『殺人犯はそこにいる』この国の正義を問う

鰐部 祥平2014年02月18日 印刷向け表示
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殺人犯はそこにいる: 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件
作者:清水 潔
出版社:新潮社
発売日:2013-12-18
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現在、HONZが怒涛のキャンペーンを張っている作品がある。それが本書、『殺人犯はそこにいる』だ。野坂美帆内藤順仲野徹。さらに、マンガHONZの山田義久もそれぞれの立場から本書をレビューしている。また、栗下直也が著者インタビューを行っている。 ここまでレビューされているのだから、もういいじゃないか?そんな思いも少しはある。しかし、本書にはそれでもなお、書かずにはいられない何かが存在するのだ。

発端は著者の清水潔が日本テレビの報道特番のプロジェクトを上司から与えられたことだ。

著者は、新プロジェクトの為に、未解決事件を調査する。そこで浮かび上がったのが、栃木県足利市、群馬県太田市という隣接する2市で5人の幼女が誘拐され、4人が殺害され、1人が現在も行方不明という事件。まさに未解決連続幼女誘拐殺人事件だ。

だが、問題がひとつある。半径10キロ圏内で、誘拐場所の多くがパチンコ店、死体遺棄現場が河川敷付近と共通する事件にも関わらず、一件だけ犯人が逮捕されており、しかも有罪判決を受けているのだ。「足利事件」と呼ばれる事件だ。

どう考えても、同一犯による犯行。だが、一件だけ犯人が逮捕されているという事は、この狭いエリアに共通した行動パターンを持つ、複数の性的倒錯者の殺人犯が存在することになる。そんな事があり得るのか?

著者はこの事件に引っかかる物を感じ取材を敢行する。緻密な取材と徹底的に現場に通うことにより、真実ちゃん殺害容疑で有罪判決を受けていた菅家さんが冤罪だと直観した著者は、テレビ番組を使い、冤罪キャンペーンを張る。

とにかく本書で衝撃を受けたのは警察の杜撰な捜査と、徹底した隠ぺい体質。そして、情報操作だ。例えば、菅家さんをロリコン趣味に仕立てるため、押収物には大量のロリコンビデオが存在するような情報を警察は流していた、しかし、著者の取材でそのことが嘘である事が判明している。菅家さんが持っていたアダルトビデオにロリコン趣味を示すものは何一つ存在していなかったのだ。

足利事件では、被害者の真実ちゃんと特徴が一致する少女が「ルパン三世」に似た男と徒歩で死体発見現場近くに向かうのを、二人の人物が目撃している。しかし、それは菅家さんが、脅迫まがいの取り調べの末に自供した、「自転車で誘拐した」との状況とは一致しておらず、いちどは重大な目撃情報と判断されていた、これらの情報はもみ消されることになる。

菅家さんを犯人だと決めつけた時点で、警察は自分たちが描いたストーリーに合致しないあらゆる情報を、あの手この手で封じていく。その捜査姿勢には戦慄を覚える。

不透明なDNA型鑑定を巡る攻防戦も凄まじい。DNA型鑑定の詳細は仲野徹のレビューに譲るが、その捜査の杜撰さはあきれる。足利事件では捨てられていた真実ちゃんのシャツから加害者の精液が検出され、それが鑑定に使われた。だが、被害者の衣服である。被害者、またその家族のDNAが混入している危険性があるはずだ。しかし警察は被害者と家族のDNAを採取、鑑定をしていなかったことが後に判明する。

また当時のものは、いくつもの技術的な問題点が存在する、未熟な技術であることが重大な事実として本書では指摘されている。

足利事件で問題点が多いはずの鑑定方法が、重要な証拠として採用されたことにより、同じ手法でいくつもの事件に有罪判決が下されることになる。そのうちの一つでは受刑者が無罪を主張していたにも関わらず、死刑が執行された。飯塚事件」と呼ばれる事件だ。この事例でも見え隠れするのは、疑問の残るDNA型鑑定、曖昧な目撃情報と、被疑者を真犯人と世間に思わせるため警察が流した、ご都合主義の情報である。そしてその情報に、独自の取材をすることもなく、乗っかる記者クラブのマスコミの姿だ。

私たちは日本が公平な法の下、それぞれの機関がしっかりと法を順守し、たまに不正が存在するにせよ、概ね正義はなされていると考えて日々暮している。特に現代民主主義の根幹である、「人権」は尊重され、簡単に侵される事はないと信じている。しかし本書を読むと、そうでないことがわかる。

この国の起訴有罪率は99%である。そのような高い有罪率の下で、取り調べの可視化もなされぬまま、脅迫まがいの取り調べ、不誠実な捜査、不利な証拠のもみ消し、そして、再鑑定不能な、あるいは再鑑定が拒否される科学捜査が横行しているのだ。そして、DNA型鑑定の正当性を守るため、連続幼女誘拐事件の再捜査は行われる気配はないのだ。

かつてドイツの法学者イェーリングはその著作、『権利のための闘争』でこのように述べている。

自己の権利が蹂躙されたならば、その権利の目的物が侵されるだけではなく己の人格までも脅かされるのである。権利のために闘うことは自身のみならず国家・社会に対する義務であり、ひいては法の生成・発展に貢献するのだ。


菅家さんの人権と人格は踏みにじられた。まるで路傍の虫けらでも踏みつぶすように、冷酷かつ無慈悲に。しかし、彼はこの国の正義を誰よりも信じ、最後まであきらめることなく、DNAの再鑑定を求め続けた。

本書を読むと、この国の歪の大きさが見えてくる。多くの点で、あまりにも杜撰な地方警察。警視庁という圧力のもとで、まるでミルグラム実験を思わせる行動をとる捜査幹部の人間心理。検察の請負機関のような司法。独自の取材を放棄し、警察側の発表を精査することなく垂れ流すメディア。私たちの安全と権利は薄氷のごとく、あまりにも脆く、そして惰弱なものの上に成立している。

警察の体面や司法の問題で少女たちを手にかけた「ルパン」を野放しには出来ない。本書を読むと文字という媒体を通じて、著者の義憤が脳内に直接流入してくるような感覚を覚える。そして、この国の社会、制度の狭間に真っ先に転げ落ちるのは、もっとも弱い立場の人々だという事をあらためて思い知らされる。私たちはこの状況を真摯に受け止め、これを改めるために声を上げられるだろうか。日本人と日本社会の真価が、いま問われているような気がする。
 

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 東 えりかによる本書のレビューはこちら

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