自民党が大敗して政権を失った2009年夏の総選挙。その直後から2013年夏の参議院選挙で政権を完全に奪還するまで、自民党の情報戦略の「参謀役」を務めた人物が1461日間にわたる活動を振り返った1冊である。
本書に書かれている野党時代の自民党の情報分析活動の内実は「一度として明らかになったことはない」という。「カネ」や「情実」といったイメージがつきまとう政治の世界にも、年々進歩するデータ分析の波は押し寄せている。
大量のデータを分析することによって、世の中に何となく漂っているムードのようなものが可視化される。報道の中で政治はどれほど扱われているのか、その中での自民党の露出度はどれほどのものか、今一番露出度の高い政治トピックは何なのか。分析結果は、争点化させる話題の選択から、政党CMの内容、選挙での戦い方に至るまで様々な事柄に影響を及ぼす。
著者らは情報を「一発屋」タイプと「ロングヒット」タイプの2つに分けて考えていたという。野党時代の2010年でいえば「事業仕訳け」や「小沢一郎・カネ疑惑」はピークが明確で、短期的には爆発的な注目を集めるものの、しばらくすると報道量は激減する。一方、数ヶ月ほどの長いスパンで見ると、累計で最大の露出量を記録していたのは急激な上昇も下降も見られない「普天間基地移設問題」であった。
「問題への関心が枯れにくい部分へ食いつくべきです。つまり、普天間です」。「うむ、やはり普天間なのか」。3月下旬ごろ情報分析会議ではそんな会話がなされていた。
民主党与党時の政治報道分析からは、「悪名は無名に勝る」傾向が浮かび上がってきたそうだ。民主党に関する報道をポジティブなものとネガティブなものに分けて見た場合、実に97.4%が「ネガティブ報道」であることが分かった。この結果を元に「相手の悪名に寄りかかって、相手のダメな点を徹底的に追求する」作戦に出ると、自民党の露出量は向上した。ネガティブ・キャンペーンには、相手を貶めるという以前に露出向上策としての側面がある。
読みながら政治の舞台での言動の裏にある意図が見えてくるのが面白い。本書の内容を踏まえて政治ニュースに触れると、読む前とはまた違った見え方をしてくるだろう。
自民党の政治活動に少なからず影響を及ぼしてきたデータ分析だが、それを支えるのは泥臭い作業の積み重ねだ。著者が取締役を務めるエム・データ社の場合、100名ほどの社員が1日8時間の3交代制勤務でリアルタイムにテレビを視聴し、番組名や放送日時、会話やテロップ、出演者名などをテキストにして次々と打ち込んでいたという。
人力でやることなのかと疑問は当然湧いてくるが、アナログなやり方の方が現状では優れている。例えば「和太鼓を叩いている」場面の映像を見て、それがお祭りなのコンサートなのか、スポーツの応援なのかといった判別をするのは人間の方が得意であり、コストの面でもメリットがある。
一方でネット上のデータについては「いつ」「誰が」「何を主題に」書いたのかといった様々な情報を自動的に取り込んでいたそうだ。2009年当時で「35億ページ分」と言われていた日本語の書き込みページをすべて集め、毎日データの蓄積量を増やしていたというから途方もないスケールである。
「データ分析」と書くと何やらスマートだが、本書から一貫して伝わってくるのは活動の地道さだ。分析手法も最初から完成されていたわけではなく、4年の歳月を経て徐々に確立されていった。クライアントが政治家ということもあり、報告事項の絞込みや情報共有の方法など、分析以外の場面でも試行錯誤が繰り返されていた様子が伺える。
そうした局面の数々が、「中の人」として関わってきた実感とともに書かれている。情報戦略会議の風景や、連携が深まるにつれて変わる議員との関係性など、分析以外の内容にも引き込まれる。単なる仕事の紹介でもなければ、「データでこんなことが分かる」という豆知識の寄せ集めでもない。政権奪還までの道のりがドキュメントのように描かれている。冷静な文章の隙間からは、興奮が滲み出ていた。あとがきの最後の一文に、すべてが凝縮されているような気がする。
「野党時代の自民党と働いた4年間は、掛け値なしにおもしろかった!」
そんな「奮闘記」として、または成功した「情報戦略の1ケース」としても読める本書だが、1人の「有権者」という立場で読むとまた異なった読後感がある。本書の舞台である時期からはすでに3年以上が経った。今後も分析の対象は広がり、精度も向上し続けるのは間違いない。「報道」や「世論調査」といった大々的な形式ではなくとも個人レベルで無数の意見が発信されているし、さらには「何も言わない」ことすら分析結果に関わってくる。
情報戦略の内実を知れば知るほど印象付けられるのは、「政治」「マスメディア」「有権者」の関係性の変化である。三者を結びつけているのは「情報」だ。その扱い方が多様化し、やりとりが双方向的になっていくほど、両端の距離は近づき、媒介者の役割も変わってくる。
こうした双方向性というのは正直、言い古された話だろう。だが、政治側の視点からそれが映し出されたことは少ないかもしれない。(無自覚なものも含めて)人々の「発信」が活発化すると同時に、政治側の「受信」も発達が進んでいる。「発信」の方にばかり注目している限り、そのことは意識しづらい。
本書で書かれているのは、情報の「受信者」としての政治である。その存在に思い至ることで、思わぬところで「発信者」となっている自分自身にも気がつく。変化をどう捉えるかは人さまざまなところだが、現状を知っておくことに損はないだろう。