『隠れナチを探し出せ 忘却に抗ったナチ・ハンターたちの戦い』悪の凡庸と時間に挑み続ける者たち。

鰐部 祥平2018年03月08日 印刷向け表示
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隠れナチを探し出せ (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズIII-2)
作者:アンドリュー・ナゴルスキ 翻訳:島村 浩子
出版社:亜紀書房
発売日:2017-12-21
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1945年5月5日、アメリカ軍がオーストリアのマウトハウゼン強制収容所を解放したとき一人のユダヤ人男性の命が救われた。男の名はジーモン・ヴィーゼンタール。自信家で野心家。この男は、後に最も有名なナチ・ハンターとして頭角を現す。そして、最も、問題の多いナチ・ハンターとして数々の論争の的となっていく。

大戦中にドイツが占領した地域では、ドイツ軍及び現地の協力者によって多くの戦争犯罪が行われてきた。しかし、虐殺に加担した人間の数が膨大であることと、戦後すぐに始まった東西冷戦の影響で、多くの戦犯が罪に問われることなく、一市民としてなに不自由なく暮らしていた。

そんな戦犯たちを追い詰め、裁きを下すことに情熱を傾けた男たちがいた。それがナチ・ハンターだ。本書はジャーナリストで『ヒトラーランド』の著者でもあるアンドリュー・ナゴルスキの新刊である。

ナチ戦犯の裁判で最も有名なのは、ナチの最高幹部たちが裁かれたニュルンベルク裁判であろう。このニュルンベルク裁判ほど世間の話題にはならなかったが、同時期に注目すべき裁判がダッハウで行われていた。この裁判で米軍の主席検事を務めたのが30代で大抜擢されたウィリアム・デンソンだ。

彼は強制収容所の職員を中心にした裁判で、被告177人を有罪にするという勝利を勝ち取った。被告人らは「命令に従っただけ」だと主張する。その意を受けて被告弁護人は被告たちは「大量殺人システムの歯車」であっただけだとし、個々人に殺害の罪を負わせるべきではない、と論陣をはる。これに対しデンソンは、本件で重要なのは個々の殺人ではなく“共謀の意図”なのだと主張。「命令に従っただけ」という被告人の主張を退け「明らかに間違った行為の実行を拒否しなかった」とし、「“命令されたからだ”という答えは本件では認められない」と厳しく非難した。デンソンの主張は、その後の公判における戦略として確立される。

ニュルンベルク裁判でナチの最高幹部が裁かれた後も、実は米軍軍事裁判所によって十件あまりの公判が行われていた。こちらも国際的な注目度は低かった裁判だ。この裁判で裁かれたのはアインザッツグルッペンの幹部たち。裁判を担当したのはフェレンツという首席検事だ。アインザッツグルッペンは「特別行動部隊」とも意訳される。この部隊は国防軍などが戦う東部戦線の後方で敵性分子を殺戮するために組織された部隊で、指揮官クラスは高等教育を受けたインテリが多く任命されていた。フェレンツは入念に証拠を集め公判に臨む。被告人は隊員3000人の内のわずか24人。「正義は常に不完全だ」とフェレンツは言う。

フェレンツは証拠に基づき500人から800人で構成された4隊のアインザッツグルッペンが1日平均、1350件の殺人を行い、平均して週7日間、100週間にわたって虐殺し続けた事実を暴きだした。この時、史上初めてジェノサイドという新しい用語が使用されたという。公判結果は自殺と病気で被告からはずされた2名を除く22人全員が有罪。13人に死刑判決。だが実際に死刑が行われたのは4人のみで、残りは数年以内に釈放されてしまう。他の3000人の隊員もお咎めなしだ。

ドイツ人は過去の事を忘れたがっていたし、共謀の意図などという理論を持ち込まれては、あまりにも多くの人間が戦犯にされてしまう可能性がある。また東西冷戦が始まる中で、有能なナチの中堅幹部や官僚を全て排除してしまえば、東西ドイツどちらも国家運営が立ち行かなくなる。こうした状況を背景に戦争犯罪への追求は西側陣営、東側陣営共に急速に下火になり、ジェノサイドに関わる人々がごく普通の市民として社会に復帰していく。長々と書いたがここまでが、ナチ・ハンターが生まれる下地のような話である。

