『経営戦略原論』で理論と実践のギャップを埋める

村上 浩2018年07月12日 印刷向け表示
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経営戦略原論
作者:琴坂 将広
出版社:東洋経済新報社
発売日:2018-06-28
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理論と実践の間には大きなギャップが存在する。どれだけ明晰な頭脳で組み立てられた瑕疵のない理論でも、現実の世界で役立てるためには様々な困難立ちはだかる。原子核分裂が発見されその原理が明らかになった後も、原子爆弾が開発されるためには、マンハッタン計画による世界中の叡智の結集と膨大な費用を必要とした。

自然科学分野においては、理論の実践にどれだけ困難が伴ったとしても、その困難さや実践不可能性が理論そのものの価値を損ねることはない。自然の神秘を解き明かすこと自体に大きな価値があり、何の役にも立たないと思われていた発見が時代を経て人類に大きく貢献することも珍しいことではないからだ。

それでは、経営の「普遍的な法則性」を目指す社会科学としての経営戦略は、「最適な処方箋」を求める現場の経営者の役にどれほど立ってきただろうか。実学でもある経営戦略の研究において、実践へと至らない、もしくは実践で効果を発揮しない理論の構築にどれほどの価値があるのだろうか。著者は、経営学の中でも特に経営戦略の分野において「普遍的な法則性」と「最適な処方箋」の隔絶が大きいと言い、その原因を以下のように説明する。

経営学者はより多くの企業に当てはまる法則性を探求しており、それを主張する。しかし、経営者が求めているのは、より具体的で、最適化された、その独自な条件下で最大の効果を発揮する特注の妙薬なのである。

なかでも経営戦略は、特に近年は「創発的な戦略」と言われるような、意図されない成果につながった多くの戦略が観測されるようになり、伝統的な理解が通用しなくなっている。

本書は、この絶望的なほどに大きなギャップを埋めるという難題に挑む。著者は、学生時代から複数の会社を経営し、マッキンゼーでコンサルタントとして経営課題の解決支援の実務に携わった後に研究者の道へと進み、現在は慶應義塾大学で准教授を勤めている。経営者やコンサルタント時代の著者は、経営学のきれいに構築された理論は大きな意味を持たないと感じていたのだという。ギャップの両側から経営戦略と向き合った経験が、本書をただの経営戦略理論の発展史や経営者の体験談を越えた価値のあるものとしている。

この難題に向き合うために本書は、紀元前にまでさかのぼり、経営戦略とは何であるかという地点からスタートする。そして、経営戦略の理論がどのような社会、時代背景のもとに生み出されてきたのかを歴史的変遷に注意を払いながら整理していく。経営戦略理論の発展を概観した後、ついに議論はその理論をいかに実践へと落とし込むのかというパートへと移っていく。最後には、近年著しい成長を見せている新興企業群がどのような経営戦略を採っているの、更にはAI等のテクノロジーが経営の未来をどのように変えていくかが語られる。

広範な分野に関わる経営戦略の定義は実に多岐にわたるが、著者はその中核が「特定の組織が何らかの目的を達成するための道筋」であると断言する。先史時代から人類は組織や集団を形成し、狩りやパンの製造などを目的とした活動を行ってきた。しかし、そこには現代的な意味での体系化された知識としての戦略は存在しない。戦略についての議論が書物として現れるのは、紀元前500年頃の中国の「孫氏の兵法書」である。その後も軍事分野で戦略研究は進展し、営利企業への経営戦略にも応用されてきた。20世紀以降の大量生産、大量消費時代の幕開けが、軍事戦略とは異なる営利企業独自の経営戦略の進化を促すこととなる。

経営戦略の進化を理解するためには、その戦略を真剣に検討していた企業の性質と、その企業群が置かれていた時代性を理解する必要がある。第二次大戦後の米国企業の躍進を考えるさいに忘れてはならないキーワードが多角化である。当時、ある商材で大きな成功を手にした企業は、関連産業に精力的に進出していた。結果、自社内の資源をどのように(どの産業に)分配するのかということがきわめて重要な経営課題となったのだ。

