『プライベートバンカー カネ守りと新富裕層』これは格差拡大が生み出す、人類社会の未来の姿なのか?

堀内 勉2016年09月12日 印刷向け表示
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プライベートバンカー カネ守りと新富裕層
作者:清武 英利
出版社:講談社
発売日:2016-07-13
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とてもおかしな連想かも知れないが、本書を読んで映画「ロード・オブ・ザ・リング」を思い出した。実際に見た方も多いと思うが、この映画は闇の冥王サウロンが自らの残忍さ、邪悪さ、そして生きるもの全てを支配したいという欲望を注ぎ込んだ、世界を滅ぼす魔力を秘めたひとつの指輪を巡る壮大なドラマである。

邪悪なものだと知りながらも、一度サウロンの指輪を手にすると、その怪しげな魅力に取り憑かれ、迷宮の闇に転落してしまう。それは、本書に登場する、数十億円というおカネを守るために日本を捨ててシンガポールへ逃れ、人生そのものを見失ってしまった一部の富裕層の姿とオーバーラップする。

今や大前研一の指摘する、主権国を離れた「ホームレスマネー」は世界全体のGDP(約7千兆円)に匹敵する規模にまで膨れ上がり、また『21世紀の資本』のトマ・ピケティが指摘するように、世界全体の純資産の1割弱(数十兆円)がタックスヘイブン(租税回避地)の闇に消えていると言われているが、それは実際に、昨年暴露された「パナマ文書」などによっても証明されつつある。現実世界においても、世界を滅ぼす魔力を持った「マネー」という「サウロンの指輪」が、人々の人生を弄んでいるのである。

本書は、こうした富裕層を巡る人間ドラマが、シンガポールというオフショア金融センターを活用した節税スキーム、或いは脱税とも言えるような際どい取引や、そこに絡む「カネの傭兵」としてのプライベートバンカーの仕事の解説と絡み合い、一種、フィクションであるかのようなノンフィクションに仕上がっている、不思議なドキュメンタリーである。

ここに主人公として登場する野村證券出身のプライベートバンカー杉山智一(実名)の人生を中心にストーリーが組み立てられていながら、オフショア(課税優遇地)やタックスヘイブン(租税回避地)の仕組みについても学べるという点では、現実の経済問題を絡めながら、バイアウトファンドを運用する元銀行員の鷲津政彦の人生を軸に物語が展開される、真山仁の経済小説『ハゲタカ』を連想させるものがある。

ネタバレにならぬよう少しだけ内容に触れると、野村證券、三井住友銀行、仏系信託銀行で超富裕層向けビジネスを担当してきたドメスティックな証券マンの杉山智一が、シンガポール銀行(BOS)からヘッドハントされてシンガポールに渡り、日本人富裕層を相手に様々な経験を経て、一人前のプライベートバンカーに成長していくというストーリー仕立てになっている。

因みに、杉山が在籍したBOS(Bank of Singapore)は、DBS、UOBと並ぶシンガポール3大銀行のひとつであるOCBC(華僑銀行)を親会社とする銀行で、2009年にOCBCが買収したオランダのINGプライベートバンクが名前を変えたものである。

殆どの登場人物は実名で登場するが、仮名で登場する数少ない人物の一人が、桜井剛という杉山と同じ野村證券出身でBOSのジャパンデスクのヘッドを務めた人物である。桜井は部下の梅田専太郎(実名)が2013年に起こした詐欺事件に絡んでBOSを去ることになり、今は正式な金融ライセンスを持たないまま、日本とシンガポールを股にかけた金融コンサルタントをやっているらしい。

私自身もちょうど一年前、シンガポールの富裕層の日本不動産への関心を探るためにシンガポールを訪れ、ここに登場するような富裕層や、桜井の後任者やそれを取り巻くプライベートバンカー達の実際の姿に触れてきた。そうした中で、桜井のような一匹狼の金融コンサルタントの噂は何度も耳にした。

今、ちょうど民進党の蓮舫議員の二重国籍問題が話題になっているが、我々一般の日本人には、国籍を選ぶとか海外の永住権を取るとかいうのは、遠い海の向こうの出来事のように感じる。しかしながら、実際には高税率国家の日本を捨て、シンガポールや香港に逃れる日本人富裕層の数は激増しているのである。それも、アメリカの富裕層のように数百億円・数千億円という資産レベルではなく、数十億円というレベルでである。

その背景として何と言っても大きいのは日本の過大な相続税負担である。所得税を払った後に残った資産が、相続の段階でもう一度課税されるというのは、ある意味で非常に不合理な制度であり、例えばスウェーデンやノルウェーのような典型的な高福祉・高負担国家であっても、相続税は課されていないのである。まして、香港やシンガポールのようなオフショアにおいては当然である。しかも日本の税当局は、国民の持つ1,700兆円の金融資産に目をつけ、今後、特に富裕層を対象とした相続税と所得税の引き上げによる税収の拡大を狙っている。

このように、「国を捨てるか否か」の決断はある意味で個々人の価値観の問題であり、その是非を問うことはできないが、本書にあるように、富裕層は高い所得税と相続税から逃れるために海外へ脱出し、その他大勢だけが国内に止まるという流れに歯止めがかからなければ、どこかの時点で国が国民の最低限の生活を保障することは難しくなるだろう。そして、これがマット・デイモン主演の映画「エリジウム」の中で映像化された、グローバリゼーションによる格差拡大が生み出す、人類社会の未来の姿なのかも知れない。

それにしてもこの本で驚くべきなのは、登場人物の殆どが実名で出てくることである。これを読んだ国税庁が実態調査に乗り出す可能性もあると思うのだが、それにも関わらず、ここに登場する人々の多くがかなり突っ込んだ取材に実名で応じており、著者の取材力には驚嘆せざるを得ない。

清武英利という著者の名前に記憶のある人もいると思うが、実は、読売新聞社会部記者から巨人軍球団代表に転じ、2011年に本社との経営方針の対立から代表を解任されたあの有名な人物なのである。ナベツネ(渡邉恒雄)と真っ向から対立するほどのガッツを持っているだけに、恐らくその取材力も桁外れなのだろう。 

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