゥントゥリはフィンランド北部・ラップランドにある山でサンタクロースが住むとされる)

-70℃。サンタクロースが南方へ引っ越す。フィンランド人は、

      コスケンコルヴァを屋外に保管しておけなくなり、いらいらする。フィンランド軍がサバイバルの訓練を開始。

(コスケンコルヴァはフィンランドの蒸留酒でアルコール度数が非常に高い。通常、飲む前にビンごと冷凍庫に入れて冷やす)

-183℃。食品の微生物が死滅。フィンランドの牛は、乳しぼりに来る人間の手が冷たいと文句を言う。

-273℃。絶対零度。あらゆる原子の運動が停止。フィンランド人は「くそっ、今日はずいぶん寒いじゃないか」と言い始める。

-300℃。地獄が凍結。フィンランドがユーロヴィジョンで優勝する。

話は思いっきり逸れるが、上記に従えば、フィンランドのバンドがユーロヴィジョンで1位となった2006年は地獄さえ凍ったわけだ。ちなみにユーロヴィジョンを制したフィンランドのバンドloadiはまさに地獄風の風貌、フィンランドの聖飢魔IIというか、まあ、相当どうかと思う格好の連中である。「素顔を激写」みたいな報道もなされているようで、その点もデーモン閣下的である。ちなみにフィンランドのバンドのそれまでの惨憺たる結果はこちらで確認できる(フィンランド語だが表の数字、20/22 とか23/23などを見ればわかります)。

尚、ヘイヘに関しては、今年1月29日に駐日フィンランド大使館(@FinEmbTokyo)が、こんなツイートをしている(本書はそれでも敢えて日本で一般的なヘイへと記述しているのだが)。この一連のツイートはアニメファンの間で大きな話題になったそうだが、ここに登場するユーティライネン兄弟の兄のほう、アールネ・ユーティライネンも、本書に準主役として登場する。

ここで、ヘイヘが活躍した「冬戦争」そしてフィンランドの現代史についてかなり大雑把かついいかげんに解説しておきたい。その理由のひとつは、それを知っているかどうかで本書の面白さが大きく変わるから(残念がら本書には時代背景の解説や注がないのだ)。そして、もう一つは、現在に至るまでのフィンランド国家の変遷は、現代史において極めて興味深いものだからだ。

12世紀からスウェーデン王国の領土であったフィンランドは、1809年に帝政ロシア配下の大公国となる。1917年、ロシア革命の際に独立を果たすも、そのまま内戦に突入。共産党系の赤衛軍の敗戦で内戦が終わると、フィンランドを挟む2つの大国、すなわちナチス率いるドイツとスターリンのソ連が相互不可侵条約を結び、ソ連はフィンランドに領土の割譲や土地の租借、軍事基地の設置を求めてくる。その先にある狙いは、いうまでもなく占領だ。

12世紀以降、一度も自らの民族国家を持ち得なかった民族が革命のどさくさに独立を果たすも、制度や国家としての形が整う前に内戦に突入、国土は疲弊したはずだ。その状態で、大国ソ連の要求に対してフィンランドはノーと言う。ソ連はフィンランド国内に旧赤衛軍による傀儡政権を作り、100万人を越える軍隊を送り込む。これが「冬戦争」である。迎えるフィンランド軍はわずか25万。兵器も銃、そして弾丸も圧倒的に不足し、スターリンは当初4日でフィンランドを占領できると予測していたという。

ところがフィンランド軍は鹵獲した兵器や弾丸、物資を活用し、また火炎瓶などで対抗。遅延戦術、ゲリラ戦、焦土作戦、敵軍を包囲するモッティ戦術などでソ連軍の侵攻を抑え続け、「雪中の奇跡」として国際社会にも知られるようになる。マンネルヘイム司令官をはじめとして、コッラー川の要衝でソ連軍の侵攻を食い止め続けたアールネ・ユーティライネンとその配下のヘイへ、元体操選手のマケ・ウオシッキネン、5分間でソ連機5機を撃墜したヨルマ・サルヴァントら、寄せ集めの飛行機でソ連軍を翻弄した空軍のエースパイロットたちがなどが、次々に国民的ヒーローとなるのだ。