このような多角化がもたらす経営資源の分散と経営の複雑化による失敗が、外部視点から専門知を提供する戦略コンサルティング会社の台頭をもたらし、戦略フレームワークとして最も有名なものの1つである「BCGマトリックス」が誕生した。このマトリックスは「多数の事業が併存する中でどの事業に追加で投資し、どの事業を縮小すべきなのか」を提示するフレームワークであり、多くのサラリーマンが一度は自社の分析に用いたことがあるはずだ。

しかしながら、BCGトリックスの有効活用にはいくつかの注意点がある。それは、このマトリックスが生み出された1960年代は大量生産が前提となる標準品が市場の中心にあり、製品のイノベーションが限定的であったことに起因する。競合企業との苛烈な競争が想定されていないこのフレームワークでは、強力な代替品の登場による自社の崩壊を見抜くことはできないのだ。

もちろん、BGCマトリックス以外のどの経営戦略においても、その戦略が生み出された背景や有効に活用できる前提条件が存在する。本書によって経営戦略がどのような時代のうねりの中で生み出されてきたかを理解すれば、目新しい理論に振り回されることは無くなるはずだ。

日本語の一般向け書籍としては珍しく、本書には参考文献リストが充実しており、興味を持った分野をいくらでも深掘りすることができる。その内のいくつかはメルカリのKPI決定方法のように無料で閲覧できたり電子書籍として入手できたりするので、本書を起点に、デスクから離れることなる経営戦略の世界にどっぷりと浸かることができる。例えば、不確実性が高く成功時のアップサイドの可能性が高い事業領域への投資検討で用いられるリアル・オプションについては、『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2015年8月号に掲載されている経済学者・入山章栄の「『不確実性を恐れない』状況は、自らの手でつくり出せる―リアルオプション理論」が参考文献として挙げられており、この論文はKindle版で単体で購入可能だ。

もちろん、経営戦略の実践は、正確な知識を身につけるだけでは不十分である。精緻に積みあげられた理論をいかに実行に結び付けるか、そして何よりその実行を成果に結び付けるかが非常に重要な意味を持つ。

現代の経済成長の大部分を担う新産業領域、すなわち、創発的な戦略の形成が観測されやすい事業領域では、見落とされがちなこの「行動」という要素がきわめて重要である。だからこそ、「理解」や「判断」にとどまらない、「行動」を統合した戦略策定の理論化を進めることが、事業戦略におけるフロンティアなのである。

著者が100名以上の日本の起業家にインタビューを行ったところによると、「デザイン・シンキングのように体系化されたアプローチを採用した起業家は、少なくとも日本にはほとんどいない」という。未来を創り出す行為である経営実務と過去のパターンから知を抽出する経営学研究の間には間違いなく、大きなギャップが存在する。それでも、歴史を知ることは不確実な未来へ踏み出す一歩をより力強いものとしてくれる。本書には多くの実務家に明日からでも役立ちそうなヒントと、普遍的な経営を考える視点が500頁近いボリュームに詰め込まれている。

マッキンゼー―――世界の経済・政治・軍事を動かす巨大コンサルティング・ファームの秘密
作者:ダフ・マクドナルド 翻訳:日暮 雅通
出版社:ダイヤモンド社
発売日:2013-09-21
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経営コンサルティング・ファームであるマッキンゼーがどのように誕生し、これほどまでに大きな影響力を持つにいたるかを解き明かす一冊。レビューはこちら

ザ・会社改造 340人からグローバル1万人企業へ
作者:三枝 匡
出版社:日本経済新聞出版社
発売日:2016-09-01
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V字回復の経営』などでも知られる著者が、1つの企業をどのように改革し、大企業へと成長させたのか、経営の現場感が伝わってくる。

経営戦略という言葉で最も想起される人物は今でもこの大前研一ではないだろうか。

 

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