『医者は患者をこう診ている 10分間の診察で医師が考えていること』 訳者あとがき

河出書房新社2017年06月18日 印刷向け表示
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医者は患者をこう診ている: 10分間の診察で医師が考えていること
作者:グレアム・イーストン 翻訳:栗木 さつき
出版社:河出書房新社
発売日:2017-06-14
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本書はイギリスのGP(general practitioner)、グレアム・イーストン医師の著作『The Appointment』の日本語版である。原書の内容に加えて、日本とは異なるイギリスの医療制度やそこで活躍するGPについての解説文「日本の読者のみなさまに」が付いており、日本語版のために本文中にも若干の加筆がしてある。

グレアム・イーストン医師は私の友人なので、以下、いつものように親しみを込めてファーストネームを使わせていただくが、私がグレアムに最初に会ったのは、私が「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)」の編集委員をしていた頃で、2000年代に入って数年が経っていたと思う。当時彼はBMJの編集主幹の一人で、ロンドンでの編集委員会や彼がBMJを広めるために参加していた世界家庭医機構(WONCA)の国際学会で何度も顔を合わせている。「日本の読者のみなさまに」の冒頭に書かれている彼の初来日の時も記憶している。彼の優しく大きな包容力を感じさせる風貌、そして親しみやすさと思慮深さの両者をバランス良く備えた話し方と聴き方は、GPとして大きな魅力だ。

グレアムはGPとしての診療も続けながら、インペリアル・カレッジ・ロンドン医学部で研究と教育にも携わるアカデミックGPである。ジャーナリズムにも造詣が深く、プライマリ・ケア分野の学術雑誌の編集のほか、BBCなど公共性の高い一般向けメディアでも仕事をしている。

本書の英語の表題は『The Appointment』で、appointmentとは「予約」のことである。イギリスのGPは通常一件あたり10分の枠で「予約」診療をしており、本書がある日の午前中にグレアムが診たという設定で、18人の患者さんについての「予約」診療の記述から成り立っていることにちなんでいるのだろう。本書には、彼がそれぞれの患者さんの抱える問題をどのように聴き、何を考え、どのように問題を扱っていくのかが時間の経過とともに詳しく語られている。

グレアムがGPとして、また一人の人間として、一方で科学的な視点で多くの臨床研究のエビデンスや診療ガイドラインを念頭に置いて合理的な判断をしつつも、他方で患者さんたちの置かれた状況に注意と敬意を払い、彼らの意向にできるだけ寄り添う努力をしながら共通の理解基盤を見出して診断や治療の計画を決めていく(これを「共同意思決定」と呼ぶ)姿が描かれる。また、日本の医師と比較してはるかに「医療は公共財である」ことを意識しているイギリスのGPとして、限られた人・もの・金・時間といった資源をどのように効率的に(費用対効果に優れているという意味)、問題の優先度に応じて配分するかに苦慮する様子も率直に語られている。診療中に彼の心に沸き起こる様々な感情や葛藤も、たとえそれがネガティブなものであっても正直に伝えている。

残念ながら、私は実際にグレアムが診療しているところを見たことはないが、本書で語られるグレアムの丁寧で質の高い診療には大いに関心させられる。さらに、私自身もGPなので、本書を読んでいると、随所で「あ、これはよく理解できる」「確かにこういう患者さんがいるよ」「そうそう、今日本でもこれが問題だ」「ここで不確かさに耐えないとね」などと膝を叩いて納得してしまうリアリティーがある。

さてここで、GPという日本にはまだ馴染みが少ない医師について解説しておこう。GPとはプライマリ・ケアの専門医である。プライマリ・ケアを定義すると、「日常よく遭遇する病気や健康問題の大部分を患者中心に解決するだけでなく、医療・介護の適正利用や予防、健康維持・増進においても利用者との継続したパートナーシップを築きながら、地域内外の各種サービスと連携する調整のハブ機能を持ち、家族と地域の実情と効率性(優れた費用対効果)を考慮して提供される包括的な医療保健サービス」となるが、簡単に言うと「身近にあって、あなたとあなたの家族のために何でも相談に乗ってくれる総合的な医療保健サービス」ということである。

