巨象をあやつるSNS番長 『モディが変えるインド』

吉村 博光2017年08月09日 印刷向け表示
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モディが変えるインド:台頭するアジア巨大国家の「静かな革命」
作者:笠井 亮平
出版社:白水社
発売日:2017-06-28
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2017年8月15日、インドは独立70周年を迎える。本書は、普通に暮らす日本人に「インドの今」を知ってもらうために書かれた本だ。東アジア情勢が風雲急を告げるなか、「そういえば今、南アジアはどうなっているのだろう」と思い、私はこの本を手に取った。皆様も独立70周年の機会に、インドという大国に思いをはせてみてはいかがだろう。新たな視界が開けてくるかもしれない。

タイトルにある「モディ」とは、現在のインド首相である。チャイ売りから一国の首相になった経歴から「インドの田中角栄」ともいわれている。清廉潔白で民衆の支持が大変厚く、SNSに積極的。世界の指導者のなかで最もフォロワー数が多く、「SNS番長」ともいわれている。国の人口の違いもあると思うが、あのトランプ大統領も凌いでいるのだから、興味深い。

著者は、『軍事大国化するインド』や『ネオ・チャイナ』など、インドや中国に関する多くの著作をもつ研究家だ。あとがきによると、本書は「学術的なものと通俗的なものの中間に位置するもの」、「転換期にある現代のインドを知るためのかゆいところに手が届くもの」となることを意図して書かれている。本書をきっかけにインドをめぐる議論が活発になるようにと願う著者が、そこに読者を誘うための原動力として選んだのが、モディ、その人なのである。

いまインドで起きている変化をもっとも強く体現している人物をひとり挙げるとすれば、やはりモディしかいないだろう。また、特定の人物に焦点を当てることで、読者がインドに対してより具体的なイメージを持ってもらえるのではないかという考えもあった。 ~本書「あとがき」より

本書において、その企図は成功している。ページをめくる、私の手は止まらなかった。私は、モディに強い関心を抱きながら、砂漠に水がしみこむように「インドの今」に関する知識を吸収していった。そしてその知識は、東アジアの閉塞的な現状を打破するヒントになる、と私は感じた。楽しくて、意味のある読書だった。

モディが首相に就任したのは、2014年である。本書は、就任後初の独立記念日の演説の記述から始まる。グジャラート州の首相として12年間の実績をひっさげて選挙で大勝利を収め、インドの首相となるまでをまとめた第1章。その後の国内政策にふれた第2章。外交の基本指針を解説した第3章。そして、第4章と第5章では中国・日本との関係について書かれている。

モディの政策のなかで、私が最も衝撃を受けたのは「高額紙幣の廃止」だった。日本でも先日、「1万円札を廃止せよ」という記事が全国紙に出て、議論が巻き起こった。インドでは、それが実行されたのだ。昨年、アメリカ大統領選挙の前日にモディはテレビ演説をして、経済再生の取組みについて説明し汚職とテロ問題の話題に触れた後、次のように宣言した。

汚職とブラックマネーの悪影響を断ち切るため、政府は現在流通している500ルピー紙幣と1000ルピー紙幣について、今晩零時をもって無効とすることを決定した。つまり、今晩零時以降は、これらの紙幣は支払いに使うことはできなくなるということだ。 ~本書第2章「変わりゆく経済と社会」より

テレビの前で、国民は呆然としただろう。日本でいえば5000円札と10000円札にあたる紙幣である。もちろん、紙くずになるというわけではない。期日までに銀行に預ければ良いのだ。トレースできない「現金」が闇資金となっているため、それを一旦帳消しにするのが政府の狙いなのだ。それは「祖国を浄化するための運動」として国民に呼びかけられ、混乱はあったものの、多くの国民に評価された。翌年の選挙で圧勝したのである。

