差別、貧困、食肉、利権、金、そして『路地の子』

仲野 徹2017年06月19日 印刷向け表示
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路地の子
作者:上原 善広
出版社:新潮社
発売日:2017-06-16
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主人公は上原龍造。昭和24年に大阪南部の路地、一般的な言葉でいうところの被差別部落、に生まれた無名の人だ。子どもの頃から、出身路地である更池の人たちの仕事場であった「とば」で食肉の仕事に携わり、努力と決断力、そして、持ち前の度胸の良さと喧嘩の強さを活かし、同和利権を取り込みながら事業を拡大していった。その一代記が、息子であるノンフィクションライター上原善広によって丹念に綴られていく。

冒頭からトップスピードだ。まず、とばではいかにして牛を処分するかの説明で始まる。次は、とばで、中学校三年生の龍造が、十八歳の極道見習い武田剛三を牛刀で追い回すシーンだ。周囲の人が止めに入らなかったら、間違いなく斬りかかっていた。

殺すつもりでいかな舐められる

龍造の育ちと性格を頭に入れながら、優れたバイオレンス映画を見始めたかのごとく、ぐいぐいと引き込まれていく。

三歳で母に死なれた龍造は祖父母に育てられた。祖母は世知に長けた人で、極道にはなるな、覚醒剤はやるな、入れ墨はするな、と教え、龍造はそれを守った。欠席が多かったとはいうものの、私立中学校を出してもらった龍造ではあったが、子どものころから遊び場のひとつとして親しんだとばでの仕事に就く。

描かれているそのころの差別は、今の感覚ではまったく信じられないほどひどい。そんな世の中で、牛を屠り、枝肉を担ぎ、捌き続ける龍造。重労働であるだけでなく、かなりの技術を要する仕事であるが、熱心に仕事をこなし、28歳で独立して上原商店を旗揚げする。

役所へ独立資金の融資を頼みに行くと、解放同盟を通してでないと受け付けられないという。しかし、その代表は誰あろう、牛刀を手に追い回した宿敵・武田剛三であった。龍造は、剛三に頭を下げることなどよしとしない。同和利権を手に入れるために、社会党系の解放同盟の独占を快く思わない共産党の活動家、味野と手を組む。

後に龍造を裏切る味野は、右翼と結託して、輸入牛肉の分け前をもらおうと国に陳情に行ったりする、よくいえば清濁併せのむ、悪く言えば何でもありの活動家だ。金のためにはイデオロギーも何もあったものではない。その紹介で、龍造は、自分と同じように「のし上がったる」という強い意欲を持った一匹狼、新同和会の杉本と共闘することになる。

「金さえあれば差別なんてされへんのや!」と割り切った考えを持つ龍造とはちがって、杉本は、解放同盟の独占や、解放同盟と結託して荒稼ぎしているカワナンの川田萬を心底憎んでいた。解放同盟の独占をなくすには、もちろん公的な活動が必要だ。しかし、大きな利権のからむ話だけに、裏の取引も劣らず重要だった。そのために、大阪のロイヤルホテル(現在のリーガロイヤルホテル、大阪きっての一流ホテル)のレストランの一室でもたれた「話し合い」は息を呑むほど壮絶だ。

杉本は、川田との話し合いに、その筋の者3名をつれてきていた。そんな剣呑な状況の下であっても、龍造をそそのかして新同和会に誘い込んだのだろうと、と切り出す川田。、杉本は、バカなことを言うなと啖呵を切る。そして、「工芸品のように磨き抜かれ、黒光りしたスミス&ウェッソン」を机に置いた。

川田の顔が憤怒のため、みるみる赤く膨れ上がった。杉本はテーブルに出した拳銃を握りしめたまま、川田を睨み続けた。
しばらく沈黙が続いた。先に声を発したのは川田だった。

