『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』芸術的思考

2018年9月9日 印刷向け表示

芸術的な一冊だ。

私達は、さまざまな問題を解決しようとするとき、ついつい今ある意見をまとめがちになる。ただその意見自体が的を得ているのかどうか気づかない場合、粘り強く思考し続けて解決に導くプロセスが、哲学と芸術で非常に似ている。

ドイツの現代アーティスト、ヨーゼフ・ボイスは思想・政治・教育に精通し、政治経済と環境問題の常識を問い直しつづけた。彼の表現自体、フェルト素材を使用したピアノが作品の場合もあったし、本人自らウサギの遺体を抱きかかえるなどパフォーマンスもあった。観た人は様々な解釈をしたが、ボイスの作品コンセプトは「社会彫刻」で決してぶれなかった。これは「地球上に住まう人間は、能動的にこの世に関与すべき」という意図で、常識や習慣に流されることなく、自分の頭で状況を判断し、自らの意志で生きていこうよ、というメッセージだ。

そして本書においては、デカルトの項が秀逸なので抜粋する。彼は「我思う、ゆえに我あり」という最も有名な命題を残した。「どんなに確かなものを疑ったところで、今ここに思考する自分自身の精神があることだけは否定できない」という論理だ。今でこそ納得できるが、デカルトが生まれたのは1596年。当時ローマ・カトリック教会が法と真理を司る(牛耳る)体制であり、信仰と教義は神が定めたものが絶対であった。彼が『方法序説』を書いた頃、カトリックとプロテスタントはお互いに「自分が真理だ」と主張を続けた三十年戦争の最中だった。(ちなみに哲学の歴史は5世紀から800年ほど停滞または後退している)それでもデカルトは、疑いながらも皆それぞれ慣習として受け入れている法の体制を、1から自分の頭で考え、確実なものから再構築していこうと、権威や常識に頼らないで自らの力で真理に近づこうとする、パンクもしくはロック的な知的態度であった。

本書はアウトプットするに至った思考のプロセスや、現状の問題に向き合う考え方など、ヒントを多数明示してくれる。ところが昨今の哲学本といえば、古代ギリシアのソクラテスから始まり~アリストテレスはこういう主張で~、でも弟子のプラトンは反論し~、といった具合が多いのである。あたかも「哲学書とは、歴史を順に紐解かなければならないのである」ようなイデア的発想がある。こう書いてみると、プレゼンのためPowerPointのスライドを大量に準備する人が思い浮かぶ。制限時間15分でのWEB施策に、70枚のスライドを1から順に読み上げた人がいた。時間は事前に知らされていたが、その彼は全てを説明しようとし、ご想像のとおり時間切れとなった。もしかしたら哲学本とこれまで距離をとっていたのは、哲学入門書の構成が原因だったのかもしれない。

一方で、本書のカテゴリはおおまかに「人」・「組織」・「社会」・「思考」に分けられ、どこから読み進めても良い構成となっている。サルトルのアンガージュマン/ソクラテスの無知の知/プラトンのイデア/アダム・スミスの神の見えざる手/などの基本思想から、哲学者以外にも地質学者のダーウィンにおける「自然淘汰」など、進化論に至るまでの思考哲学も学べる。とはいえ1センテンスほんの5ページ程でまとめられているので、ルソーの「一般意思」が難しそうだとしても挫折せずエッセンスだけは抽出できる。

著者は、哲学科出身の外資系コンサルタントの山口周氏。前著『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』では、アートにおけるクリエイティブ思考とビジネスの関連性について論じた。筆者自身のコンサルティング経験から、本書のキーワードは実際に使えたものが掲載されている。ビジネスや人間関係における問題の本質を理解し、アジェンダを定めるガイドになりえる。

このアジェンダ設定だけでも価値は充分にある。著者も声を高くしているが、いまの時代イノベーションと口を揃えていても、ほとんどの会議が「ごっこ」に該当する。現状、イノベーション会議と呼ばれるものは、真に設定すべきアジェンダを見つけられず、アイデアを募り、それを整備しただけとなる。課題設定ができないのだ。

これらにどう対処すべきかといえば、教養を身につけるしかない。教養を身につけることは「常識を疑える」視点を持つことでもあるからだ。地理的な空間、歴史的な時間の広がりを持った人は、目の前の状況を理解し問題を見定めることができる。その意味で、本書は芸術的だ。

また付け焼き刃的な知識は期待しないほうがよい。哲学的な思考は、常識を疑いながらもアウトプットするに至った思考プロセス、現状に対する問題を多面的に考察し、あきらめず思考し続けるしぶとさが必要だからだ。幾度も読み返し、世界に対して主体的に関わってくれる人が増えたらこの上なく嬉しい。

 

武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50

作者:山口 周
出版社:KADOKAWA / 中経出版
発売日:2018-05-18
  • Amazon Kindle

こちらはKindle版

 

『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』レビューはこちら

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