表紙に、Mistletoeファウンダーで本書を監修している孫泰蔵氏の、「ドヤ顔でエストニアに行ったら、浦島太郎だった」という言葉があるが、本書の内容を思いきり短くまとめれば、そういうことだと思う。
日本と同じような課題を抱えながら、ブロックチェーン技術を活用して、ほぼ100%の電子政府を実現し、ユニコーンと呼ばれる評価額10億ドル以上のベンチャー企業を次々と排出するエストニアに比べれば、今や日本全体が浦島太郎状態なのである。
先日のJIC(産業革新投資機構)の取締役退陣劇や日産会長の逮捕劇に見られるように、もはや日本は資本主義のゲームでは周回遅れの国である。それでは、それに代わる新しい社会像を提示できているかと言えばそれもない。
シンガポール、イスラエル、中国の深センなど、世界ではシリコンバレーのモデルをにらみながら、独自に新しい企業や産業を生み出す仕組み作りに取り組んでいる。その中でも、バルト三国のひとつであるエストニアは、1991年に旧ソビエト連邦から独立した後にIT立国を掲げて電子政府を実現させた、「未来をダントツに先取りしている」国である。
エストニアは、これまで資本主義先進国のアメリカが提示してきた社会とは異なる価値観を提示している。2018年に建国100周年を迎えたエストニアは、次の100年をどう考えているかという質問に対して、ケルスティ・カリユライド大統領は、次のように答えている。
20世紀と比較しても、21世紀は大きく変わりました。100年前は馬車が当たり前のように使われ、それが時代遅れとなりました。デジタル化は、前述したように非常に急速な勢いで進展しています。そのため、100年後に何が起こるかは誰も予測できないと思います。ただその中でも、人権を守り、民主的な社会を発展させていくことが重要だと考えています。そのためにも、テクノロジーの変化に適応していかなければなりません。
こうしたエストニアが目指しているのは、ひと言でいえば、「ヒューマン・オートノミー(Human Autonomy)」という言葉で表現される、「人々が自由に生きられる社会」である。ここには、「人は好きな時に、好きな所で生活し、働き、学び、友に出会い、子を育て、人生を楽しむことができる」という意味が込められている。
他方、少子高齢化や低成長経済、硬直化した社会構造に教育改革の遅れなど、日本では若者を中心に強い閉塞感が漂っており、将来への暗いイメージがチャレンジする意欲を失わせている。こうした日本の現状に対して、孫泰蔵氏は、「そんな予想のできる未来や楽しみのない未来を描いてみても、つまらなくはないでしょうか?」と問いかける。
それでは、日本にとっての「つまらなくない未来」とは何なのか、そして新たな時代を我々はどう生き抜いていけば良いのだろうか。エストニアでの現地取材を通じて、著者の小島健志氏が見た現実は、正に衝撃的であった。それは、①政府のデジタル化、②国民のデジタル化、③産業のデジタル化、④教育のデジタル化、など多岐にわたっており、とりわけ世界的にもユニークなのが、「e-Estonia(イーエストニア)」と呼ばれる電子政府の存在である。
エストニアでは、行政サービスの99%が年中無休で利用できる。そして、それを可能にしたのが、中央集権型の巨大なデータベースを持たない、「X-road(エックスロード)」という分散型データ管理システムによる、通信会社や金融機関などの民間企業のデータベースとの接続である。こうしたデータを保護するためには、セキュリティーにブロックチェーン技術が活用されている。
エストニア政府は、紙の書類を廃止し、電子署名を用いることで、大量の紙とサインによる決裁プロセスを省いた。2000年には閣議の電子化も行われ、分厚い紙の資料を用いて議事を進めることもなくなった。従って、エストニアでは、日本の財務省幹部が起こした公文書改ざん問題のようなことは起こり得ない。
エストニアの電子政府の仕組みからは、「個人に関わるデータは個人がコントロールする」という「データの個人主権」の強い意志が見て取れる。現地でインタビューしたエストニア政府元高官は、「日本は『マイナンバー』ではなく『ユアナンバー』ではないか」と指摘する。つまり、「政府が国民の情報をコントロールしたいがための制度であり、現状、国民にとって利便性のある制度になっていない。政府にとっての『マイナンバー』であり、国民にとっての『マイナンバー』になっていない」のではないかというのである。
このように、電子政府化を実現したエストニアには、「デジタルノマド(遊牧民)」や「グローバルフリーランサー」と呼ばれるハイレベルな人材が世界中から集まり、社会に大きな変化をもたらしつつある。エストニア政府は、2014年末から、「イーレジデンシー(e-Residency)」を開始した。これは、政府が外国人を「仮想住民」として認め、エストニアにいなくても仮想居住権を与える制度で、今、世界のトップ人材がイーレジデンシーを次々と取得しており、日本でもすでに2,000人近くがエストニアの仮想住民となっている。
