『経済学はどのように世界を歪めたのか』経済学はなぜリーマンショックを予見できなかったのか?

堀内 勉2019年10月03日 印刷向け表示
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経済学はどのように世界を歪めたのか 経済ポピュリズムの時代
作者:森田 長太郎
出版社:ダイヤモンド社
発売日:2019-09-05
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金融界の人が書く経済の本は余りにも人間や社会の視点が欠けていて、しかも限定された場での理論的整合性を失わないために、専門分野以外のことは自分の守備範囲ではないとして、それ以上の対話を拒むような自己完結したものが多く、それだと現実の世界に照らし合わせて読むことはとてもできないが、本書は秀逸だった。

「近代経済学の父」と呼ばれるアダム・スミスは、市場の調整機能を「(神の)見えざる手」という言葉で表した『国富論』で有名だが、本書は、人間の共感力が道徳感情を生むメカニズムを解明した『道徳感情論』からスタートしており、しっかりと「人間」に焦点を当てている。その上で、主流派経済学の説明を軸に、行動経済学や神経経済学といった最新の動向までカバーしているので、新しい学びがとても多かった。

「社会的共通資本」で有名な経済学者・宇沢弘文の『経済学は人びとを幸福にできるか』の中には、文化功労者に選ばれて宮中で昭和天皇に経済学をご進講した際に、天皇から「君!君は、経済というけど、人間の心が大事だと言いたいのだね」というお言葉を賜ったエピソードを披露しているが、本書にはこうした視点が貫かれており、とても納得感があった。

そうした意味で、著者は、経済学はもっと歴史学的な視点を持った上で、より幅の広い学際的な発展を遂げるべきだと主張する。

著者自身がそうであったように、経済学部に入学したほとんどの大学生は、そこで教わる「消費者の効用」や「合理的期待」という概念について、「消費者の効用は自分には該当するのだろうか?」「自分は本当に合理的期待なんて持っているのだろうか?」といった「もやもやした感覚」を覚えつつ卒業して社会に出ていく。

しかしながら、そうしたもやもや感は当然だと著者は言う。なぜなら、新古典派経済学を起点とする主流派経済学は、「合理的経済人による合理的期待形成」という非現実的な仮定をスタートにして、「経済のメカニズムはこのようなものであるはずだ」という演繹的手法で理論構築していくことによって、現実の経済成長や景気循環のメカニズムを説明しようという空想的な試みに過ぎないからである。

こうした経済モデルによって導き出される説明は、経済の実験室の中でだけ起こり得ることであり、前提となっている非現実的な仮定に反する事象が起きると、それは予測できないショックだったとされてしまう。その意味では、「予測できることは100%予測できるが、予測できないことは100%予測できない」という、一種居直った論理がその根底にある。これは、新古典派経済学の基本概念である「均衡」という世界を想定する限り必然的な到達点であり、経済学者たちがリーマン危機を予測できなかったのは当然だったというのである。

著者によれば、1950年代にケネス・アローらが数学的に証明した「一般均衡理論」が成立する市場があるとすれば、それは、「集中」「透明性」「システム化」という3つの特徴を備えている、証券取引所における株式取引など、人工的に作られ管理された「新しい市場」をおいて他にはない。こうした市場であれば、自然科学的な分析手法との親和性は高いと言えるが、その「新しい市場」と親和性の高かった分析手法をマクロ経済の分析にも適用することが今の経済学の大きな流れになってしまった。

しかしながら、こうした経済モデルが一歩実験室の外に出たら、将来予測に関してほとんど使いものにならないことは、2008年のリーマン危機を経験するまでもなく明らかであり、マクロ経済モデルが「これまで不可能だった将来予測を正しくできるようになった」という幻想を振りまくことは厳に慎むべきであるというのが著者の主張である。

リーマン破綻直後の2008年11月5日、エリザベス女王がロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの新校舎落成式に出席した際に、経済学者たちに、「経済学者はなぜこんな事態を予測できなかったのですか?」という素朴な質問をしたと言われている。

この発言は、当時の社会全般における金融業界及びその背後にいた経済学者たちに対する批判的な見方を代弁するものとしてしばしば引用されるが、経済モデルが現実の経済を正しく予測できない本質的な理由は、理論としての新古典派経済学や現代の主流派経済学が分析対象としているデータや事象は全て限定された過去のものであり、本質的には歴史学研究と同質のものだからである。つまり、我々が経済的現象として分析しているのは、わずか過去数百年間に起きた偶然性と特殊性に満ちた歴史的事象に過ぎないということを認識すべきだということである。

近年、行動経済学の立場からは、人間の行動は必ずしも合理的ではないとして、主流派経済学の前提となっている多くの仮定に対して批判がなされており、例えば実験経済学の分野では、行動経済学が発見した人間の非合理的な行動を前提としつつ、主流派経済学のモデルを修正していこうという動きがある。

しかしながら、限定的かつ観念的な形でしか存在しない過去の情報を分析するためには、経済学はより学際的、横断的な発展を遂げる必要があり、数値化されにくい社会全体の安定や持続性といったものについて解明を進めていくことも、経済学に残された重要な課題だとして、著者は次のように本書を締めくくっている。

「1980年代を中心とした時期に、経済学をはじめとする多くの社会科学、あるいは一部の学際的な自然科学分野は、合理主義的思考の極限に達しつつあった。全ての社会現象は合理的思考あるいは科学的思考によって解明が可能だというある種の「神話」が生まれたのが1980年代の頃であった。しかし、その時代に予言されたことの多くは、2000年代以降、少なからず現実によって裏切られつつある。・・・「サイレント・マジョリティ」という存在の増大が社会の構造を大きく変えつつあり、官僚機構に対する強力な批判、さらには中央銀行をも仮想敵に擬するような潮流が起こってきた。これこそが、1990年代以降徐々に姿を現し始め、先進国では2000年前後の日本で最初に顕在化し、2010年前後の欧米先進国において一段と鮮明な形で社会の中に可視化されてきた大きな構造変化の根本にあるものである。・・・インフレ率さえ引き上げれば現代日本の直面する課題は全て解決するかのようなイリュージョンを流布あるいは支持した主流派経済学のコンセンサスは、こういった視点を完全に欠いていると言わざるを得ないだろう。」

著者の考えには完全に同意した上で、とても難しい課題ではあるが、次回作では是非、その先にある新しい経済社会の姿を提示してもらいたいと思う。

なぜなら、リーマンショック後に拡大した各国の公的債務、それに伴う巨大なグローバルマネーのうねり、米中の覇権争いと貿易戦争、英国のEU離脱問題など、我々の眼前には、リーマンショックを更に上回る大きな金融危機と経済危機が待ち構えているからである。

アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書)
作者:堂目 卓生
出版社:中央公論新社
発売日:2008-03-01
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