国際社会でもフィンランド支援の声が上がり、連合国は10万人の軍隊を送ろうとしたが、隣国スウェーデンやノルウェーは中立を理由に、連合国軍が国土を通過することを許さなかった。そんな孤立無援の状態での必死の戦いの末、フィンランドはソ連との講和を引き出す。この講和によってフィンランドは国土の1/10を失うものの、占領は免れるのだ。

しかしである。その後、ノルウェー・デンマークがドイツに占領され、頼みのスウェーデンは無視を決め込む。フィンランドは独ソの間で完全に孤立し、連合国の支援はもはや頼めない状態に陥る。となれば、頼るべき国はただひとつ、ナチスドイツである。というわけで、フィンランドはドイツ軍とともにソ連と戦う。これが「継続戦争」で、ここでは、有名なアールネの弟、エイノ・イルマリ・ユーティライネンが空軍パイロットとして大活躍する。

やがてフィンランドは枢軸国側の戦況不利を見て、ソ連と講和、今度はドイツ軍を相手に戦うも、ラップランド地方をドイツ軍に総攻撃され、当地は焦土と化してしまう。そして終戦を迎え、米ソ冷戦下では、ソ連の強い影響を受ける資本主義国家という極めて特殊な立ち位置のまま、やりすごすのだ。

昨今はOECD学習到達度調査(PISA)における学力世界第1位、もっとも繁栄している国第1位、料理がまずい国第1位(実際にはフィンランド料理はおいしいと思いますが……)などで話題を集め、低い失業率、高福祉の幸福な国という印象だが、それはいわば、生まれたての赤ん坊が、生死にかかわるような危機と試練を受け続け、そのなかで常に命を賭したギリギリの選択を続けて勝ち取ったものなのだ。そんなフィンランド現代史を考えると、日本でも公認(?)された「ゆるキャラ」であるヘルッピと子どもたちが戯れる姿を見るにつけ、よくぞここまで、と目頭が熱くなる。尚、銃所持率世界第3位ということが話題になることもあるが、本書で描かれる民間防衛隊(彼らの存在なしに冬戦争を持ちこたえることは不可能だったろう)について読めば納得できることも多い。

そんなわけで、歴史を踏まえたうえで、ヘイへの実体験を記した本書を読むのは実に幸福だ。BGMはもちろん、シベリウスのフィンランディア(できればパーヴォ・ベルグルンド指揮、あるいはサー・ジョン・バルビローリでも)。加えて「アテネ人の歌」があればなお良いだろう。

こちらの映像で予習しておくのもよい。本書の内容がいっそうぐっと来ること請け合いである。

蛇足だが、フィンランドはかの有名なスキー・ジャンプのアホネン選手やノキア・ジャパンの前社長・マウリ・ウコンマーンアホ氏、アホカス大使、パンツ・ミルカさんなど、珍名の宝庫としても有名であることも書き加えておきたい(個人的にはグァテマラのダリィ環境大臣が好みです。全然関係ないですが)。

なんだかレビューそっちのけで、ネット上のフィンランド・トリビア集のようになってしまったが、本書の著者、サルヤネン氏をフィンランド珍名名鑑に加えることを提案しつつ、本稿を終わりとしたい。

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2050年の世界地図―迫りくるニュー・ノースの時代
作者:ローレンス・C・スミス
出版社:NHK出版
発売日:2012-03-23
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第2次世界大戦当時、北欧諸国に見捨てられ、独ソの侵略にさらされたフィンランドは地理的に孤立するしかなかったが、温暖化によって北極航路が開かれれば、地政学的な立ち位置は一変する。加えて、北極圏の大量の化石資源を手にする可能性もある。大国の侵略や周辺国の無関心に打ち勝ち、粘り強く生き抜いてきたフィンランドがご褒美をもらう時代が到来したのかも知れない。

雪中の奇跡
作者:梅本 弘
出版社:大日本絵画
発売日:1989-12
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ソ・芬戦争といえば、やはりなんといってもこの本。写真も豊富で、冬戦争の全容をつかむのには最適です。

流血の夏
作者:梅本 弘
出版社:大日本絵画
発売日:1999-07
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続く継続戦争。こちらも熱いです。

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