『一汁一菜でよいという提案』 家庭の料理を初期化しよう!

麻木 久仁子2016年10月24日 印刷向け表示
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一汁一菜でよいという提案
作者:土井 善晴
出版社:グラフィック社
発売日:2016-10-07
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食育では、一緒に食べることの大切さ、家族揃って食卓を囲むことの大切さが説かれます。けれど、商売をやっている家庭や、親が働いている家庭では、一緒に食卓を囲めないのは当然で、親が用意した汁を自分たちで温めて、子どもだけで食べる。そんな家庭はたくさんあると思います。それでも、大切なものはもうすでにもらっています。それが手作りの料理です、愛情そのものです。だから、別に一緒に食べることばかりが大切じゃないのです。

だれもいない夜、両親の帰りが遅いとき、鍋焼きうどんの材料が全部入った皿が台所に用意してあったら嬉しいでしょう。うどん、鶏肉、かまぼこ、しいたけ、ねぎの切ったものが入っています。一人用の土鍋に入れて、だし汁を張って火にかけて煮立てて、うどんを煮込みます。熱々の鍋焼きうどんをテレビの前で一人で食べた夜は、私にとって大切な思い出です。

このくだりを読んで、胸がじんとして、涙が出てしまった。しばらくページをめくる手が止まったのである。思えば、子育てと仕事に追われながら精一杯やってきたつもりでいても、心のどこかに、いつもいつも子どものそばにいてやれる訳ではないことへの後ろめたさがあった。キャラ弁など他のお母さんが作る手の込んだ弁当に比べたら、手抜きと思われないかしらと気になったこともある。品数の多さが愛情の量のような気がして、なんとかあと一品と思い、ヘトヘトになったこともある。

怒涛のように忙しい時が過ぎ、子育ても一段落して、ふとあの頃を振り返ると、頑張っているつもりだったけれど足元はいつも不安定だったのかなあと思う。品数とかひと手間とか、そんな目に見える形で愛情を示さないと、親としての自信を失いそうな気がしていたのだと思う。
だからこの一節を読んで、なんだか許されたような気がしてホッとしたのだろう。
同じように感じる方も多いのではないだろうか。

本書が提案しているのはタイトル通り。「一汁一菜」である。飯と具だくさんの味噌汁があれば、あとは香の物で良い。これが基本形である。おかずを付けたなら、味噌汁の具は減らして全体のバランスをとる。膳はきれいな三角に整う。毎日毎食手に触れる、それぞれの茶碗や箸や湯のみは、きちんと選んで、自分に似合うものを大事に使う。ハレの日のご馳走とは違って、ごくごく日常の、シンプルな味付けで、だけどそれだからこそ飽きのこない味のものを。家庭ではいつもいつも新鮮な最上の材料を使えるわけではないけれど、例えば時にうまく煮えない芋や傷みそうな残り物もあったとしても、「ごめんね」や「もうこれは食べないで」という会話がある。おじいちゃんの分は少し柔らかくとか、子どもの分は小さく盛り変えてとか、ほんのちょっと出来ることをすることで、「これは自分のための料理だ」ということが心に溜まっていく。プロの真似などする必要もない。穏やかで清々しいお膳…

愛情を目に見える形にしなくてはというプレッシャーや、プロの料理人の味こそ目指すべきと思い込んで“日常”を見失ったことで、複雑になりハードルが上がってしまった「家庭の料理」を“初期化”しようというのが土井さんの提案なのだ。
現実的で持続可能で、余計なストレスを抱かなくて良い「一汁一菜」を守ることでそれが実現する。

本書には「一汁一菜の実践」として、著者の土井さんが普段作り、実際に食べている味噌汁の写真がある。焼いたピーマン、トマト、きゅうり。なんでもうまい味噌汁になる。だしをとるための煮干しもそのまま具として食べてしまっても良い。日々の暮らしの中で毎日、その日の味噌汁があり、再現性はない。季節のもの、今あるもの、なんでも良い。
が、これは手抜きかといえば決してそうではない。じっと写真を見ているとわかってくる。奇をてらったり、複雑で難しいということも何もないお椀だけれど、トマトの煮崩れ具合とか、落とした卵の黄身のトロトロ加減とか、「ああ!今これ、美味しそう!」と土井さんが感じた時に火を止め、椀によそわれているのだ。

土井さんは料理番組でよく「ああ!今美味しそう!と思った時が完成!」と言う。プロのレシピというものは実に正確無比なもので、書いてある通りに忠実に作ればおいしく出来るようになっている。もちろん土井さんのレシピもそうである。が、何分煮なさい焼きなさいというレシピの指示だけではなく、鍋やフライパンを覗いた時に「今だっ!」と自分自身で感じなさいという。それが一番大事なのだと。卵のトロトロ加減は、それぞれの作る人食べる人にとっての「今だっ!」であるべきなのだ。

どんなに手順の少ない料理でも、作る人が美味しい瞬間を全力で感じながら作れば愛情いっぱいだ。家族のために作る料理でも、一人暮らしで作る料理でも、食べることで癒される心と体がそこにある。

本書を読めば何か作ってみたくなるはずだ。簡単なことこそ丁寧に。「美味しくなる瞬間」に集中して。一杯の味噌汁を穏やかな気持ちですすることのありがたさを思い出させてくれるような一冊だ。今まで日々の献立に悩まされてきた方はもちろん、今まで料理などしたことがなかった方にもお勧めしたい。やる気が出ますよ!

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瑞仙亭2016.10.25 13:12

本書を読み始めて、先日ご恵贈いただいた『魚と日本人 食と職の経済学』(濱田武士・岩波書店)を想起した。 『魚と日本人』はさなかを巡る消費者・流通業者・生産者を取り上げているのだが、優れて日本人の食をめぐる経済史・社会史・文化史となっている。本書も、日本の食生活の大きな変化を踏まえてなされた一つの提案(提言)であり、食に関する社会史の今のところの結節点とでもいうことができるのではないか。

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