「わかった、口は出さん」
「ホンマやの。後で手引いたら戦争になるど」
「わかっとる。ワシも男や、二言はない」

ど迫力だ。これを契機に、解放同盟の独占は崩され、代わって新同和会は輸入肉の配当から大きな利益を得るようになる。なんと、組合委員に配った後でも、龍造には月々数百万円がはいったというから、当時の食肉利権の大きさがわかる。このような利権については、他にもいくつもの話が紹介されていて、驚くばかりである。一方の川田は、この「話し合い」を契機に、組員であった実弟を通じて山口組との関係を強化していく。そして、川田に直談判できるような者はいなくなる。

10歳ほど年上の川田は、若いころから龍造に目をかけていた。解放同盟の独占を巡っては、杉本を介してとはいえ、ふたりは強烈に敵対した。しかし、後になり、龍造が金に困った時には、無利子で金を貸してやったりしている。立場が違えども、お互いに認め合った路地出身の男同士の関係とはこういうものなのだろうか。

この本が面白いのは、龍造本人のストーリーだけではない。川田、杉本、剛三、味野ら、取り巻く人たちの生き方も凄まじい。そして、もうひとり異彩を放つ脇役が、同じ路地に生まれた、龍造より30歳ほども年上の「人斬りのタケ」こと山口武史である。巨躯であった武史は、復員後、酒に酔った勢いで4人の極道をドスで刺し、網走刑務所に収監される。

出所した武史は、差別に立ち向かうには教育が必要であると諭されて、酒を止め、解放運動に身を投じる。以後、終生、解放運動を通じて、路地の子どもたちの教育や更正に身を捧げた。こういう地道な活動をする人がいたのかと頭が下がる。差別を何とかしたいという気持ちは同じだが、差別されないためには金だと割り切って金儲けに走った龍造とは対照的だ。

武史は、一度、龍造のもとへ、どうして解放同盟を通してお金を借りないのか、と話をしにきたことがある。龍造は「剛三に頭下げるのだけは、我慢ならんのです」と話す。

かまへん、かまへん。あんたはあんたの道いったらええねん。解放同盟も商売も大事やけど、人間、スジを通すいうのが人生でいちばん大事なことや。お互い、自分の道をいけばええねん。

それ以降は付き合いのなかった両者だが、武史が亡くなったと聞いた龍造は、30万円の香典をつつんで遺族を訪れる。状況は違うが、川田と龍造の関係に通じるところがないだろうか。

「何人かの女と、自由になる金がいくらかあればそれでいい」龍造である。愛人を囲う、妻や子どもは殴る蹴る、間男にいたっては殺しかけたことさえある。外では気配りの利く男という評判であったが、家庭人としては、むちゃくちゃだ。

本を読みながら、ずっと不思議に思い続けていた。どうして上原善広が父・龍造のことを書こうと思ったのだろうか、と。その疑問は、魂を揺さぶられるような、長い「あとがき」を読んで氷解した。龍造の人生は、あとがきのための長いプロローグに過ぎないのかもしれない。あとがきまで読み終えた時、タイトルである『路地の子』の持つ本当の意味がようやくわかる。そして、カバー写真を見直して、あらためて深い感慨にひたることになるだろう。この本、間違えても、あとがきから読んではならない。

食肉の帝王 (講談社+α文庫)
作者:溝口 敦
出版社:講談社
発売日:2004-11-19
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食肉についての本といえば、なんと言っても講談社ノンフィクション賞を獲ったこの一冊。

日本の路地を旅する (文春文庫)
作者:上原 善広
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 日本中の『路地』を巡る、上原善広の大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。

発掘狂騒史: 「岩宿」から「神の手」まで (新潮文庫)
作者:上原 善広
出版社:新潮社
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上原善広といえば、旧石器捏造事件を追ったこの一冊もオススメです。『石の虚塔 発見と捏造、考古学に憑かれた男たち』からの改題。 

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ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
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出版社:中央公論新社
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