『哲学と宗教全史』「稀代の読書家」立命館アジア太平洋大学(APU)の出口治明学長による3000年にわたる人類の哲学と宗教の全史

堀内 勉2019年08月17日 印刷向け表示
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哲学と宗教全史
作者:出口 治明
出版社:ダイヤモンド社
発売日:2019-08-08
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ライフネット生命保険のファウンダーで、現在は立命館アジア太平洋大学(APU)の学長を務めている出口治明氏の著作には、いつも感心させられる。本書を読んで改めて、こうした幅広い視野で世界の哲学と宗教を語れるビジネスパーソンというのは、日本では極めて稀だと思った。

出口氏によれば、遥か昔から人間が抱いてきた根源的な問い掛けは、次の2つに集約されるという。

①「世界はどうしてできたのか、また世界は何でできているのか? 」
②「人間はどこからきてどこへ行くのか、何のために生きているのか?」

19世紀終わり頃、フランス領タヒチで画家のポール・ゴーギャンが描いた『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』というタイトルの有名な絵画があるが、こうした問いに答えてきたのが、宗教であり哲学であり、更には哲学から派生した自然科学だったのである。

神の存在を前提に全ての答えを組み立ててきた宗教の時代、「神とは?歴史とは?善とは?」などの命題を問うてきた哲学の時代、そして現代の自然科学の時代に至り、この2つの問いに対しては、今、宇宙物理学や脳科学がその真実に迫ろうとしている。

これを評者なりに解釈すれば、前者の世界に関する問いは、138億年前に誕生した宇宙のまだ光が存在しなかった最初の数十万年について、観測ではなく理論的に解明しようとする理論物理学がチャレンジしており、また後者の人間に関する問いは、人間の意識や心はどこから来るのかについて解明しようとして脳科学がチャレンジしているが、この「宇宙の起源」と「意識と心」が、現代の人類に残された最後の難題だということである。

実は、宇宙の起源については、 余剰次元、統一理論などの素粒子理論現象論、量子重力理論、マルチバース宇宙論の分野で大きな功績をあげているUCバークレー教授・バークレー理論物理学センター長の野村泰紀氏が、宇宙の起源の問題は理論的には解明済みと言っている。

何度聞いてもそのロジックは評者の頭脳では理解できないのだが、それについては、『マルチバース宇宙論入門 私たちはなぜ〈この宇宙〉にいるのか』に書かれているので、関心のある方はそちらを参照して頂きたい。

それでは意識と心の問題はどうかと言うと、AIの時代になりディープラーニングが登場すると、なぜこれで複雑な問題が解決するのかのロジックは分からなくても、とにかく解けてしまうというブラックボックス化が起きていることで、やはり意識や心というのは人間固有のものではなく、自然科学的な現象であるということも言われている。

AIの日本における第一人者であり、東京大学大学院工学系研究科人工物工学研究センター/技術経営戦略学専攻教授の松尾豊氏もそうした説明をしていると理解しているが、現時点ではそれが科学的に証明された訳ではない。

また、物質に電子や陽子や中性子や、更にはクォークなどがあるように、物質にはそもそも意識が内在している。従って、宇宙は意識で満ちているのだという極端な説も唱えられてはいるが、それもやはり科学的に証明された訳ではない。

こうした問題については、本来は正に哲学の出番だと思うのだが、本書にあるように、20世紀以降の哲学は様々な思想が林立状態であり、強力な説得力を持つ自然科学に対して極めて旗色が悪い。

特に、20世紀前半の哲学者ウィトゲンシュタインは、「語りえぬものについて、ひとは沈黙しなければならない」として、神の存在や人間の意識の中身など探りようがない、世界の客観的存在などあり得ないと考え、哲学の中心的な命題を言語の分析に置き換えてしまったことがひとつの契機になっている。

このように、哲学の主要テーマが置き換えられたことは、コペルニクスの地動説によって天文学に生じた「コペルニクス的転回」にちなんで「言語論的転回」と呼ばれているが、本質存在に対する現実存在の優位を説き、「実存は本質に先立つ」 としたサルトルなどの実存主義、更には、「社会の構造が人間の意識をつくるのであって、完全に自由な人間なんていない」として、社会の構造が人間の意識を形づくると考えたレヴィ=ストロースなどの「構造主義」が登場するに至って、物事の本質を問う「本質主義」は完全に追いやられてしまった。

こうした考えが台頭してきた背景には、やはり第二次世界大戦という、神や真実や善といった本質的存在を疑わざるを得ないような、人類が初めて体験した大きな災いが関係しているのは間違いない。

実存主義も構造主義も、その根底にあるのは、社会構造というのは人々が共同行為によって作り上げている夢のようなものであり、そこには当初から意味を持った現実など存在しないという理解である。

しかしながら、全ての事物には変化しない核心部分としての本質が存在するという「本質主義」の考え方は、古くはプラトンのイデア論にも見られる人類の歴史における中核的な思想であり、これ抜きに人間社会を語ることはできない。

こうした、「本質主義」対「相対主義」という対立の図式から抜け出す第三の道を開き、構造主義やポスト構造主義(ポストモダニズム)を克服する哲学として現れてきたのが、『なぜ世界は存在しないのか』で有名になったドイツの哲学者マルクス・ガブリエルの「新実在論」である。

ガブリエルによれば、物事の実在はそもそも特定の「意味の場」と切り離すことはできず、「世界は、見る人のいない世界だけでもなければ、見る人の世界だけでもない」として、物理的な対象だけでなく、それに関する「思想」「心」「感情」「信念」、更には一角獣のような「空想」さえも存在するとしている。

これが、哲学の最前線で議論されていることであるが、出口氏個人としては古代ギリシアのストア派の考えに傾倒しているという。ストア派については、以前、HONZで『迷いを断つためのストア哲学』を紹介したが、その本質は、「我々にはコントロールできるものとできないものがあることを自覚し、コントロールできるものに注力し、コントロールできないものにとらわれるべきではない」として、自らの運命を受け入れた上で、尚且つ積極的に力強く生きようという姿勢である。

そして、出口氏の結論は、末尾にある以下の文章に集約されている。

結局、現在の人間社会は構造主義や自然科学、そして脳科学が到達した人間存在についての真実よりも、昔から主流であった本質主義的な概念、平たく言えば日常的な概念を上手に利用して虚構に立脚したうえで社会の秩序を保っています。それは人間の生きる知恵なのだと思います。哲学も宗教も、人間が生きていくための知恵を探し出すことから出発したといえなくもありません。生きていくための知恵とは、不幸といかに向き合っていくかの知恵ともいえます。不幸と呼ぶべきか、宿命と呼ぶべきか、人間は常に病気や老化や死と向き合って生きています。これらの避けられぬものと、いかに向き合って生きていくか。このことが数千年の歴史を通じて、いつも人間の眼前にありました。

人間が「生きる」というのは、正にそういうことなのだと思う。

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