【連載】『家めしこそ、最高のごちそうである。』
 第3回:1970年代の外食は、化学物質とまがい物の時代だった!

佐々木 俊尚2014年02月22日 印刷向け表示
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稀代のジャーナリストが語る、家庭料理の極意。「家めし」の美味しさを追求していったら、答えはシンプルなものへと辿り着いた。第3回は、1970年代の外食を振り返ります。

では、このころの外食はどうだったのでしょうか? 

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1970年代は私はまだ10代で田舎に住んでいたので、東京の大人が行くようなハイブローな店はまったく知りません。たまの週末、家族での外食というと、いまでいうカフェレストランのような喫茶店風洋食屋が多かったように覚えています。単なる豚肉のショウガ焼きが「ポークジンジャー」なんていうハイカラな名前で供されていて、ナイフとフォークで見よう見まねで肉を切り、フォークの背にご飯をのっけて口に運んだりしていました。ショウガ焼きというと古くさいので、それをカタカナで言い換えてお洒落な食べ物のふりをさせていただけなんですね。そういうチープで涙ぐましい時代だったのです。 

ピッツァなんて洒落たことばは存在せず、宅配ピザもありませんでした。日本で最初の宅配ピザであるドミノ・ピザがサービスをはじめたのは、1985年になってからです。 

70年代の地方の高校生には、ピザと言えば冷凍ピザか、そうでなければ喫茶店のピザトーストぐらいしかありませんでした。厚切りの食パンの上に、ピザソースとチーズとピーマンをのっけて焼いた料理です。 

清涼飲料も同じです。1970年代ごろまでは粉末ジュースや、オレンジジュースが噴水になって盛り上がっている駅構内のジュース自販機など、なんとも身体に悪そうなものを毎日飲んでいたのです。化学物質のかたまりだったのではないかと思います。あの時代に蓄積された毒物の量なんて、最近の健康的な食材に慣れている人から見ると恐ろしいくらいの毒々しいものだったのではないでしょうか。 

食事のときの飲み物も、いまはウーロン茶から日本茶、さらにはミネラルウォーターも、ありとあらゆるものが販売されています。しかしこうした「食事に合うお茶類」がペットボトルに詰めて販売されるようになったのは、1980年代末のバブル以降です。それ以前は酒を飲めない人は多くの場合、ファンタやコーラなどの炭酸飲料を食事のときに頼んだりしていたのです。 

日本酒でもそうです。伝統的な日本酒はとても美味しいお酒ですが、太平洋戦争が終わって以降は米不足もあって、純米酒に甘ったるい美味しくないアルコールをどっさり添付するような三増酒(三倍増醸清酒)が当たり前になってしまいました。このころの日本酒は本当にまずく、私も貧乏だった学生時代によく飲みましたが、コップから酒がこぼれると濃い砂糖水のように粘りつき、放っておくとコップがテーブルに貼りついてしまうほどでした。 

地方の酒蔵では伝統的な美味しい純米酒もつくられていたのですが、いまのように全国に販売する手立てがなかった。だからしかたなく大手酒造会社に桶ごと売って、大手はそれにアルコールをぶち込んで水増しして販売していたというひどい悪循環でした。 

もちろん大手酒造会社も、自前の美味しい純米酒はつくっていたようです。銀座の老舗の寿司屋さんで長年勤務していた職人さんに話を聞いたことがあるのですが、「さすがに銀座の高級店だと、三増酒なんて出していなかったですよ。テレビでCMをバンバンやってるような大手酒造会社が、優良取引先だけを相手にちゃんとしたお酒をつくってたんです。お店ではそういう酒を仕入れてお客さんに出してました」 

昭和の日本でも、美味しくてきちんとした食材や酒はありました。でもそういうものを手に入れられるのは、ほんのわずかな人たちだけだったということなんですね。

「食が危ない」とか「伝統に回帰しよう」とか、あいかわらず食文化についてはいろいろ言われています。しかし戦後の高度経済成長期に小学生から思春期ぐらいまでを過ごしたわたしから見れば、「いやいやいや、それは違うでしょう」と反論したい気持ちでいっぱいです。はっきり言って、太平洋戦争が終わってから1970年代ぐらいまでは、日本の食にとっては最低の時代でした。 

要するに、化学物質とまがい物の時代だったということです。 

みんな、昔のことは美化して忘れてしまうってことなんですよね。これはいっときの「昭和三十年代ブーム」と同じです。映画『ALWAYS三丁目の夕日』がブームになって、東京タワーが建設されて東京五輪が開かれ、高度経済成長に沸いていた昭和三十年代は「みんなが助け合い、犯罪も少ない良い時代だった」と振り返る人たちがたくさん現れました。 

この映画がブームになった時の新聞には、こんなことが書いてあるんですよ。「子供が狙われる痛ましい事件が相次ぐ現代。泥だらけになって遊ぶ、映画の一平君たちの時代の方がずっと幸せだったのではないか、と思えてくる」(毎日新聞2005年12月13日) 

でも当時の日本社会は、そんなに能天気な良い時代じゃありません。農村では子供たちは満足に学校にも行けず、労働力としてこき使われてましたし、女性の地位は低くて親の強圧的な命令で嫌な相手と結婚させられるといった「お見合い結婚」が当たり前でした。大気汚染はひどく、自然は破壊され、犯罪も今よりずっと多かったんです。 

食文化もそうで、今じゃ信じられないぐらいひどいものをみんな食べていたのです。まっとうな食事をしていたのは、向田邦子さんの家のような「中流の上」から上の家庭ぐらいだったのではないかと思います。 
 

佐々木俊尚  作家・ジャーナリスト。 1961年兵庫県生まれ。早稲田大政経学部政治学科中退。毎日新聞社などを経て、フリージャーナリストとしてIT、メディア分野を中心に執筆している。忙しい日々の活動のかたわら、自宅の食事はすべて自分でつくっている。妻はイラストレーター松尾たいこ。「レイヤー化する世界」(NHK出版新書)、「『当事者』の時代」(光文社新書)、「キュレーションの時代」(ちくま新書)など著書多数。

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