そうした社会情勢の中にあって、ヴィーゼンタールがアドルフ・アイヒマンを追跡し続けた事が、後にイスラエルのアイヒマン拉致と裁判に繋がっていく。最も、彼はアイヒマンを独自に追い続けるだけの組織力も資金も無い。ヴィーゼンタールはイスラエルに協力を仰ぐも、イスラエルは当初、アラブ諸国との紛争に手一杯でアイヒマンに関心を示さなかった。

しかし、イスラエルのベングリオン首相らは1950年代後半頃から自国の実力に自信を深め、アイヒマン追跡に乗り出す。そこにドイツの判事フリッツ・バウアーが重要な証拠を持って登場する。フリッツ・バウアーも母国ドイツの戦犯を追及し続けた偉大なナチ・ハンターだ。ヴィーゼンタール、フリッツ・バウアー、そしてイスラエルの諜報機関モサドの面々。役者はそろい、ナチ・ハンナー史上最大の大舞台、アイヒマン拉致作戦へと繋がっていく。ちなみにヴィーゼンタールはモサドが任務の性質上、真実を語れない状況を利用し、自分こそがアイヒマン拉致作戦の中心人物というような印象操作を繰り返し行ったために、後に多くの論争と批判を巻き起こす事になる。

著者はアイヒマンを「怪物」としたがるイスラエル国民一般の認識とアンナ・ハーレントが主張した、アイヒマンは任務に忠実だっただけの小役人で、彼の行為の本質は「悪の凡庸さ」にあるという意見の対立に多くのページを割いている。この食い違う主張の考察こそが本書の背骨であり、その後に行われたナチ裁判の記述でも繰り返し展開される事になる。間違いなく読み応えがあるの話なので、是非とも本書を手にとって読んでもらいたい。

後半は若きナチ・ハンターたちの活動に中心が移る。ナチ・ハンターの中でも最も攻撃的なハンターはベアテとセルジュのクラルスフェルト夫妻だ。夫人のベアテは、元ナチ党員であった西ドイツ首相キージンガーに平手打ちを食らわせた事で世間の注目を浴びた。二人はフランスで行われたユダヤ人の強制輸送に関係した、3人の元SS将校を追い詰める。しかし彼らはドイツ人から激しい脅迫を受けるようになる。他にもアメリカの政府機関で活躍したナチ・ハンターらはタブー視されていた「ペーパークリップ作戦」の対象者である科学者を追い詰める。ペーパークリップ作戦とはアメリカ政府が有能なナチの科学者をスカウトし、戦争犯罪の訴追免除を餌にして極秘裏にアメリカ本土に招聘した作戦である。その対象者としては、ロケット開発の父、ヴェルナー・フォン・ブラウンなどが有名だ。

ナチ・ハンターの行動の源に復讐心があったのは確かであろう。しかし、それ以上に彼らが望んだのは、ナチの戦犯たちを法廷に引き出し、あの時代に何が起きていたのか、真実を明らかにし歴史にその証拠を刻み、後世への教訓とする事だ。現在では過去の汚点に真摯に向き合っているように見えるドイツ国民も、つい最近までは、頑なに過去と向き合うことを拒んでいた様子が本書では明らかにされている。

もっとも、2000年代に入ってからは、かつてデンソンが用いた“共謀に意図”という理論が復活し、年老いたナチたちが、かつての罪を償う事になる事案が増えている。ドイツは過去に苦しみながらも自国の過ちに向き合う努力を続けているのである。また、裁判で証言する事ができた被害者たちも法廷という公の場で、自身の悲惨な経験を語る機会を与えられた事により、正義が実現されたと感じ、心に平穏を取り戻す事ができたという。たとえ、正義の実現に70年近くもの年月が必要だったとしてもだ。
 

ヒトラーランド――ナチの台頭を目撃した人々
作者:アンドリュー・ナゴルスキ 翻訳:北村京子
出版社:作品社
発売日:2014-12-19
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フリッツ・バウアー アイヒマンを追いつめた検事長
作者:ローネン・シュタインケ 翻訳:本田 稔
出版社:アルファベータブックス
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ナチ科学者を獲得せよ! (ヒストリカルスタディーズ)
作者:アニー・ジェイコブセン 翻訳:加藤万里子
出版社:太田出版
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ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
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