過去20年ほどの間に、世界の多くの国々で、このようなプライマリ・ケアの重要性が理解され、そこで働くユニークな専門医の役割が明確になってきた。WHO(世界保健機関)、OECD(経済協力開発機構)などの国際機関も、地球規模の健康の達成のために、プラマリ・ケアの整備を重要課題として取り組んでいる。プライマリ・ケアの専門医の名称としては、GPの他には家庭医(family doctor/family physician)と呼んでいる国々も多い。専門とする学問分野の名称は家庭医療学(family medicine)という。ある限られた疾患群・臓器系や手技・検査などに特化した他の専門家(スペシャリスト)とは対照的に、守備範囲の広さに加え心理社会的側面も加えた重層的な総合性を特徴としているので「メディカル・ジェネラリスト」と呼ばれることもある。

日本では、病気や健康への不安があると高度先進機器を備えた大病院を受診する傾向が強い。でもそこで働く医師はあなたやあなたの家族のことをよく知らない。あなたもそこでどのような診療が行なわれるのかよく知らない。多くの検査や処方がされると安心したくなるが、それらが本当に必要なのかもそれらに害がないかもよくわからない。

「かかりつけ医がいるから大丈夫」という人もいるかもしれない。しかし、日本では自分の持つ複数の疾患や臓器ごとに「かかりつけ医」がいる場合も少なくないし、専門医療の病院や高度先進医療の大病院での医療(二次医療・三次医療と呼ぶ)のやり方をそのまま引きずって「かかりつけ医」と称している医師もいる。そもそも「かかりつけ医」自体の定義は曖昧で、GPのように高いレベルの標準的な専門研修を経て「かかりつけ医」になっている医師は日本ではまだごく少数である。

本書で書かれている程度の診療が、国民が安心して安全に利用できる「かかりつけ医」の世界標準レベルと言える。重要なのは、それがあるまとまった専門研修を経て獲得できる臨床能力だということである。それは限られた名医にしかできないものではなく、標準的な専門研修を修了して専門試験に合格し、その後も生涯教育を継続することでほとんどの医師に獲得・維持可能なものである。

だが残念ながら、日本ではまだ医療保健システムにおけるプライマリ・ケアの重要性や価値についての理解が進んでおらず、こうしたGPになるための標準的な専門研修が国の制度として整備されていない。日本専門医機構が「総合診療専門医」という名称で他の18の臨床基本領域の専門医とともに専門医制度導入を準備しているが、利害相反する医療界の足並みが揃わず、今後どうなるか未だ不確実である。この分野の医学会としては、私も理事を務める日本プライマリ・ケア連合学会があり、そこが認定する専門医(「家庭医療専門医」と称している)になるための後期研修プログラム(三年間)がイギリスのGPとほぼ同等の専門研修を提供している。2017年2月末現在で、全国に家庭医療専門医は581名、研修中の専攻医が571名いる。一刻も早くこの専門医制度が国を挙げて必修化されて、日本でもGPを目指すより多くの医学生・研修医が質の高い標準化された専門研修を受けることができ、日本のどの地域でも質の高い標準化されたプライマリ・ケアが利用できるようになってほしい。

なお、日本ではプライマリ・ケアの分野で様々な言葉が定義の曖昧なまま用いられてきた歴史がある。GPが行う診療はgeneral practiceと呼ばれるが、日本ではこれを直訳した「総合診療」を「総合内科(general medicine)」と混同している人が医療関係者の中にも結構多い。医療保健システムで役割を果たす場は、general practiceはプライマリ・ケア、総合内科は二次医療であり、両者は相補的ではあるが、異なった専門分野である。そのため、本書ではgeneral practiceの訳語として「家庭医療・総合診療」を使用してもらった。

世の中には医師を主人公にした書籍、テレビ番組、ドラマ、映画は山ほどあるけれど、ほとんどが稀な疾患や重症患者を治すスーパーマンのような医師が主人公である。本書のようにGPにスポットライトを当てた書籍は特に日本では極めて珍しい。でも、プライマリ・ケアが整備された多くの国々では医師の約半数はGPであり、日々の生活で通常市民が利用するのもGPである。約八割の問題がそこで解決される。質の高いGPがどこにでもいないと、健康を害したり病気が重くなったりする人が増えて、二次医療・三次医療がパンクしてしまうし国の財政も破綻する。GPにはこれからの医療保健制度改革で演ずる「要」の役割があることも理解して本書を読んでいただけると幸いである。

2017年4月 葛西龍樹 

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