『戦争の物理学 弓矢から水爆まで兵器はいかに生みだされたか』
訳者あとがき

白揚社2016年02月19日 印刷向け表示
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戦争の物理学―弓矢から水爆まで兵器はいかに生みだされたか
作者:バリー・パーカー 翻訳:藤原多伽夫
出版社:白揚社
発売日:2016-02-18
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物理学というのは難しいと思う。

いや、物理学なんて簡単だという人だっているかもしれないし、難しいと感じる人のあいだでも、難解に感じる点は人それぞれ違うだろう。私が感じる難しさは、物理学で取り扱われている力やエネルギーといったさまざまな要素が「目に見えない」点だ。

もちろん、物理学的な現象は目に見える。放り投げたボールが放物線を描いて飛んでいく、照明のスイッチを入れたら明るくなる、スマートフォンで撮った写真を友だちに送るなど、日常のさまざまな場面で私たちは物理学的な現象を目にし、それを活用している。しかし、こうした現象を引き起こしている力やエネルギーは目に見えない。

目に見えないものを理解するために、物理学者たちはそれを表す概念を文章で示し、用語や数式を考案してきた。こうして力やエネルギーは、文字や記号という媒体を通して表現できるようになった。とはいえ、人が直接目にしているのは、あくまでも文字や記号でしかない。力そのものが目に見えるようになったわけではないのだ。

物理学者は、用語や数式を使って力やエネルギーの働きを表現し、頭の中で想像して理解している。だが、そもそも用語や数式が理解できなければ、それらの働きを想像することはできない。物理学が苦手な人には、用語や数式が表している「目に見えないもの」を理解するのが、本当に難しい。

理科の先生が物理学を教えるときに苦労する点も、まさにそこにあるのだと思う。中学や高校で、物理学にまったく興味のない生徒に教えるのは大変だ。用語や数式だけを並べて説明しても、興味がない生徒は、それが意味している概念を想像しようとすらしない。力やエネルギーは目に見えないから、それが存在すると言われてもなかなか信じられないのだ。信じられないものには、興味をもたない。興味をもたなければ、想像しない。つまらないから、授業中にスマートフォンで友だちとメッセージをやり取りして退屈を紛らわす。文字の入力や通信を裏で支えている技術が、物理学を応用して生まれたものだということも知らずに。

そんな生徒たちを何とか振り向かせようと、先生たちはあっと驚く実験を考え出し、ときどき授業で披露して、物理学に興味をもたせようとする。でも、授業で実験ばかりしているわけにはいかない。受験のためには理論も教えなければならないし、毎回実験をしていたら先生の体がもたないからだ。

大学で物理学専攻の学生に教えるのなら、まだいいだろう。学生たちはみずから選択して物理学を勉強しにきたわけだから、少なくとも物理学に興味をもっている。興味があれば、難しくても、想像力を目いっぱい働かせて教授の話に耳を傾け、専門書を読み込んで、なんとか理解しようと努力する。大事なのは「興味がある」という点。目に見えないものに興味をもたせるのが一苦労なのだ。

本書の著者であるバリー・パーカーも、苦労したのかもしれない。次世代の物理学者を育てるためには、物理学に興味をもつ学生を増やさなければならない。どうすれば興味をもってもらえるのかと考えた末に行き着いたのが、戦争と物理学を組み合わせるというアイデアだったのだろう。

これが化学や生物学ではうまくいかない。化学や生物学を通して戦争を語ろうとすると、取り上げられる話題や時代の幅が狭くなり、一冊の本として成り立たせるのはなかなか難しい。その点、物理学を通して語れば、古代の弓矢からハイテクを駆使した現代の兵器まで、戦争のさまざまな側面を一冊の本に盛り込める。

「科学知識の普及の一助となるよう願っている」と著者が序文に書いているように、本書の対象はあくまでも「科学者でない人々」だ。説明に際して数式はあまり使われていないし、数式が登場する部分は「読み飛ばしてもかまわない」とまで書かれている。

本の中では、教壇に立つ先生のように実験を披露することはできない。そこで、読者に興味をもってもらうために著者が採り入れたのが、「ストーリーを盛り込む」という手法だ。だから冒頭の「カデシュの戦い」の物語を読み始めると、物理学に関する本というよりも、まるで歴史書を読んでいるかのような感覚を抱く。ストーリーを通じて読者を物理学の世界に引き込もうという作戦だ。

中世以前には物理学という学問が確立されていなかったこともあって、古代や中世の戦争について取り上げた前半の章では、ストーリーと物理学が切り離されているような印象を受ける。しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチやガリレオが登場する第6章あたりから、両者がだんだん交じり合ってきて、原子爆弾の開発に関する第17章に入ると、主役が物理学者になり、ストーリーと物理学が完全に融合している。序文の冒頭で「戦争の物理学にまつわる本を書いている」という著者に対し、友人が「原子爆弾のことだね」と答える場面が紹介されているが、そのエピソードが示すように、原爆の開発は物理学が戦争に利用された典型的な例だと考えられているのだろう。だからこそ著者は、物理学が「人類のより良い生活のためにも数多く活用されているということも、知っておいてほしい」と付け加えている。

数多くのストーリーを盛り込んで「科学者でない人々」を物理学の世界へ誘おうという著者の作戦は、どの程度成功するだろうか。それは読者一人ひとりの判断に委ねるしかないが、私が本書の翻訳を通じて感じたのは、「戦争の物理学」というテーマだけで一冊の本が書けるほど、物理学が人類の営みと深くかかわっているということだ。

2014年のノーベル物理学賞が青色LEDの開発に貢献した三人に授与されたことからもわかるように、私たちの身の回りには物理学を応用した製品があふれ、もはやそれなしでは生活できない。今後も同じような生活を送るためには、そうした製品を開発できる技術者の育成が欠かせない。誰もが物理学への興味を失ってしまったら、そのうち生活に必要な製品を開発できる技術者がいなくなってしまう。製品の開発さえもコンピューター任せになるかもしれない。そうなると、だんだん人間が製品を制御できなくなり、人間が製品に制御されてしまう時代が来るのではないか。考えすぎかもしれないが、そんな事態に陥らないよう、科学知識を次世代へ継承することは大切であるし、私のように製品を使うほうの人間も、製品に操られる立場にならないよう、ある程度の知識を身につけておいたほうがよさそうだ。

スマートフォンを使ったり飛行機で旅をしたりするために物理学を理解する必要はないのだが、それらを動かしている目に見えない力やエネルギーをときどき頭に思い描いてみることは、コンピューターへの依存度が高まっている現代に思考能力を低下させないためにも、大事なことであるように思う。

2016年1月 藤原 多伽夫 

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