庶民から首相にのぼりつめたモディの政権基盤が、高額紙幣を目にする機会が少ない人々だったことも大きいという。もし日本で同じことを実施したら、タンス預金を抱え込んでいる庶民から総スカンを食らって、政権が崩壊してしまうだろう。「高額紙幣廃止」の意義は見いだせても、日本では実行できまい。私は、モディの読みの深さ、思い切りの良さに脱帽した。

ところで、多くの日本人にとってインドといえば「カレー」ではないだろうか。私が住んでいる街には、彼の国から来た人が営むカレー屋が多い。駅前でチラシを配っているのをよく見かけるが、私は、ただの一度もそれを手にしたことが無かった。いつか日印関係に暗い影を落とすのではないか、と心配しつつも無視して素通りしてきた。

しかし私は元来、わざわざ神保町まで食べにいくほどのカレー好きである。本書を読んで、わが街のカレー屋に行ってみることにした。席についてランチセットを頼み、わざとらしく、本書を机の上に置いた。「Excuse me!」本を指さしながら、モディを知っているか?ときいてみた。なんと不躾な質問だろう。私だって、安倍を知っているか?ときかれたら、馬鹿にされたと思って、怒りだすかもしれない。

その店員さんは「Prime Minister」と笑って答えてくれたが、私はパキスタン人なので…と日本語で言い残して、厨房に入っていってしまった。私はとんでもない失敗を犯してしまったと思った。見ず知らずの男に、いきなり政治家の話しをぶつけてしまったのだから。しかしその不安は、直後にふっとんだ。別の男が満面の笑みをたたえて出てきたのである。「From India!」。それから片言の英語で、10分くらいモディについて話をした。

インドは、ITの国というイメージも強い。冒頭触れたが、モディはSNS番長である。「SNSフォロワー数世界一のリーダー」と書かれているオビを示しながら、インドの人びとがそれとどう関わっているのか、きいてみた。なんせ、フェイスブックとツイッターにそれぞれ数千万人のフォロワーがいるほか、自ら公式アプリで情報発信しているというのである。

日本にいる彼らも毎日チェックしているに違いない。…そんな私の期待に反して、彼の反応は弱かった。モディに対しては「期待と不安が半々だ」という答えが返ってきた。考えてみたら、人口が13億を超える国なのである。そこには、いろいろな人がいるのだろう。フォロワー数千万といっても、国の1割にも満たないのだ。彼との会話で、私は目が覚めた。

強いリーダーシップでモディがインドを変えつつあるといっても、それは、私たち日本人が想像するような「熱狂のリーダーシップ」とは違う。たしかに、演説をきくために集まった支持者は、熱狂で彼をむかえるだろう。しかし、インドという巨象をまとめるうえで最も大切なのは、むしろ多様性を受け入れる「音のないリーダーシップ」なのではないか、と感じたのである。

本書によるとインドは、国際関係においてはどこにも与さない「非同盟」が基本スタンスのようである。宗教においても、最終的な対立は避ける寛容さをもっているのだという。核問題については、既存のレジームの枠外にとどまりながら拡散はしないという、独自の道を歩んでいる。あとがきで著者は、インドはこれからの国際社会で「固定概念を乗り越え、新たなモデルを構築できる可能性を秘めている」と指摘する。

「ムトゥ踊るマハラジャ」をはじめとしたボリウッドと呼ばれるインド映画、「マインドフルネス」で脚光を集めているヨガ、そしてインドの国体を支えてきた多様性への寛容さ。そのようなインドのソフトパワーについて言及した記述が、最も私の心に残った。私が会計を済ませると、店員は私にスタンプカードを手渡した。日印関係改善のため、いやソフトパワーを学ぶため、しばらくのあいだ足繁く通ってみたいと思う。 

最近出版された、カレーの本を一緒に買って読んでいます。参考までにご紹介します。 

カレーライス進化論 (イースト新書Q)
作者:水野仁輔
出版社:イースト・プレス
発売日:2017-05-10
東京の名店カレー 黄金色のスパイス51粒 (じっぴコンパクト文庫)
作者:小野 員裕
出版社:実業之日本社
発売日:2017-07-07
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