当事者対抗主義という病『法廷に立つ科学』

山本 尚毅2015年11月26日 印刷向け表示
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法廷に立つ科学: 「法と科学」入門
作者:シーラ ジャサノフ 翻訳:渡辺 千原
出版社:勁草書房
発売日:2015-07-25
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科学者も法律家も仮説からスタートする。しかし、法廷と科学の世界はそれぞれがまったく異なった伝統を代表していて、科学による真実の追求と、正義に仕える法制度のあいだに衝突が起こるのはもはや避けられない、永遠の命題である。法律家と科学者はお互いのことを「誤りはそれが真理を含めば含むほど危険である」とかつて表現されたような、古くからいわれる知の罠の餌食として見ているかもしれない。

目指すもの、お作法、人間の種類、何もかもが違う科学者と法律家が、密接に絡み始めた理由は、科学と技術の急速な進歩にある。私たちはトースター、スマートフォン、遺伝子検査キットが何で作られ、どのように動き、どんな影響を与えるか、さっぱりとわかっていない。与えられた便利さを享受するために、道具として使いこなすだけで精一杯で、利便性の背後にある細分化され複雑していく科学技術を理解する余裕はない。

同様に陪審員として仕える市民が科学に詳しいことは滅多にない。そして、残念なことに、司法システムに関わる人たちでさえ、科学の最先端の知識は持ち合わせていない。そして、法廷で科学の専門家から出される情報を理解できないままでいる、その結果として、本来は協力する必要があるはずの2つの分野の間に大きな溝ができ、法廷で見過ごせない誤解と混乱が生じている。

日本では、DNA鑑定の使い方を誤ったことで冤罪を生んだ足利事件(1990年)がまっさきにあげられる。DNA鑑定の問題は司法への社会的な信頼を揺るがした。一方で本書の舞台、アメリカでは1986年にDNA検査が刑事訴訟に導入され、警察当局の夢に応えるものとして熱烈に歓迎された。しかし、80年代の終わりまでにはむしろ曝露や議論の餌食となり、足利事件でDNA『型』判定がされていたころには、同質の鑑定方法のコンセンサスはほころびはじめ、信頼性が疑われていた。

なお、本書は1995年にアメリカで出版されたため、DNA鑑定を含め紹介される事例は最新の情報ではなく、当時の論争を生々しく伝えるにとどまっている。しかし、各章で何度も繰り返し語られる司法と科学の対立構造は、年代や国境を越えた普遍性を持っている。だから本書が2001年にフランス、2011年に韓国で、そして初版から20年経過して日本で出版されたのだろう。

話をDNAに戻そう。DNA鑑定よりも実用化が先行していたDNA組み換え食品に代表されるバイオテクノロジー分野では、制度の詳細と規制状況がほとんど固まっていなかった1980年代に、科学と法、そして市民の間で対立と混乱が生まれていた。意外や意外、ここで登場し、暴れまわったのは、『限界費用ゼロ社会』の著者ジェレミー・レフキンである。

当時、バイオテクノロジーの最も影響のある反対者であり、「科学業界に最も憎まれた男」と呼ばれることを恐れなかったアクティビストは、世論を引き裂くことに類稀な才能を持ち合わせていた。バイオテクノロジー規制の不十分さを指摘してメディアから賞賛を浴びる一方で、「人類に危機があるとすれば、それはリフキンの話を真に受け続けるときだけである」と同じメディアから徹底的にこき下ろされた。

科学者は司法がデマゴーク的なアピールとたしかな科学的根拠を区別する能力がないと法に幻滅したが、良くも悪くもアメリカの裁判所は新しい技術について対立する人々の期待に対処する最前線となっており、結果として新技術は社会に許容されていくプロセスをたどる。アメリカの公的な議論において、リフキンのようなラディカルな批判者が現れたとしても最終的に屈服することはなく、むしろその紛争を解決の手段として演出している。バイオテクノロジー以外では原子力発電や遺伝子治療の分野が当てはまる。それがアメリカという社会の特徴であり、その背後にあるのが、当事者対抗主義的な議論のスタイルである。

当事者対抗主義とは、原告と被告の双方が自分にとって最も有利な証拠を出してぶつけ合うことによってこそ、客観的な真実に効率的に至ることができるという信念である。一見素晴らしい理念のように見えるが、実情は大いに異なっている。一例にすぎないが、科学専門家証人の証言の場合は、往々にして科学的信頼性の検証よりも、科学とは関係ない専門家の態度や人柄といった要素を根掘り葉掘り指摘し、法的信頼性を低めようとする。

先入観として、科学技術の発展が社会に不安をもたらし、法的紛争を生み出す原因になると考えているが、法的な紛争そのものが科学技術を推進させる場合がある。例えば、電磁場とガン、豊胸手術のシリコンゲルと免疫不全症候群との因果連関の存在は訴訟によってはじめて疑われ、研究がスタートした。法と科学の意外な関係性に先入観を打ち砕かれる。

法プロセスのスピードが圧倒的に速く、研究が後追いになることは珍しくない。その場合に、しばしば露見されるのが、科学的知見が訴訟での必要性に応じて生産される形となり、通常の科学プロセスは省略され、歪曲される事実だ。著者はこの背景になる構造的な要因としても「当事者対抗主義」の問題を指摘し、再三非難を浴びせると同時に、改革への道筋を提案する。

科学も法律も専門的に勉強したことがない門外漢の私が、お堅い専門書にのめり込んでしまうとは考えもしなかった。106の判例を隙間なく文脈に滑らかに埋め込んだ237Pには、現在の社会規範を作り出してきた判決という正真正銘のリアリティが刻み込まれている。
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殺人犯はそこにいる: 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件
作者:清水 潔
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2013年HONZでもっとも書評された一冊。足利事件についてのDNA鑑定について専門的な仲野のレビュー

絶望の裁判所 (講談社現代新書)
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日本の司法の内側を知りたい方へ、本書に関連する著者インタビューはこちら 

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医療の世界では、行政や司法の献身にもかかわらず、ジャンクサイエンスが蔓延している。レビューはこちら

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