『クラフツマン 作ることは考えることである』仕事への誇りを取り戻すための葛藤

2016年8月26日 印刷向け表示
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クラフツマン: 作ることは考えることである (単行本)

作者:リチャード セネット 翻訳:高橋 勇夫
出版社:筑摩書房
発売日:2016-07-25
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  よい仕事とは何か、長らく考えられてきた問いである。本書ではクラフツマンとその精神性の歴史的背景を理解し、今の時代と文脈でどう再解釈できるかの議論を通じて、問いと対峙していく。シンプルな問いほど答えを出すのは難しい。本書も答えよりも、問いのまわりをクラフツマンの仕事と共に逡巡し続け、新たな問いを読者に投げかける。

近代の仕事は『絶望的に真面目』なのである。それゆえ、有用性が支配するとき大人は考える能力の中の何か本質的なものを失う

20世紀後半のニューエコノミーの進展により、創造性や新しいアイディア、高速なPDCAと短期的な業績を脅迫する労働環境を加速させた。仕事から「社会性」と「物質性」が失われ、仕事の達成それ自体に満足をおぼえる余裕がなくなった。そして、シリコンバレーのエンジニアでさえ、絶え間なき技術力の向上が雇用を守ってくれるかどうかを信じられなくなっている。インドや中国など新興国の安価な同業者、進化し続ける人工知能や機械に雇用を奪われる可能性を否定はできない状況にある。本書は2008年に出版されたが、現在もその状況は改善していないどころか、雇用を奪う人工知能の話題やシンギュラリティ問題などで、不安は増幅している。ますます「よい仕事」が絶滅の危機に貧している。

いっぽう、アメリカやヨーロッパから見れば日本は職人の国として認識されている。独特の人間国宝という制度があり、職人気質を讃える文化が存在している。日本政府も積極的にクールジャパンの典型例として発信し、海外からの賞賛を受けている。現実的には、産業構造の変遷や消費者の嗜好が変わったことで、次の世代に技術を伝承し、生業を存続していくことの難しい状況で、補助金などでその場をしのぎ、問題の先送りが続いている。そして、消費者がメディアが発信する職人のよい情報に触れる機会は増えたが、日常化してしまえば「あたりまえ」となり驚く能力を喪失するため、日本を代表する職人文化に対しては、表層的な理解にとどまっている。

筋金入りのプラグマティストであり社会学者のリチャード・セネットは、古今東西のクラフツマンシップの栄枯盛衰をたずね、その現代的な意味を問い直そうとしている。歴史の中でクラフツマンに訪れた危機を社会学的に分析している。本書には日本の事例は多くは登場しないが、著者の分析と日本の職人のおかれた現状を重ねあわせ、比較・相対化しながら考えることができる。

クラフツマンシップとは、「我慢強く、基本に忠実な人間的な衝動のことであり、仕事をそれ自体のために立派にやり遂げたいという願望」である。「我慢強く、基本に忠実」というのは「同じことの反復」を厭わないことである。そして、「仕事それ自体を立派にやり遂げたい」というのは、他者と競争したいとか、目標を達成できれば満足だ、とか考えないというにある。

しかし、クラフツマンシップは功罪相半ばする。バイオリンの名器ストラディヴァリウスを製作したアントニオ・ストラディヴァリは、供給が需要を上回り始めた自由市場の不安定性への対応を余儀なくされた。弟子たちに対する作業場での支配力と権威を失い、2人の息子に譲られた作業場は経営に頓挫した。その原因は環境の変化だけではない。天才の暗黙的な技能を息子に伝承できなかったことがもう一つの要因だった。しかし、天才にしか認識できないことや伝承ができない暗黙的な知識にこそ権威が宿ったため、ストラディヴァリウスは名器であった。

文字通り山積みする諸問題がクラフツマンの周りにはあり、本書に登場する数々の困難は耳目の触れたものが多い。例えば、よい仕事が職や収入を確約してくれるわけでもないこと、仕事へのこだわりがいつの間にか強迫観念となること、仕事への一方的な情熱が取り返しのつかない技術を作り出し倫理的な問題を生むことだ。これらの問題の持つ重要性は、増しこそすれ少しも薄れてはいない。そして、問題のうちどれ一つとして解決されたものはなく、中途半端なまま放置されているが、その奥底にこそ、よい仕事をするための処方箋が隠れていると著者は希望を持つ。

終わりに、著者であるセネットの悲喜交交な生い立ちを紹介したい。両親はスペイン内戦を人民戦線の一員として闘った筋金入りのコミュニストだった。父親は生後7ヶ月で蒸発、スラム街対策として建てられたシカゴの公営住宅で母と2人の窮乏を極めた生活を送った。家庭にあった書物は「レーニン文庫」のみ、典型的な「赤いおむつの赤ん坊」だった。

その後、音楽の非凡な才能を見出され、シカゴ大学に進学した。演奏家を目指し、コンサートで演奏していたときに、すごぶるセクシーな女性に声をかけられた。それが、ハンナ・アレントだった。怪我により演奏家を諦めた後は、『孤独な群衆』で名を馳せていたデイヴィッド・リースマンから手を差し伸べられ、精神分析学者のエリクソンにも師事し、彼らのもとで社会学を研究した。スラム街からLSEとMITの教授まで駆け上ってきた過程でときどきの社会を見つめてきた。

アレントの授業が難しすぎて単位を落としたセネットだが、2人はお茶仲間となった。アレントは『イェルサレムのアイヒマン』の余波で、多くの友人を失っていた時期だったからかもしれない。まだ若かった著者にはアレントに対して反論出来なかったことがあった。それは仕事に従事する人間の二種類のイメージの違いだった。苦役者のような「労働する動物」とその上位で労働と実践を判定する「工作人」という区別に、セネットには難点があると考えていた。そして、何十年越しに、本書でアレントへの反論をすることとなった。

私は本書においてもっとも物議を醸しそうな提唱は最後まで残しておいた。すなわち、ほとんど誰でもよいクラフツマンになることができる。という提唱である

労働する動物は考える能力を有している、つまりすべての「人間は自分たちが作るモノを通じて自分自身について学ぶことができる」、ということだ。師を乗り越え、ロマンチシズムを厳に戒めながら、セネットの見果てぬ夢は続いていく。

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