来るべきデジタル社会においては、ビジネスに国境はない。国境という束縛から解き放ち、合法かつ透明性を持って、エストニア政府がグローバルに活躍する人材に自由を与える。それがイーレジデンシーなのである。
2019年には、「デジタルノマド・ビザ」というビザ(査証)も発行する予定である。これが実現すれば、エストニア内を最長365日間、EU内の26地域を最長90日間旅行できるようになる。エストニアを拠点に1年間、合法的に欧州で旅をしながら仕事ができるようになる。
また、エストニアでは、オンラインで法人が設立できる。エストニアはEU加盟国であり、ここで法人を設立すれば、5億人の市場に参入でき、日本にいながらにしてグローバル企業を運営することができるのである。勿論、税率を下げて外資にペーパーカンパニーの設立を促す「租税回避地(タックスヘイブン)」となることを目指しているわけではなく、エストニアが狙うのは、ITを利用した産業の育成であり、国境を越えてグローバルに活躍する頭脳を集めることである。
2017年時点で、アメリカのフリーランサーは、労働力人口の36%に当たる5,730万人いるという調査がある。日本でも、副業・兼業を含む広義のフリーランサーは、労働力人口の17%に当たる1,119万人と推計されている。つまり、日米だけで約6,850万人のフリーランサーがいるのである。
更に、170か国のフリーランサー21,000人に対して行った調査では、その分布は、ヨーロッパが35%、アジアが28%、ラテンアメリカが21%、アフリカが10%であり、北米はわずか4%に過ぎない。仮に北米で5,000万人のフリーランサーがいるとして、この比率から割り戻せば、世界には10億人規模のフリーランサーがいることになる。
エストニアのイーレジデンシーチームの推計では、2020年までに国境をまたいで活動するグローバルなフリーランサーは1億人規模に達するとされているが、これはあながち大袈裟な数字とは言えないのである。
今、世界中で移民問題が取りざたされているが、エストニアの国民の中にも、見知らぬ人々がやってくることへの不安を持っている人はいて、必ずしも移民が歓迎されているわけではない。これに対して、イーレジデンシーは実際にそこに住む必要のない制度であり、「グローバルを目指しながら、一方でローカルな心地よさを守るという、両方を達成するためのアイデア」ということができる。
こうした現地取材を通して、本書では、日本が「つまらなくない未来」を描くためのキーポイントを、①「主体性を持って生きる」マインドセットを持つこと、②どこでも働ける新しい「働き方」を身につけること、③コミュニティーの中でともに成長すること、④アンラーンして常に学び直すこと、の4つにまとめている。
特に、最後の「アンラーニング(unlearning)」については、「人生100年時代」と言われる中で、今、リカレント(生涯)教育が脚光を浴びている。「いま最も必要なのは、このアンラーニングです。自分の中に巣くう惰性、成功体験、常識をアンラーンして、まっさらな状態で新しく学ぶべきなのです」と孫泰蔵氏が指摘するように、過去の成功体験や固定観念を自ら捨てて新しい環境に適応しなければならないのである。
日本の社会人向けの教育市場も、リカレント教育で盛り上がっているが、その多くは現在の教育の延長線上にあり、これからの時代にふさわしいのかという疑問が残る。むしろ、「食うに困らない資格を取ろう」だとか、「学生時代に学び損ねた授業を勉強したい」というものに終わりかねない。本当に必要なのは、コンピューターのOS(オペレーションシステム)をアップデートするように、最小限の情報や考え方の枠組みだけ残し、新たな考え方や情報を取り入れることなのである。
本書は次の言葉で締めくくられている。
日本は平成が間もなく終わり、東京五輪を迎える。ここから、日本経済は大きな変化を遂げていくだろう。労働市場は若手を中心に人材不足が続き、消費は2023年に世帯総数のピークを迎え、ミレニアル世代が消費の主役へと変わっていく。より高速な通信環境5Gが社会に整備され、AI・ロボット、ブロックチェーン、ゲノム革命が進展する。世界との境界線もあいまいになり、もはや昭和・平成の成功方程式は通じなくなるだろう。そんな非連続的な未来社会を生き抜く方々に、これから未来社会をつくっていく方々に、時代の先を行くエストニアの現場から、次なる時代を面白くするヒントをお伝えしたいと思った。「つまらなくない未来」は目の前に広がっているはずである。
エストニアは人口が約130万人と非常に少ないとか、周りの強国から国土を侵略されてきた歴史の繰り返しで、国民が土地に対する強いこだわりを持っていないとか、日本とは異なる様々な条件を備えており、その仕組みがそのまま日本に適用できる訳ではない。
しかしながら、サイズがエストニア規模の地方自治体であれば、十分に適用可能である。特に、財政難にあえぐ自治体が電子政府化すれば、よりインパクトは大きい。大胆な変化を求めるには、日本政府はあまりにも大きすぎで、むしろ地方からの方が、本当の意味で日本を変えられる可能性がある。そうした意味で、本書は、これからの日本という国のあり方に大きな示唆を与えてくれる啓発の書といえるだろう。